2017年01月09日

問題または解決法を容易にする

ストーリーとは、問題の解決である。
しかし、やりがちなことは、
解決するのがあまりにも難しい
(時に作者にすら解法が見えてない)
ものにしてしまうことだ。

こういうときは、問題や解法を簡単にする。


たとえば。
「あの子のハートをゲットする」がゴールだとしよう。

これはリアルでも難しい問題だ。
好きな人の心を得ることは難しい。
簡単なら、もっとみんな恋愛勝者だろう。
そんな難しいことだからこそ、
ラブストーリーというフィクションは面白いのだが、
そもそも自分でも出来ない問題をうまく描くことなんて、
やめといたほうがいいよ、というのが今回の主題である。

極論してみる。
たとえば、
「試合に勝ったらあなたのものになるわ」
とヒロインに言わせてしまうといい。
試合に勝つことは、
ハートをゲットするという、決まった解法のない問題に比べ、
より成功への道筋が見えやすい。
つまり、具体的なストーリーにしやすい。
これは古典的にはよく使われてきた手法だけど、
流石にそんな女は今いないだろうね。
でも年収勝負なんて分かりやすい場もあるしな。

さらに簡単にしてしまおう。
「このボタンを押した人と付き合う」
とヒロインに言わせるとよい。
その瞬間、
それはみんなが奪い合う話にすることが出来る。
ハートをゲットする問題を解決するのではなく、
ボタンを奪い合う問題を解決する、
という話に置き換えてしまうのである。
そうすれば、ニセボタンとかボタンを壊すとか、
そういう変化球も入れていけるし、
奪ったバイクをチェイスするなんてアクションも入れられる。

問題を設定するのは序盤である。
つまり、展開に困ったり、
うまく解決法を思いつかないのは、
あなたの実力が足りないのではなく、
序盤の問題設定に無理があったのだ。

たとえば「はじめの一歩」では、
ヒロイン久美ちゃんのハートをゲットする展開を描くのは、
作者には無理だと思われる。
じゃあ描きやすい問題にしてしまうのだ。
たとえば、「本人は付き合う気はあるのだが、
兄が許さない。そこで兄と試合をすることになる」
ということで、間柴戦の再戦を野試合でやればいいのだ。
そうすれば得意なボクシング展開に持ち込めて、
結末はラブストーリーになるだろう。
(ちなみに車田正美の「リンかけ」で、
僕が二番目に好きなシーンは、
石松が剣崎に、お姉ちゃんを譲るかどうかで河原でケンカをするシーンだ)


問題や解決法を、描くのが簡単なものに置き換える。
簡単な、というのは、
誰もが、ということではなく、
あなたの得意な、と読み替えてもいい。
初心者のうちは自分の得意なんてなかなか自覚できないから、
直感に従うレベルでよい。

安直な、とか、楽な、だと、
誰でも出来る、たいして困難そうでない問題になってしまい、
「この問題をどうやって解決するんだ?」
というストーリーへの興味は失われるだろう。
気をつけたい。


別の例。

「復讐を遂げる」が目的だとする。
復讐物語は強い動機なので、とても面白いストーリーになる確率がたかい。
しかし、そのストーリー自体を描くのは、
様々な技術が必要で難易度がたかい。

ということで、
たとえば、
「その犯人が捕まり、死刑が確定した。
主人公は復讐の権利があるので、
死刑ボタンを押すことを言い渡される」
なんて展開にしてしまう。

解決法はごく簡単だ。
ボタンを押すだけ。
しかし、それに対してコンフリクトを与える。
たとえば恋人の父だったとか、
主人公が死刑廃止論者だとか、
終身刑を望んでいて自らの手を汚したくないとか。
そうすると、ボタンの前では劇的な葛藤が生まれることになる。

解決法は簡単(ボタンを押すか押さないか)だが、
問題は複雑化するのだ。

このボタンというのは便利な小道具だと思う。
ひょっとしたら、
映画に最もよく出てくる小道具はボタンじゃないかな?
(対立候補:人を殺す武器)

勿論、ボタンをメインにしたら安直なので、
いざというときの小道具にしたほうがいいと思うけど。



これは極論なので、
ここまで簡単にする必要もない。
しかし、自分にも解決出来ない問題をあれこれ考えたって、
どうせ思いつかないし、
最後は困ってデウスエクスマキナに頼るか、
ご都合主義にしてしまうのだ。
だとしたら、出来る範囲に序盤を改編して、
中盤を面白くし、
終盤でうまく元の問題にすり替えられるようにしておくといい、
というのが現実的だ。

世界平和に導くとか、
差別撤廃とか、
内戦終結とか、
人の革新とか、
そういう難しい問題でも、
そのストーリー内で、出来る範囲にしてしまうといい。

たとえばガンダム(ファーストに限る)では、
ゴールは「戦争の勝利」だが、
具体的には「要塞陥落をきっかけとした和平交渉成立」
という現実的な解決法へ落としこんでいる。
(人の革新については、土壇場でテレパシーが出来た程度にしか描いておらず、
僕が続編に期待したのはそこだったのだが…)


理想は高く、
解決法は現実的に。
一言で言うとそういうことかも知れない。
それは妥協でもあるし、
作品を完結させるコツでもある。

カタルシスを得たくて大風呂敷を広げたくなるのは、
とても分かる。
しかしそのカタルシスが出来ないのなら、
現実的なカタルシスにリライトしていくべきで、
あなたの出来うるカタルシスに、
変形させていくべきだ。

これは現実ではなく、面白いフィクションなのである。
posted by おおおかとしひこ at 15:31| Comment(4) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
解決するのがあまりにも難しい問題にしてしまう、ですか。
吉良吉影戦で仗助をあまりに追い詰めてしまったため、
作者自身も仗助をどうやって勝たせたら良いのかどうか分からなくなってしまった・・・という荒木飛呂彦の逸話を思い出しました。
Posted by ゆい at 2017年01月09日 19:26
ゆい様コメントありがとうございます。

「問題」は自分への無茶ぶりでもあります。
自分でも解決の予測のできない話は、一見面白そうだから。
でもケツを持てない時点で、作者としては失格なわけですな。

連載漫画はぶっちゃけ、前半でハッタリ効かせて、
後半で逃げ切ればいいけど(JOJOは4部前半で脱落)、
一本で完結する(いわば読み切りの)映画はそうはいかない。
なので、解決と問題は常にペアです。
Posted by おおおかとしひこ at 2017年01月09日 20:15
ちなみに、大岡監督は問題を設定し「解決」を考えるとき
どのような思考プロセスを辿るのでしょうか?
解決を思いつく道筋はどんな感じなんでしょう。
漠然とした質問ですみません。
Posted by ゆい at 2017年01月09日 21:41
まさにそれを書いたのが、
ちょっと前の記事の、前からと後ろから糸を伸ばすイメージの話です。

主人公一人で解決させる必要はないんだ、
協力者や偶然があってもいいのだ、
と分かってからは、ちょっと楽になりましたね。
Posted by おおおかとしひこ at 2017年01月09日 23:03
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