まとめサイトで知って驚いたのだけど、
小説家が、そういう苦情が多いとツイートしたのが話題になったそうな。
お前の期待なんか知らんがな。
書いている人間の本音はそうだ。
でも読者はどれが良さそうかなんて、
読み終えるまで分からない。
間にたつべき宣伝部が、両者を結ぶ仕事をしてない証拠だ。
もっとも、落ちを言うわけにいかないから、
宣伝部は言わないことで本質を匂わせなければならない。
僕が度々例に出す、
「となりのトトロ」のキャッチコピー、
「忘れものを届けにきました。」は、
その役割を完璧に果たしている名コピーのひとつだ。
コピーは宣伝部が書く。
つまり、宣伝部や編集者に、
文筆能力がない証である。
本が売れないのが先か、出版社の実力低下が先か、
卵と鶏のようなものだと思う。
ちなみにコピーの能力がないから、
外部のコピーライターを雇った例に、
映画「オデッセイ」がある。
キャッチコピーはもう忘れてしまったが、
この邦題もそのコピーライターが付けたそうな。
原題「Martian」(火星の人)をメタメタにする世紀の悪邦題であったことについては、
過去記事に書いたので参照されたい。
雇ったコピーライターの能力がなかったのか、
判断した宣伝部の能力がなかったのかは、
そのチームを解析してみないと分からないが、
結果は惨憺であった。
宣伝とは、
客と作家の間にたつべきである。
どちらの意見も汲んだ上で、
ベストの出会いをさせることである。
今客が何を求めているかをつかみ、
あるいは、まだ言葉になっていない集合的無意識をつかみ、
そこにいい波を起こすことである。
過去の売れたものに似たものを、
本質を歪めて売ることではない。
もし件の作家がそういう売られ方をしていたら、
不幸としか言いようがない。
ちなみに作家は、宣伝の仕方に異を唱えることは出来ない仕組みが多い。
ドラマ「風魔の小次郎」も、
映画「いけちゃんとぼく」も、
宣伝の仕方は間違っていたと僕は思う。
間違っていると僕は何度もいい、代替案も出したが無視された。
もうこういう話で進んでいるから変更できないという理由で。
相談もなかったくせに。
特に角川映画の宣伝は酷く、僕は二度と角川の敷居を跨ぐことはない。
あの宣伝を見て、
思ったものと違ったと苦情を言われても、
すいませんと謝る気すらしない。
(だから、予告編ディレクターズカットを作ったりしたのだが。
暇ならポスターも作ってやるかな)
さらに言うと、
思ったものと違ったから、
それはそれで楽しめない客も、
未熟だなあと単純に思う。
「何が来るのか分からない」が物語なんだからさ。
そんな人は、
マクドナルドのハンバーガーが写真と違ったら、
思ったものと違ったとクレームを言うのかな。
こんなもんかと誰かと愚痴って終わりなはずだよね。
純粋に個人的経験な小説や映画が、
不満の捌け口を探して、
ネットに流されやすいという構造もあるのだろう。
マクドナルドの店員に直接言わずに、
ネットで作者に直接苦情を言うのは、
リアル対面かどうかということも関係している。
つまり、
みんなネット番長なんだろう。
日本人のクレーム体質は、陰湿だと僕は思う。
直接話をしましょう、に弱いから、
攻撃を受けない形でクレームを言うんだね。
困ったものだ。
作者はたった一人で戦っている。
それを守ったり、うまく間を取り持つために、
間にたつ人がいる。筈だ。
それが機能しないのなら、
チームでやる意味なんてねえんじゃねえか。
そろそろ、旧態依然としたチームが、チームとして機能不全なんじゃないか。
うっすら不安に思っていることは、
たぶんほんとだ。
2017年01月18日
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