初心者の脚本にありがちなのが、
逆に間を指定しすぎることである。
ここで間をとって、とか、
早口で、とか、
畳み掛けるように、とか、
食いぎみで、とか、
いきなり、とか、
徐々にヒートアップしてとか
(この辺ではゆっくり、ラストは倍ぐらいまで速くとか)、
まるで楽譜の♪=120の指示記号のように書いてしまう人がいる。
そんなの知ったことか、である。
演じる役者は、自分の生理で喋る。
肉体と顔と口が、一人一人違うからである。
筋肉も神経も違う。
監督も、編集者も独特の間をもっている。
それらの統合が映画のテンポになる。
だから、脚本に物理的スピードを書いても意味がない。
楽譜とは厳密に違う。
じゃあ何がテンポを決めるのかと言えば、
意味の密度である。
意味の密度が高いところは濃く、
薄いところは薄いのである。
これが、
役者の生理によってスピードに変換され、
役者同士の間になり、
監督のシーンの組み立ての設計になり、
編集のハサミの位置を決めるのである。
意味の量や密度は、
字面だけで計測できるものではない。
その秒数で意味を把握できるかどうか、
という感覚に過ぎない。
脚本というのは、それをリズムとするのである。
漫画や小説でも、それを計算する
(黙読であっても、言葉は音として響くだろう)
だろうけれど、
脚本の言葉は、意味の密度を物理スピードに対応して考えるものだ。
たとえ早口で言ったとしても、
意味が取りづらければ、
次の台詞までに無意識に間をあける。
人というのはそういう生理で生きている。
テンポ感は、字面の長短とか、改行の多さとかではない。
意味の量や密度で決定される。
(だからリライトのとき、見た目でなかなか判断出来ない)
2017年01月17日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック