苦労して作ったものほど愛着がわく。
その心理を分かっていないと、
リライトで困ることになる。
まず自分一人の場合。
苦労して作った部分は可愛いものである。
あの困難を越えた成功、というだけで誇らしく、
誰もそれをなし得ていないというドヤ顔になるものだ。
しかし、
それはその辺に似たようなものがあるかも知れないし、
過去に似たようなものがあるかも知れないし、
他の天才が二秒で作ってしまうかも知れないし、
自分がもう一度やってみたら、もっと良くなるかも知れないのだ。
それを、必ず検討しておくこと。
そうしないと、それはそれで完成になってしまい、
さらによくなる可能性を摘むからである。
完成度が高ければよいとは限らない。
他を直したら、その部分に手をいれた方が全体は良くなるのに、
その心理的抵抗が邪魔をすることは、よくあることである。
仮に、この心理をあなたが克服しても、
集団的意思決定の場でも、
同じことが起こることが多い。
みんなで徹夜で議論したことが、
苦労の結晶に思えて、
なかなかそれを崩しがたくなる心理である。
その時に全ての可能性を潰し、全ての選択肢を検討した、
という心理的満足感が、その完成度を崩すことへの抵抗になる。
そういうときは、その成立条件が変わったのだ、
と、その議論以前のことから崩していくと良いだろう。
集団が頑迷なのではなく、心理的抵抗に自覚的でないことが多いからである。
実際仕事であった話だが、
編集の場でこっちの方が良いと提案しても、
「それは既に議論して結論が出ているところだから、触れない」
と思考停止している人が多いことだ。
「その議論に戻ることが恐い(面倒)」という心理が明らかに働いていた。
終わっていることを蒸し返して、時間が戻ると思い込んでいる。
実際のところ、その議論にはなかった別の要因が新しく絡んでいるのだから、
議論を更新すべきなのだが、
集団心理というのはなかなかに統一的意思を持たないものである。
あるいは一回統一したらなかなか変更しない。
人数が増えれば特にそうだ。
そういうときは、CMの現場なら2タイプ繋ぐことは珍しくない。
長くて30秒だから、比較がしやすいからである。
何度も見ることが可能だし。
ところが、映画になると2タイプ繋いで比較することが出来ない。
(出来るけど2タイプ見て客観的に比較するのに、
2回ずつ見ようか、なんてとても出来ない)
ということで、
凝り固まった意思を変更させるのは、
なかなかに難しいことになる。
(最終編集権が監督にではなく映画会社にあるのも、
これまた話をややこしくしている)
既に議論が終わったことと、既に議論が終わったことを、
並べてみて初めて新しい議論が発生することでも、
既に議論が終わったことだから、なにもしない、
という選択肢が多く、
そうやって部分では良くとも全体が良くないものが出来上がる可能性が高くなるわけだ。
苦労した子ほど可愛い。
そういう言い方で諌めることはある。
自分の中の愛着が、どこから来ているか自覚するのは、
とても難しい。
TIPSだけど、そういうときは、
目的地はどこかを見るといい。
最終的な帰着点がハッキリ見えていれば、
たとえ愛着のあるパートでも、
ハサミを入れる必要性が出てくるだろうから。
2016年12月28日
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