これは書く側の勘違いだけではない。
プロデューサーなど、間に立つ人にも蔓延していることが多い。
もっと自分をさらけ出してみたら、とか、
君ならではの体験を書いてみたら、とか、
もっと迫真になるには、君自身を書けばいいとか、
君ならではの表現って?と聞いてきたりとかは、
ストーリーを自己表現だと勘違いしたものからの発言、
ということが多いと思う。
正確にいうと、
その人は、
そのストーリーを面白いと思っていない。
あるいは、そのストーリーが面白い面白くないかの判断をすることを、
停止している。
(理由として考えられるのは、センスがないと自覚している、
ホントに分からない、アーティストに口を出すべきでないと自覚している、
などである。
そういう人にストーリーが面白いかどうかの相談をすると、
大抵上の問いが帰ってくる。
つまり論点のすり替えである)
彼らにとって、ストーリーが面白い面白くないかよりも、
売りに繋がるかどうか、のということがポイントだ。
だから、売り文句を作りやすい個性を探している、
と言っても過言ではない。
これは、アイドルの売り出しと同様で、
キャッチコピーを書きやすい個性があるかどうか、
ということを彼らは言っていると思った方がいい。
ヤンチャ系、清楚な大本命、落ち着いたメルヘン、
元気印、いつもにこやか、見る人を元気にしたい、
などなど、そういうものをイメージするといい。
彼らはそれが売れるかどうかについての、
売り手の責任を負わない。
(正確にいうと、複数の仕事を抱えていて、
そのどれかが売れると飯が食える仕組みである。
複数の作家にベットしている最中なのである)
ただ、仲買人として、
次の買い手(これは直接観客ではなく、
部長や製作委員会や、映画館の館主や宣伝部などだ)
に向けて、売りをイメージさせやすいものを、
買い付けようとしているのである。
だから、もっと自己表現をしたらどうか、
と、誤ったアドバイスをするのだ。
実際のところ、
よほどの個性がある文章で、
かつ面白いものを書く人はほとんどいない。
そもそも面白いストーリーというものは、
簡明で無個性な文章で、面白い内容を示すべきだと僕は思う。
それに自分色をつけてはどうかというアドバイスは、
「そうしたほうが次の人に説明しやすい」
というビジネス上の理由に過ぎない。
だったら仲買人が適当に嘘をついてキャッチコピーを書くべきだと僕は思う。
本人にこういう売り方をすると売れると思う、
と正直に言うか、黙ってやっちゃうかは関係性かもしれないが。
そもそも映画に個性をつけるのは、
監督や俳優であるべきで、
脚本は消えてなくなるものである。
そこに、自己表現をと求める仲買人は、
僕は勘違いも甚だしいと考える。
さて。
そういう誤解にさらされて、
プレッシャーを受け、
自分らしさとは何かという迷路に入る必要はない。
ただ面白い話を書きなさい。
もし個性を問われたら、
見つけてくださいと、頼んでみるといい。
それが気にくわなければ、嘘でもいいから用意していくといい。
アイドルのキャッチコピーを調べてみたまえ。
覚えやすいけれど、
彼女たちのパーソナリティーとは、
おおよそ関係のない嘘ばかりだぜ。
(たとえば渡辺麻友のキャッチコピーは、
「み〜んなの視線を、いただきまゆゆ〜。」である)
彼らのほしいのは、そういう「個性」なんだ。
(そして現在の販売ルートで、
そのやり方が100%成功する時代ではないのに、
業界の売り方はその旧態依然である。
つまり、新しい売られ方は発明されていない)
2017年01月14日
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