2017年01月15日

動機2

動機の話、つづき。

逆に言えば、動機は説明されるべきものではなく、
観客が感情移入するエピソードで、示すべきだ。


この人はこういう動機だから、こんなに必死なのである、
なんて風に観客は理解しない。
ただ感情移入するかどうかしかでしかない。

「説明」なんてのは、ムービーの中では規定事実でしかなく、
観客が身を乗り出すに値しないものである。
身を乗り出すのは、感情の震えるときだけである。

だから、あなたは自分の納得を説明したって意味がない。
そんなことしてるくらいなら、もっと面白い話を見せてくれよ、
なんて観客は思っているのだ。

「僕は今怒ってるんだ」と説明するよりも、
大事なものをびりびりに破いたり壊して、
相手がショックを受ける方が、
話としては上等なのである。


感情移入できるエピソードとはなにか。
感情が普段でなく乱れるとよい。
フラットな、通常状態の感情には感情移入しにくい。

で、情緒不安定でない限り、
感情というものは、
「予測できていないこと」や、
「普段接していないこと」が現れたときに起こる。
動揺で、感情を隠す余裕がなくなり、
外から見ても明らかにわかるようになるわけだ。

動揺や驚きのあとは、
安心したり納得しようとしたりするものだ。
つまり、発言や行動が出てくる。
それを、リアクションという。

つまり、感情移入に値するエピソードとは、
何かが起こったときに、
感情が乱れ、
普段とは違う言動をすることで作られる。


三幕理論の一幕において、
カタリスト(日常から非日常へ至る事件の発生)から、
主人公を10分追えということは、
このようなエピソードを用意せよ、
ということに他ならないと思う。
感情移入は、早目に越したことはないからである。



あるいは、初期の動機から、
別の動機へ途中で変わる場合もある。
状況変化によってだ。
A子ちゃんが好きだったのにB子ちゃんに恋したり、
締め切りに間に合わなかったため、強行手段に出たりなどだ。
これはターニングポイントによってなされる。
勿論そのときも、
当初の目的と違う状況になることで動揺し、
感情があらわになるだろう。
その時にその人物の本音が出る。
こうして、物語というのは、
その人の本音の生々しい感情に肉迫してゆくものなのだ。

それが妥当であればあるほど
(理不尽に怒ったり、悲しいことに悲しんだり、
グッドニュースに喜んだり、
企みの次の手を考えたり)、
その感情へ一体化することは容易になる。

感情移入とは、その人の感情に、観客の感情が一致することだ。
その言動に観客の感情が一致すれば、
感情移入は起こるわけだ。


逆に、感情移入も出来ないストーリーでは、
感情の遊離が起こる。
動機に興味がなくなってゆく。
こうして、つまらない話になってゆくのである。

勿論最初は説明から入る。
しかし、いつの間にか感情を震わせる。
そういうものに、人は夢中になる。
posted by おおおかとしひこ at 13:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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