2017年01月10日

ずっと続く勢いと、続かない勢いの差はなんだろう

準備してるか、してないかの差ではないかと考える。


思いつきや勢いのあるときは、
乗ってる時だ。
それは作品を輝かせる。

しかし、人間には不調と好調の波がある。
年単位であるし、月単位でもあるし、日単位もある。
何も占いに頼らなくとも、
今日調子がいいとか悪いとかは、なんとなく分かる。
(分かるのは事前ではなく最中なのが厄介なところだが)

で、人はいい加減なものだから、
好調の時を基準にしてしまう。

好調の時の面白さ、思いつき、実力を、
自分の実力だと錯覚してしまう。

だから、殆どの場合は、
「今日は調子が悪い。ほんとの俺はもっと面白い」
になる。
つまり、
殆ど調子が悪い状態になる。
故障の多い外国車のような。


勢いや思いつきを僕は否定しない。
それは最高に面白く白熱し、
創造の素晴らしさを十分に堪能できる官能である。

だけど、そんなのは作品内に一ヶ所あればいいのだ。
言うまでもなく、クライマックスだと僕は思う。


失速した、なんて言い方がよくあるが、
それは最初の勢いが減じたことを言う。
ピークで始めちゃったんだね。
特に連載はピークで始めないと、
人気がないと打ちきりだからね。
でもピークで始めたら、
人間の調子を考えれば、どこかで失速するのは、
避けられない運命なのである。

勢いは持続しない。
持続しないのを勢いと定義してもいいくらいだ。


ようやく本題。

勢いの途切れない作品を作るためには、
その勢いを事前に準備しておくしかないのだ。
次のネタを用意するしかないのである。
アドリブで話しはじめて途中で詰まるなら、
ネタの順番を書いておくしかないのだ。

私たちが意識のなかでコントロール出来る分量は、
30分も話せば尽きてしまう。
だからその先も詰まらないために、用意するしかない。

それを、
プロット(計画の意味だ)と言うだけに過ぎない。


勢いというのは一時的である。
だからプロットというのは、
最初どういう勢いで、
次にどういう勢いに変わり、
次にどういう勢いに変わり、

クライマックスの最大の勢いはこういう感じ、
ということを、
順番に、かつ矛盾なく自然に書いたもののことを言う。
ちょっとしたメモのことではない。
計画であり、設計図である。

言うまでもなく、勢いと勢いの間には、
ターニングポイントがあるわけだ。


勢いには、
明確な焦点があるかどうかが関係している。

それは登場人物の焦点と、
観客サイドの焦点がある。
一致するのが理想だけど、そうじゃないときもある。
(それを滑っているという)

焦点は、
ほぼ「この目的が達成するかどうかを、
興味や緊張をもって見守れるか?」
ということだ。

最初の勢いがあるのは、
「とにかくどうなるか分からないが、
凄いことが起こってそうだから、
ちょっと見守ろう」という、
観客サイドの焦点の持続であることが多い。

それが序盤の勢いが収まったところで、
「大体どういう世界が分かったのだけど、
この先のことに興味が失せた。
それは大体分かっちゃったから」
になると、失速を感じるのだと思う。

つまり、観客サイドの一方的な焦点が尽きて、
登場人物の焦点と一致していない現象が、
序盤の失速だ。

このことは中盤以降でも同じで、
この先どうなるのだろうという、
観客の期待と不安が、
登場人物のそれと一致していない限りは、
勢いは滑るのである。


どうすればそれを獲得出来るか。
「登場人物とともにストーリーを歩んでいる感覚」
の正体は何か。

それは、感情移入と、
「この世界がどうなっているか大体分かっているが、
全部を把握しているわけではない」
というふたつの感覚の統合ではないかと思う。
それをうまく観客と共有できるとき、
勢いは持続する。


それを、プロット段階で用意できてないと、
アドリブでやらなければならず、
それは早晩、不調の日で滑り始める。


故森田芳光は、二日で脚本を書いたという。
それは名作かどうか置いといて、
勢いを失わずに書きたいという本能が、
そうさせたのではないかと考える。
恐らくだけど、ホテルで缶詰めなんてのは、
そういうイメージだ。(すぐ寝れるし)


経験上、一日で書いたものが勢いが保てる。
僕は30分ものが限界で、
頑張っても60分かなあ。

ということは、
原理的に、不調の日は来る。
それを計画に入れていないから、
失速するのではないだろうか。
つまり、失速しないためには、
失速を経験し、未然に防ぐ反省をしないと出来ない。
反省してても、勢いはバラバラになるけどね。


昨日から勢いの調子が悪い。
こういうときはたっぷり寝るに限るか。

去年からずっと長編を書こうと準備していて、
それは自分が「書ける」と確信するまで、
下調べをしようと思っている。
で、多分、缶詰めで一気に書くんだろう。
逆に、缶詰めで困らないように、
色々なイメージを既に出しておいて、
それらに矛盾がないようにしていて、
かつ分からないところがないようにしとかないと、
それは出来ないと思うのだ。
posted by おおおかとしひこ at 09:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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