2017年01月12日

なぜ、どうして、その人はそんなにもそれをしたいのか

動機の話。

登場人物には目的がある。
それは動機があるからだ。

その動機はどこから来てるのか?


まず、作者がわかっていなければならない。
しかしそれだけでは全くの不足だ。
観客がわかっていなければならないからだ。

作者には自明でも、
観客には不明のことがある。

逆に言うと、
観客が把握してさえいれば、
作者が把握してなくても構わない。
極論だけど。

でもないわけではない。
作者はそんなつもりはなくても、
その動機を描いたエピソードが余りにも出来が良くて、
作者以上に沢山のことを考えてくれるような場合があるからだ。
(それは幸福な例で、
計算以上に物語がうねるだろう)


いずれにせよ、
その動機を観客が理解すること。

さらに、理解するだけじゃだめだ。
本気で心配してくれることだ。

本気で心配してくれると、
それは感情移入の半分を達成したようなものだ。


「この人は貧乏で死にそうです」
と説明されたって、観客は入ってこない。
「財布に残された金で、二時間待った値引きのおにぎりが買えなかった」
みたいなエピソードがあって、
はじめて「この人は貧乏で死にそうなのだ」
と観客は「わかる」のである。
つまり、その分かる過程で、
身を乗り出し、ストーリーに入ってきている。
だから心配してくれるのだ。


動機や状況を、
どれだけ説明しても意味がない。
観客が心配してくれるように、
エピソードを組み立てるのである。
posted by おおおかとしひこ at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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