マクガフィンは触媒である。
それ自体は変化せず、
周囲の人間が変化する。
作者からすれば、
人間ドラマのきっかけになればそれは何でもいいわけだ。
ところが、そのマクガフィンは、
それ自体が魅力的なネタであることがとても多い。
僕がマクガフィンという言葉を知り、
今でもよく引用されるヒッチコックの例でも、
マクガフィンはスパイの奪い合うマイクロフィルムだ。
もう、スパイの奪い合うマイクロフィルムというネタが魅力的だ。
これが本日の残業届けだったら、
全然魅力的に見えないだろう。
つまり、「なんでもいい」はずのマクガフィンは、
本当にはなんでもいいわけではなく、
それなりに、いや、最大限魅力的なネタを持ってくるべきだ。
これが観客にとって魅力的に見えてれば、
ハッタリの効くガワになる可能性が高い。
戦略的に嘘をついていくことを考えるのなら、
そうやって張り子の虎を効かせる手もある。
まあ、ちゃんとホンが読める人にとっては、
このマクガフィン、本日の残業届けでも話が成立するよね?
と、見抜かれてしまうが。
(現状のぬるい読み手しかいない業界では、
見抜ける人が少ないという生存戦略でもあるかも知れない)
たとえば、
「君の名は。」における彗星は、
冒頭ではマクガフィンである。
それは何でもよかった。
共通の話題になるイベントだから何でもよく、
SMAPの解散でも良かったわけだ。
これがマクガフィンにならなくなるのは、
○○の原因になるからである。
(ネタバレのため隠す。
糸森町に旅したときに主人公が知る事実)
ここから話が面白くなってくるわけだ。
実写では不可能な、
マクガフィンがちゃんとした「小道具」になる瞬間、
これは映画になるのである。
これに比べ、シンゴジラはマクガフィンのままである。
周囲の人間が変化するドラマは、
点劇でしかなく大きなうねりを生じていない。
つまり、マクガフィンが中心にあるにも関わらず、
人間ドラマが不在な(または物足りない)構造だ。
面白げなネタは、マクガフィンになることが多い。
ハッタリを効かせて、そのまま何事もなかったようにスルーするか、
ハッタリを効かせて、ちゃんと回収するか、
ハッタリを効かせて、自らハッタリに溺れて人間ドラマを見失うかは、
あなたの自由である。
僕は、二番目が一番そのマクガフィンの採用の意味まで筋が通っていて、
スッキリすると考える。
まあそうなるとテーマに直結するネタを選ばなくちゃいけなくなるけれど。
マクガフィンだったはずのものが、
そうやってテーマを語るモチーフに昇格するのは、
まれによくある瓢箪から駒である。
たとえば最初のスパイの奪い合うマイクロフィルムを例にとれば、
ラスト、マイクロフィルムは燃えてなくなってしまう落ちにするとしよう。
そうすると急に「テクノロジーに頼ることは虚しい」
「争いは何も生まない」みたいなテーマを語ることが、
急に可能になったりするわけだ。
仮にスパイの人間ドラマがたいした落ちじゃなかったとしても、
何かを語るふりが出来る、という構造なのだ。
あなたはマクガフィンを、そういう風に使うことが出来る。
昔の映画には、そういうB級なのにAランクになる話が、
まれにあったものである。
もしマクガフィンをそういう風に使えそうなら、
マクガフィンを別のものに変えてみると、
テーマに嵌まるモチーフを探せるかもしれないよ。
2016年12月27日
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