2017年01月14日

自己表現という履き違え2

これは書く側の勘違いだけではない。
プロデューサーなど、間に立つ人にも蔓延していることが多い。


もっと自分をさらけ出してみたら、とか、
君ならではの体験を書いてみたら、とか、
もっと迫真になるには、君自身を書けばいいとか、
君ならではの表現って?と聞いてきたりとかは、
ストーリーを自己表現だと勘違いしたものからの発言、
ということが多いと思う。

正確にいうと、
その人は、
そのストーリーを面白いと思っていない。
あるいは、そのストーリーが面白い面白くないかの判断をすることを、
停止している。
(理由として考えられるのは、センスがないと自覚している、
ホントに分からない、アーティストに口を出すべきでないと自覚している、
などである。
そういう人にストーリーが面白いかどうかの相談をすると、
大抵上の問いが帰ってくる。
つまり論点のすり替えである)

彼らにとって、ストーリーが面白い面白くないかよりも、
売りに繋がるかどうか、のということがポイントだ。
だから、売り文句を作りやすい個性を探している、
と言っても過言ではない。
これは、アイドルの売り出しと同様で、
キャッチコピーを書きやすい個性があるかどうか、
ということを彼らは言っていると思った方がいい。

ヤンチャ系、清楚な大本命、落ち着いたメルヘン、
元気印、いつもにこやか、見る人を元気にしたい、
などなど、そういうものをイメージするといい。

彼らはそれが売れるかどうかについての、
売り手の責任を負わない。
(正確にいうと、複数の仕事を抱えていて、
そのどれかが売れると飯が食える仕組みである。
複数の作家にベットしている最中なのである)
ただ、仲買人として、
次の買い手(これは直接観客ではなく、
部長や製作委員会や、映画館の館主や宣伝部などだ)
に向けて、売りをイメージさせやすいものを、
買い付けようとしているのである。

だから、もっと自己表現をしたらどうか、
と、誤ったアドバイスをするのだ。

実際のところ、
よほどの個性がある文章で、
かつ面白いものを書く人はほとんどいない。

そもそも面白いストーリーというものは、
簡明で無個性な文章で、面白い内容を示すべきだと僕は思う。
それに自分色をつけてはどうかというアドバイスは、
「そうしたほうが次の人に説明しやすい」
というビジネス上の理由に過ぎない。

だったら仲買人が適当に嘘をついてキャッチコピーを書くべきだと僕は思う。
本人にこういう売り方をすると売れると思う、
と正直に言うか、黙ってやっちゃうかは関係性かもしれないが。

そもそも映画に個性をつけるのは、
監督や俳優であるべきで、
脚本は消えてなくなるものである。
そこに、自己表現をと求める仲買人は、
僕は勘違いも甚だしいと考える。


さて。

そういう誤解にさらされて、
プレッシャーを受け、
自分らしさとは何かという迷路に入る必要はない。
ただ面白い話を書きなさい。

もし個性を問われたら、
見つけてくださいと、頼んでみるといい。
それが気にくわなければ、嘘でもいいから用意していくといい。

アイドルのキャッチコピーを調べてみたまえ。
覚えやすいけれど、
彼女たちのパーソナリティーとは、
おおよそ関係のない嘘ばかりだぜ。
(たとえば渡辺麻友のキャッチコピーは、
「み〜んなの視線を、いただきまゆゆ〜。」である)

彼らのほしいのは、そういう「個性」なんだ。
(そして現在の販売ルートで、
そのやり方が100%成功する時代ではないのに、
業界の売り方はその旧態依然である。
つまり、新しい売られ方は発明されていない)
posted by おおおかとしひこ at 15:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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