動機の話。
登場人物には目的がある。
それは動機があるからだ。
その動機はどこから来てるのか?
まず、作者がわかっていなければならない。
しかしそれだけでは全くの不足だ。
観客がわかっていなければならないからだ。
作者には自明でも、
観客には不明のことがある。
逆に言うと、
観客が把握してさえいれば、
作者が把握してなくても構わない。
極論だけど。
でもないわけではない。
作者はそんなつもりはなくても、
その動機を描いたエピソードが余りにも出来が良くて、
作者以上に沢山のことを考えてくれるような場合があるからだ。
(それは幸福な例で、
計算以上に物語がうねるだろう)
いずれにせよ、
その動機を観客が理解すること。
さらに、理解するだけじゃだめだ。
本気で心配してくれることだ。
本気で心配してくれると、
それは感情移入の半分を達成したようなものだ。
「この人は貧乏で死にそうです」
と説明されたって、観客は入ってこない。
「財布に残された金で、二時間待った値引きのおにぎりが買えなかった」
みたいなエピソードがあって、
はじめて「この人は貧乏で死にそうなのだ」
と観客は「わかる」のである。
つまり、その分かる過程で、
身を乗り出し、ストーリーに入ってきている。
だから心配してくれるのだ。
動機や状況を、
どれだけ説明しても意味がない。
観客が心配してくれるように、
エピソードを組み立てるのである。
2017年01月12日
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