2016年12月22日

【すーざんさんへの回答箱2】なぜ詰まらない脚本がリリースされてしまうのか?2

> 洋画はどうでしょうか。邦画よりもお金がかかっていて、豪華なキャスティングでCGもふんだんに使った間抜けな作品が沢山あります。スピードとアクションは凄いのですが、スカスカな脚本。ブレイク・シュナイダーも、シド・フィールドも、カール・イグレシアスも、物語の大切さを説いているはずですが、ガワの究極さばかりを目指す傾向はなにが原因なのでしょうか。作り手の理論の解釈がおかしいとも思えますし、観る側がビジュアルの凄さばかりに手を叩くのも原因とも思います。

洋画は、ここではハリウッドに限定します。
その他の国の事情はよくわからないので。

ふたつあるかと。
「ハリウッドの映画料金は5ドルなので、
脚本重視でない映画もあり得てよい」
「脚本を読める人は、少ない」
かな。


ハリウッドの入場料は、
平日昼間は5ドル。
夜は7ドルだったかな。
安いんだよ。ポップコーン映画ってのはそういうこと。
YouTube2時間500円の感覚ですわ。

1800円の日本が異常に高い。
日本が関税をかけて国内の産業を守っている、という見方も出来る。
韓国や中国では、日本映画を上映しない歴史も長いし、
フランスではたしかフランス映画しか見れないはず。
見れるのは都会のアートシアターみたいなところだけとか。

映画館は一種のインフラ産業でしたが、
ネットフリックスなどのネットテレビの誕生により、
映画の入場料は実質下がっています。
さて制作費はどうなるやら。

ということで、
アクション一点張り、一発芸の500円もありえます。
使い捨ての感覚ですからね。
デジタルになってその感覚はとみに増えてきた気がします。

勿論、脚本で勝負するものは伝統的にあって、
それがコメディとドラマの二大ジャンルなわけです。
脚本理論は、主にその分野の理論かもしれません。

(そういう意味で、日本のプロデューサーがよく言う、
「これのウリは何か?」という聞き方は間違っていると僕は考えます。
脚本が面白いことはウリではないからです。
むしろ、面白い脚本にウリを足してビジネス化するのが、
商売人としてのプロデューサーの仕事なのに)


で、
ハリウッドでは、コメディからドラマから、
スリラーからアクションからキッズまで、
ジャンル分けが驚くほどきっちりあります。
コメディしか出ない俳優、ドラマしか出ない俳優も多いです。
だから俳優が目印になり、ウリになるわけですな。

アメリカ人は驚くほど映画を見る。
週一は普通です。
500円だから、失敗してもどうということはないし。
ネットフリックスで見るか映画館か程度の差しかない。
(海外ではスマホの普及率は低く、タブレットの普及率が高い)


日本映画が、
どれにも同じ俳優が出ていて、
様々なジャンルわけをしてない曖昧なものばかりで、
かつ1800円で、
だから要求も高いのとは、
わけが違うのです。

裾野の差と言っても元も子もないけれど、
対象とする人種や文化の多様さに対して鍛えられていて、
かつマーケットを広く設定して、
それゆえ日本映画の100倍予算を使ってるわけですから、
様々なものがあって当たり前というべきか。

だから、脚本を重視する映画もあれば、
脚本よりガワのウリを重視をする映画もあるでしょう。


逆に言えば、
だから脚本こそが映画なのだと、
わかってる人が主張し続けている可能性があります。
脚本理論家、アカデミー賞がそうでしょう。

日本アカデミー賞は、俳優しかクローズアップされませんが、
米国アカデミー賞はアカデミー会員、
すなわち映画業界「組合」のものです。
すべてのスタッフは組合に属し、
組合の規定で働くことになっています。
詰まらない映画でも最低賃金は決まっていて、
それはとても高いです。
一日8時間労働で土日も休む。昼休みも1時間休みます。
冷めた弁当を15分でかきこんだり、
飯おし(食事の時間だが、きりのいいところまでやってそのあとに飯にしよう)
なんてありえない。

だから意識が高く、アカデミー賞は組合員の投票です。
映画がどうあるべきかの全スタッフの総意が、
現れやすい。


一方日本には組合がありません。
フリーランスの使い捨てを死ぬまでこきつかい、
より安いスタッフを求めて値切ります。
組合は守ってくれない。
日本アカデミー賞は、俳優のための、配給会社のための、
紅白のようなお祭りに過ぎない。

勿論日本アカデミー会員にはスタッフはなる権利がありますが、
実際会員になってる人はあまり聞かないなあ。
(おじさんには多いけど、若い人は殆ど入ってないと思う)
アカデミー賞投票権と、映画割引サービスしかないし。
年会費二万弱だったかな。
アメリカの組合みたいなものはない。


ほっておけばカオスに飲み込まれる。
それはどこの国でも同じでしょうが、
それを食い止めている組織的存在があるのが、
アメリカ映画産業かもしれません。




さて、もうひとつの問題。

たぶん、脚本を完璧に読める人は、
限られた人間だけだということです。

・脚本には絵はかいてないので、
「こういう話のときはこういう絵が来るものだ」と想像しなければ読めない。
・逆に、「こういう絵がベタだけれど、さらによい表現を考えよう」
と想像しながら読まないといけない。
・音楽についても同じ。
・つまり、話そのものと、ガワを分離できない人間は、
そもそも脚本を読む資格がない。

