2017年01月18日

「自分の期待したものと違う」という文句

まとめサイトで知って驚いたのだけど、
小説家が、そういう苦情が多いとツイートしたのが話題になったそうな。

お前の期待なんか知らんがな。
書いている人間の本音はそうだ。
でも読者はどれが良さそうかなんて、
読み終えるまで分からない。

間にたつべき宣伝部が、両者を結ぶ仕事をしてない証拠だ。


もっとも、落ちを言うわけにいかないから、
宣伝部は言わないことで本質を匂わせなければならない。
僕が度々例に出す、
「となりのトトロ」のキャッチコピー、
「忘れものを届けにきました。」は、
その役割を完璧に果たしている名コピーのひとつだ。

コピーは宣伝部が書く。
つまり、宣伝部や編集者に、
文筆能力がない証である。
本が売れないのが先か、出版社の実力低下が先か、
卵と鶏のようなものだと思う。

ちなみにコピーの能力がないから、
外部のコピーライターを雇った例に、
映画「オデッセイ」がある。
キャッチコピーはもう忘れてしまったが、
この邦題もそのコピーライターが付けたそうな。
原題「Martian」(火星の人)をメタメタにする世紀の悪邦題であったことについては、
過去記事に書いたので参照されたい。
雇ったコピーライターの能力がなかったのか、
判断した宣伝部の能力がなかったのかは、
そのチームを解析してみないと分からないが、
結果は惨憺であった。


宣伝とは、
客と作家の間にたつべきである。
どちらの意見も汲んだ上で、
ベストの出会いをさせることである。

今客が何を求めているかをつかみ、
あるいは、まだ言葉になっていない集合的無意識をつかみ、
そこにいい波を起こすことである。

過去の売れたものに似たものを、
本質を歪めて売ることではない。

もし件の作家がそういう売られ方をしていたら、
不幸としか言いようがない。


ちなみに作家は、宣伝の仕方に異を唱えることは出来ない仕組みが多い。
ドラマ「風魔の小次郎」も、
映画「いけちゃんとぼく」も、
宣伝の仕方は間違っていたと僕は思う。
間違っていると僕は何度もいい、代替案も出したが無視された。
もうこういう話で進んでいるから変更できないという理由で。
相談もなかったくせに。
特に角川映画の宣伝は酷く、僕は二度と角川の敷居を跨ぐことはない。

あの宣伝を見て、
思ったものと違ったと苦情を言われても、
すいませんと謝る気すらしない。
(だから、予告編ディレクターズカットを作ったりしたのだが。
暇ならポスターも作ってやるかな)



さらに言うと、
思ったものと違ったから、
それはそれで楽しめない客も、
未熟だなあと単純に思う。
「何が来るのか分からない」が物語なんだからさ。

そんな人は、
マクドナルドのハンバーガーが写真と違ったら、
思ったものと違ったとクレームを言うのかな。
こんなもんかと誰かと愚痴って終わりなはずだよね。
純粋に個人的経験な小説や映画が、
不満の捌け口を探して、
ネットに流されやすいという構造もあるのだろう。
マクドナルドの店員に直接言わずに、
ネットで作者に直接苦情を言うのは、
リアル対面かどうかということも関係している。

つまり、
みんなネット番長なんだろう。
日本人のクレーム体質は、陰湿だと僕は思う。
直接話をしましょう、に弱いから、
攻撃を受けない形でクレームを言うんだね。

困ったものだ。


作者はたった一人で戦っている。
それを守ったり、うまく間を取り持つために、
間にたつ人がいる。筈だ。
それが機能しないのなら、
チームでやる意味なんてねえんじゃねえか。
そろそろ、旧態依然としたチームが、チームとして機能不全なんじゃないか。
うっすら不安に思っていることは、
たぶんほんとだ。
posted by おおおかとしひこ at 10:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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