2016年12月30日

設定こそ伏線である

一幕は本当に難しい。
二幕前半も難しい。
総じて、前半戦は難しい。
何故なら、説明しながら、設定しながら、
かつ話も面白げに進めなければならないからだ。
書くのは後半戦の方が楽だ。
むしろ、後半にもなって設定しているホンはダメなホンだ。
後半戦はこれまでの設定を使いながら、
組み合わせながら、話を作っていく。

つまり。
前半戦の設定は伏線である。


伏線を、
「さりげなく置かれたものが、
あとで使われてあっと驚く」の意味で取ると、
狭い伏線しか使えなくなる。

伏線は、
「前に出ていたものを、再利用する」
ものだと考えた方がいい。
それを伏線というかどうかは、言葉の定義の問題だからどうでもいい。
ポイントは、前に出ていたものを再利用することだ。

同じ文脈で使っても(天丼)、
別の文脈で使ってもよい(どんでん返し)。
それは、前と後の関係で決まるだろう。

で、本題。

前に出ていたものを、再利用するとすれば、
逆に、再利用しないものが存在するのは無駄だ。

ストーリーには、
設定を語るところと、
話を進めるところに、
大きく分かれるとすれば(兼ねる場合もあるが)、
設定をあとで再利用するか、
話を進めるところを伏線としてあとで使うか、
この二通りしかないことになる。

で、話を進めるところを伏線にして使うのは結構難しい。
ということは、基本の伏線は、
「設定したことを再利用する」ということになるわけだ。
つまり、設定は伏線である。
再利用されない設定は、なるべく省くべきである。

ここのところは難しくて、
「その設定を分からないと先に進めない」か、
「それを省略しても話が分かる」かを、
判断するのは案外困難だ。
経験的には、その部分を手で隠すという原始的な手段が有効だ。

設定しているその部分がなくても、話が進行すれば、
実はそこは削ることができる。
むしろ進行を止めているわけである。
で、その部分があとで一度も使われないのなら、
それは伏線としても設定としても機能してないのだから、
とても無駄だというわけだ。
(もっとも、伏線とその解消のように明示的に再利用するのではなく、
無意識にそれ前提で話が動いていることもあり、
それは再利用とみなすべきだろう)

前半戦には、こういう場面が頻出する。
それらの設定は、あなたが世界に慣れるためだけに存在する可能性が実は高い。
あなたが慣れるのではなく、
観客を慣れさせるために、ホンを組み立てるべきだろう。
だとすれば、
単なる説明台詞で説明義務を果たしたことにはならず、
エピソードの中に上手に設定を示すようなものにするべきだと、
分かるのではないだろうか。


設定こそ伏線である。

風魔は風を操る忍者だ、と設定したら、
あとで風のように生きることがテーマになってくるわけだ。
天狗は火を操ると設定したら、
闇を焼き払う象徴、理性や文明の象徴として、
あとで使われるわけである。

逆に、最も大事な設定こそが、
テーマに絡んでくる伏線にならなければ、
その設定の意味などないのだ。


中級者ともなれば、
語りたいテーマから逆算して、
へんてこな設定をすることもあるだろう。

「プリティーウーマン」では、
愛や情は金で買えない、
というテーマを描くために、
主人公は、売春婦を金で買って差別したり、
敵対買収をする冷徹な性格に設定されているわけだ。


へんてこな設定を思いつき、これはこんなテーマを語れるぞ、
と思ったり、
こんなテーマを語るために、へんてこな設定を思いついた、
あたりから、
お話というのは作られていくのだと思う。
posted by おおおかとしひこ at 14:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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