脚本を読める人、とは、すなわち脚本家、監督、俳優、
その他スタッフ(撮影、照明、美術、録音、衣装、編集、CG、音楽ほか)
ということです。

僕がハリウッドのプロデューサーの話で一番驚いたのは、
「プロデューサーは脚本を読まない」ということです。
プロデューサーは、ログライン、ワンビジュアルと、
リーダー(読み専スタッフのこと)の評価シートだけを頼りに、
企画のゴーサインを出すわけです。
なぜなら、脚本を読めないからです。
逆に、脚本は脚本家に任せて、素人は口出ししないという割り切りですね。
だから逆に、
リーダーがヘボだったら、読み間違えが起こるわけです。

Pは脚本そのものより、ガワだけを見ているだけなのです。

(日本映画の場合、
Pが脚本を、読めないくせに読んだりして、ぐちゃぐちゃになりますが)


で、あとは監督と編集に仕事がまるなげになるため、
どんなへぼ脚本でもやっちまうのではないでしょうか。
(Pに最終編集権があります。
「ブレードランナー」のプロデューサーズカット(公開版)と、
ディレクターズカットの比較、
あるいは「ニューシネマパラダイス」のそれは分かりやすいかもです)



どんな「複数の人間が関わる仕事」も、
トップのIQ以上は生まれません。

脚本家がトップではなく、
プロデューサーがトップだという、
そもそものねじれが、
スカスカの映画を生み出すのかもです。

お金を集めて周りを巻き込んでいく仕事
(とくにハリウッドは、最低が10億ぐらいのビジネス。
日本は1億から数千万)と、
文学を生み出す仕事はまったく別で、
前者が先だことが、
興行優先作品性軽視の正体かもしれません。

10億を動かし、かつ文学の才能に秀でた人間は、いないのでしょう。
posted by おおおかとしひこ at 20:23| Comment(3) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
大岡様 重ね重ねありがとうございました。丁寧に返信して下さり、本当に恐縮です。ハリウッドと邦画の状況はこれほどまでに違うのですね。邦画の人を軽視する状況は、他の業界に置き換えても通じます。やはり基本は、人は城であり石垣であり掘であると思います。
Posted by すーざん at 2016年12月23日 10:32
大変興味深く拝読させてもらいました。

プロデューサーに対して、実に批判的ですね。

しかし、少し都合のよい意見に思えます。

ハリウッドのプロデューサーはもっと博打打っていると思います。さながら証券ビジネスのように、実にビジネスとしてやっているように思えますがいかがでしょうか?


やるからには必ず儲ければならない。
損したらセカンドチャンスはない。
そんな雰囲気かと。

だからこそ、脚本が読める読めないよりも、これが金になるのかどうかの方が大事なんだと思います。

ハリウッドは再撮影をよくしますね。
最近のローグワンもそうですし、呪怨でも再撮していいよと言われて驚いたと清水監督が雑誌でコメントしてました。

それだけ監督や脚本家は会社やプロデューサー、さらには出資者を損させないようにしなければならない訳で。
出資を募る以上、アートだけでは済むわけないですし。
明確なリターンが無ければならないわけです。

大岡さんはよくウリはどうとか、脚本読めないとプロデューサーを避難してますが、正直ご自身だけが面白いと思ってませんか?
あなたの作品で明確なリターンは出せますか?

ハリウッドでは作品が始まる前に複数の監督に打診がきて、興味あればプレゼンしにいくみたいですね。
ノーランがそれでバットマンを勝ち取ったりしてます。

何となくもっと売れる為に必死な感じがしますがいかがでしょうか?

必死ならガワとかウリとか言われないだけの作品を作ったらどうですか?

バットマンビギンズのプレゼンの仕方はとても有名なので調べてみてください。

大岡さんに必要なのは、もしかしたら客観性なのかも?
あなたのスキルにお金を出したいと思わせなければ、いつまでも自己満足でしかないように思えます。

アメリカだろうと日本だろうと、所詮映画造りなんて博打でしょうから。
ならば金を出したいと思わせるためにも、もっと周囲を見渡す必要があるように思えます。
流行を読みといたりするように。

それから自分を理解してくれるタニマチを作ることでしょうね。
スター・ウォーズでもどのスタジオがそっぽ向く中、唯一理解示したのが当時の20世紀FOXの社長だったそうですから。

脚本論を講じるのならば、それは学問として大学でおやりになってください。

もし、世に打って出るのであれば世の中に何が必要なのか?を自らのセンスとスキルで訴えて下さい。

正直、大岡さんのblogは正論ではありますが、ご自身の理論と作られる作品とのギャップにほとほと面喰らっておりました。

今一度ご自身を見直して見てはいかがでしょうか?
Posted by どら at 2016年12月26日 01:54
どら様コメントありがとうございます。

ハリウッドと日本の事情をごちゃまぜにされているようです。
同じプロデューサーという役割名ですが、
仕事内容は全く異なる仕事です。
ちなみに、監督も、脚本家もです。
(日本限定で言えば、
映画、ドラマ、CMは全て同一の名称なのに役割の区分がバラバラです)
ハリウッド基準で日本の僕の仕事の仕方を比較されてもねえ。
日本には全く別のシステムが存在するわけで。

いずれにせよ、配られたカードで勝負するしかない。
それが犬であっても。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年12月26日 18:13
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック