2016年12月27日

マクガフィンの決着をつける

マクガフィンは触媒である。
それ自体は変化せず、
周囲の人間が変化する。
作者からすれば、
人間ドラマのきっかけになればそれは何でもいいわけだ。


ところが、そのマクガフィンは、
それ自体が魅力的なネタであることがとても多い。
僕がマクガフィンという言葉を知り、
今でもよく引用されるヒッチコックの例でも、
マクガフィンはスパイの奪い合うマイクロフィルムだ。
もう、スパイの奪い合うマイクロフィルムというネタが魅力的だ。
これが本日の残業届けだったら、
全然魅力的に見えないだろう。

つまり、「なんでもいい」はずのマクガフィンは、
本当にはなんでもいいわけではなく、
それなりに、いや、最大限魅力的なネタを持ってくるべきだ。

これが観客にとって魅力的に見えてれば、
ハッタリの効くガワになる可能性が高い。

戦略的に嘘をついていくことを考えるのなら、
そうやって張り子の虎を効かせる手もある。
まあ、ちゃんとホンが読める人にとっては、
このマクガフィン、本日の残業届けでも話が成立するよね?
と、見抜かれてしまうが。
(現状のぬるい読み手しかいない業界では、
見抜ける人が少ないという生存戦略でもあるかも知れない)


たとえば、
「君の名は。」における彗星は、
冒頭ではマクガフィンである。
それは何でもよかった。
共通の話題になるイベントだから何でもよく、
SMAPの解散でも良かったわけだ。

これがマクガフィンにならなくなるのは、
○○の原因になるからである。
(ネタバレのため隠す。
糸森町に旅したときに主人公が知る事実)
ここから話が面白くなってくるわけだ。
実写では不可能な、
マクガフィンがちゃんとした「小道具」になる瞬間、
これは映画になるのである。

これに比べ、シンゴジラはマクガフィンのままである。
周囲の人間が変化するドラマは、
点劇でしかなく大きなうねりを生じていない。
つまり、マクガフィンが中心にあるにも関わらず、
人間ドラマが不在な(または物足りない)構造だ。



面白げなネタは、マクガフィンになることが多い。
ハッタリを効かせて、そのまま何事もなかったようにスルーするか、
ハッタリを効かせて、ちゃんと回収するか、
ハッタリを効かせて、自らハッタリに溺れて人間ドラマを見失うかは、
あなたの自由である。
僕は、二番目が一番そのマクガフィンの採用の意味まで筋が通っていて、
スッキリすると考える。

まあそうなるとテーマに直結するネタを選ばなくちゃいけなくなるけれど。
マクガフィンだったはずのものが、
そうやってテーマを語るモチーフに昇格するのは、
まれによくある瓢箪から駒である。

たとえば最初のスパイの奪い合うマイクロフィルムを例にとれば、
ラスト、マイクロフィルムは燃えてなくなってしまう落ちにするとしよう。
そうすると急に「テクノロジーに頼ることは虚しい」
「争いは何も生まない」みたいなテーマを語ることが、
急に可能になったりするわけだ。
仮にスパイの人間ドラマがたいした落ちじゃなかったとしても、
何かを語るふりが出来る、という構造なのだ。


あなたはマクガフィンを、そういう風に使うことが出来る。
昔の映画には、そういうB級なのにAランクになる話が、
まれにあったものである。
もしマクガフィンをそういう風に使えそうなら、
マクガフィンを別のものに変えてみると、
テーマに嵌まるモチーフを探せるかもしれないよ。
posted by おおおかとしひこ at 11:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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