動機の話、つづき。
逆に言えば、動機は説明されるべきものではなく、
観客が感情移入するエピソードで、示すべきだ。
この人はこういう動機だから、こんなに必死なのである、
なんて風に観客は理解しない。
ただ感情移入するかどうかしかでしかない。
「説明」なんてのは、ムービーの中では規定事実でしかなく、
観客が身を乗り出すに値しないものである。
身を乗り出すのは、感情の震えるときだけである。
だから、あなたは自分の納得を説明したって意味がない。
そんなことしてるくらいなら、もっと面白い話を見せてくれよ、
なんて観客は思っているのだ。
「僕は今怒ってるんだ」と説明するよりも、
大事なものをびりびりに破いたり壊して、
相手がショックを受ける方が、
話としては上等なのである。
感情移入できるエピソードとはなにか。
感情が普段でなく乱れるとよい。
フラットな、通常状態の感情には感情移入しにくい。
で、情緒不安定でない限り、
感情というものは、
「予測できていないこと」や、
「普段接していないこと」が現れたときに起こる。
動揺で、感情を隠す余裕がなくなり、
外から見ても明らかにわかるようになるわけだ。
動揺や驚きのあとは、
安心したり納得しようとしたりするものだ。
つまり、発言や行動が出てくる。
それを、リアクションという。
つまり、感情移入に値するエピソードとは、
何かが起こったときに、
感情が乱れ、
普段とは違う言動をすることで作られる。
三幕理論の一幕において、
カタリスト(日常から非日常へ至る事件の発生)から、
主人公を10分追えということは、
このようなエピソードを用意せよ、
ということに他ならないと思う。
感情移入は、早目に越したことはないからである。
あるいは、初期の動機から、
別の動機へ途中で変わる場合もある。
状況変化によってだ。
A子ちゃんが好きだったのにB子ちゃんに恋したり、
締め切りに間に合わなかったため、強行手段に出たりなどだ。
これはターニングポイントによってなされる。
勿論そのときも、
当初の目的と違う状況になることで動揺し、
感情があらわになるだろう。
その時にその人物の本音が出る。
こうして、物語というのは、
その人の本音の生々しい感情に肉迫してゆくものなのだ。
それが妥当であればあるほど
(理不尽に怒ったり、悲しいことに悲しんだり、
グッドニュースに喜んだり、
企みの次の手を考えたり)、
その感情へ一体化することは容易になる。
感情移入とは、その人の感情に、観客の感情が一致することだ。
その言動に観客の感情が一致すれば、
感情移入は起こるわけだ。
逆に、感情移入も出来ないストーリーでは、
感情の遊離が起こる。
動機に興味がなくなってゆく。
こうして、つまらない話になってゆくのである。
勿論最初は説明から入る。
しかし、いつの間にか感情を震わせる。
そういうものに、人は夢中になる。
2017年01月15日
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