2016年12月29日

ミッドポイントの整理

ミッドポイントで何をすればいいか分からなくなったら、
とにかくターニングポイントだと思うことだ。
その前後で、焦点や目的が、
どう変わったかを書き出してみるとよい。


ミッドポイント以前以後の焦点が変わってないなら、
それはターニングポイントとして機能してないので、
ターニングポイントにしよう。
もっとも、ミッドポイントは必ずしも存在しなくてよいので、
存在するとすれば、という場合のみだ。

ミッドポイントの位置はおおむね真ん中、
ややあとだ。
ここにターニングポイントがあると、
大きく半分にストーリーが割れたように思えるものだ。

で、理想のミッドポイントは、
ミッドポイント以前の焦点が、前半戦の焦点で、
ミッドポイント以後の焦点が、後半戦の焦点になること。

ミッドポイント以前の焦点が、
前半戦の焦点の集約になり、
前半戦のまとめになるのが望ましい。
以後の焦点も同様である。

つまり、ミッドポイントで、
前半と後半の空気が明らかに変わり、
具体的な長期目標も変わり、
かつ、劇的で一気に変わるのが、
理想のミッドポイントだということになる。

ただし、全く別物の話になってはダメだ。
あくまで同一の話の前半戦と後半戦でなければならない。
すなわち、的確なミッドポイントを書くには、
前半戦のことと後半戦のことが、
完全にあなたのなかで把握できていなければならない。

逆に言えば、第一稿でミッドポイントがきちんと書けている確率は低い。
前半戦の焦点や、後半戦の焦点がきちんと絞られている保証がないからである。
(ミッドポイントがきちんと出来ているのに、
二幕前半または後半がグダグダということもあるわけだ)


相変わらずドラマ風魔を例にとると、
聖剣登場の8話(7話の終わり、壬生の黄金剣奪取→風林火山との激突)
がミッドポイントである。
それ以前の焦点は、風魔対夜叉の、一対一の潰しあいだ。
しかしそれ以後の焦点は、
どちらサイドが相手を全滅させるのか?という、
殺伐とした焦点になる。
その時点で死んだキャラは半数近くなる
(不知火、項羽、紫炎、琳彪、白虎、雷電、闇鬼、黒獅子
の8名/19)ため、
対決色よりも、生き残りを競うみたいな雰囲気になるわけだ。

それに強力な兵器が投入され、戦況は一変しやすくなるわけである。
後半戦にはマグネットコーティングがあるものだ。
最終問題は10倍の得点!
みたいなことと同じで、
後半はより起伏が激しくなってゆく。

この殺伐とした、荒涼とした空気感は、
原作「風魔の小次郎」の魅力のひとつである。
学園ハレンチ忍者ものとして始まった漫画が、
人が大分死んで、忍者ものの宿命的な雰囲気を漂わせ始めたころである。
僕は原作のこの辺りが大層好きで、
(その後の聖剣戦争は、当時は好きだったが、
今見ると出落ちの嵐なんだよなあ)
夜叉編ドラマ化、という枠組みを聞いて、
是非ともここの空気を引き伸ばしたいと考えた部分だ。
(同じ空気は反乱編にも漂っている。
しかし聖剣戦争やったあとなので、スケールダウン感が半端ない)

つまり原作風魔の小次郎には、
三種類の空気が漂う。

学園ハレンチ忍者ヒーローもの(転校生、影三兄弟、太もも貫通)
忍者宿命もの(八将軍、小次郎と武蔵の決着)、
運命の聖剣戦争(飛騨一族、コスモの終結、聖地での決戦)、
もとに戻って忍者宿命もの(反乱編)、
である。
原作好きでも、
殺伐とした忍者ものの和の雰囲気が好きな人と、
カオス含めた華やかなFFっぽい感じの、
スペースファンタジーが好きな人がいると思う。
(初期学園ハレンチもの命の人は…いないよね。
ついでに言えば、聖剣というアイテムを鎧に置き換えたのが聖闘士星矢なわけだ)

もし、原作風魔の小次郎にミッドポイントがあるとすれば、
それは「小次郎と武蔵の雪の中の決着」になるわけだ。

そうすると、聖剣戦争だけが突出しすぎて、
後半戦の焦点が見いだせなくなってくるよね。
だから反乱編は微妙な立ち位置なのである。
ざっくり言えば、聖剣戦争のインフレに、反乱編がついて行けなかったのだ。
(いつか実写化するとしたら、
この辺りを再構築しなきゃ死んでも死にきれんわ)

当時はまだインフレという考え方はなかったが、
リンかけ、風魔を通じて、車田正美は、
ジャンプの基礎を作ってしまった。
その後のバトル漫画、すなわち、
北斗、キン肉マン、ドラゴンボール、男塾、ジョジョ二部、
幽遊、ターちゃんあたりは、
インフレをしまくって、自分のインフレについていけなくなったら自滅終了、
みたいなチキンレースをし続けていたわけだ。
(その中でもドラゴンボールは、
神様の上の概念を作れた時点で、
インフレの上限を上げられたわけだ。
それもフリーザあたりで限界に達した。
ジョジョは第○部でリセットする奇策に出た)


この言葉を借りれば、
前半戦と後半戦の違いは、インフレするかしないか、
ということだとも言える。
前半戦にやったことを後半戦にやると、
まだそれをやってんのか、と思ってしまうことが、
インフレの感覚の裏にいるだろう。


前半戦の焦点は?
後半戦の焦点は?
それはミッドポイントで鮮やかに変わるのか?

それが整理されない限り、
ミッドポイントはただのターニングポイントや、
単なるエピソードやシーンでしかないだろう。

ミッドポイントはだから、
リライトの時に整理されるべきところかも知れない。
posted by おおおかとしひこ at 15:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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