準備してるか、してないかの差ではないかと考える。
思いつきや勢いのあるときは、
乗ってる時だ。
それは作品を輝かせる。
しかし、人間には不調と好調の波がある。
年単位であるし、月単位でもあるし、日単位もある。
何も占いに頼らなくとも、
今日調子がいいとか悪いとかは、なんとなく分かる。
(分かるのは事前ではなく最中なのが厄介なところだが)
で、人はいい加減なものだから、
好調の時を基準にしてしまう。
好調の時の面白さ、思いつき、実力を、
自分の実力だと錯覚してしまう。
だから、殆どの場合は、
「今日は調子が悪い。ほんとの俺はもっと面白い」
になる。
つまり、
殆ど調子が悪い状態になる。
故障の多い外国車のような。
勢いや思いつきを僕は否定しない。
それは最高に面白く白熱し、
創造の素晴らしさを十分に堪能できる官能である。
だけど、そんなのは作品内に一ヶ所あればいいのだ。
言うまでもなく、クライマックスだと僕は思う。
失速した、なんて言い方がよくあるが、
それは最初の勢いが減じたことを言う。
ピークで始めちゃったんだね。
特に連載はピークで始めないと、
人気がないと打ちきりだからね。
でもピークで始めたら、
人間の調子を考えれば、どこかで失速するのは、
避けられない運命なのである。
勢いは持続しない。
持続しないのを勢いと定義してもいいくらいだ。
ようやく本題。
勢いの途切れない作品を作るためには、
その勢いを事前に準備しておくしかないのだ。
次のネタを用意するしかないのである。
アドリブで話しはじめて途中で詰まるなら、
ネタの順番を書いておくしかないのだ。
私たちが意識のなかでコントロール出来る分量は、
30分も話せば尽きてしまう。
だからその先も詰まらないために、用意するしかない。
それを、
プロット(計画の意味だ)と言うだけに過ぎない。
勢いというのは一時的である。
だからプロットというのは、
最初どういう勢いで、
次にどういう勢いに変わり、
次にどういう勢いに変わり、
…
クライマックスの最大の勢いはこういう感じ、
ということを、
順番に、かつ矛盾なく自然に書いたもののことを言う。
ちょっとしたメモのことではない。
計画であり、設計図である。
言うまでもなく、勢いと勢いの間には、
ターニングポイントがあるわけだ。
勢いには、
明確な焦点があるかどうかが関係している。
それは登場人物の焦点と、
観客サイドの焦点がある。
一致するのが理想だけど、そうじゃないときもある。
(それを滑っているという)
焦点は、
ほぼ「この目的が達成するかどうかを、
興味や緊張をもって見守れるか?」
ということだ。
最初の勢いがあるのは、
「とにかくどうなるか分からないが、
凄いことが起こってそうだから、
ちょっと見守ろう」という、
観客サイドの焦点の持続であることが多い。
それが序盤の勢いが収まったところで、
「大体どういう世界が分かったのだけど、
この先のことに興味が失せた。
それは大体分かっちゃったから」
になると、失速を感じるのだと思う。
つまり、観客サイドの一方的な焦点が尽きて、
登場人物の焦点と一致していない現象が、
序盤の失速だ。
このことは中盤以降でも同じで、
この先どうなるのだろうという、
観客の期待と不安が、
登場人物のそれと一致していない限りは、
勢いは滑るのである。
どうすればそれを獲得出来るか。
「登場人物とともにストーリーを歩んでいる感覚」
の正体は何か。
それは、感情移入と、
「この世界がどうなっているか大体分かっているが、
全部を把握しているわけではない」
というふたつの感覚の統合ではないかと思う。
それをうまく観客と共有できるとき、
勢いは持続する。
それを、プロット段階で用意できてないと、
アドリブでやらなければならず、
それは早晩、不調の日で滑り始める。
故森田芳光は、二日で脚本を書いたという。
それは名作かどうか置いといて、
勢いを失わずに書きたいという本能が、
そうさせたのではないかと考える。
恐らくだけど、ホテルで缶詰めなんてのは、
そういうイメージだ。(すぐ寝れるし)
経験上、一日で書いたものが勢いが保てる。
僕は30分ものが限界で、
頑張っても60分かなあ。
ということは、
原理的に、不調の日は来る。
それを計画に入れていないから、
失速するのではないだろうか。
つまり、失速しないためには、
失速を経験し、未然に防ぐ反省をしないと出来ない。
反省してても、勢いはバラバラになるけどね。
昨日から勢いの調子が悪い。
こういうときはたっぷり寝るに限るか。
去年からずっと長編を書こうと準備していて、
それは自分が「書ける」と確信するまで、
下調べをしようと思っている。
で、多分、缶詰めで一気に書くんだろう。
逆に、缶詰めで困らないように、
色々なイメージを既に出しておいて、
それらに矛盾がないようにしていて、
かつ分からないところがないようにしとかないと、
それは出来ないと思うのだ。
2017年01月10日
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