アイデアをたくさん出すのを日常にしている人、
つまり我々は分かっているけれど、
アイデアを出す経験をしてない人が分かってないこと。
「アイデアは思った方向に向かわない」ということ。
野球のピッチャーにたとえると、
どこに球が飛ぶか分からないのが、アイデアを出すことだ。
しかしアイデアを出さない人は、
針の穴を通せると思っている。
さらにピッチャーにたとえよう。
アイデアは、球の速度のようなものである。
しょぼいアイデアはぺしょっと落ちる。
素晴らしいアイデアは、剛速球である。
アイデアを競うことは、
その凄さ=剛速球度合いを競うことだ。
ところで、どこに飛ぶか分からないのがアイデアの本質である。
予想のつくものはアイデアではないからである。
だから、アイデアというのは、
コントロールが効かないことが、
その本質なのである。
ある程度慣れてくると、
ストライクをとるぐらいには、
コントロールが効くようになってくる。
しかしそれは、大体ストライク、という範囲だ。
ここ1センチ角を通るアイデア、なんて制御は出来ない。
たとえば、
「今ピンチの主人公が逆転する、
あっというアイデア。かつ過去に例がないもの」
という範囲内なら色々と可能だけど、
「ついでにCMにもなり、PVにも使えて、
好感度を取り、クレームが来なくて、
みんなが真似しないもので、
○○さんと△△さんの意見を集約して、
かつ大ヒットで予算回収」
なんて範囲を狭めて、
それらを全て満たすアイデアを出すことは、不可能だ。
旅行にたとえよう。
「今の気分を晴らす旅行」という計画のアイデアを立てることは可能だけど、
「予算が1万円で、○○も連れていけて、
かつ酒も飯もうまく、宿もコンフォート、
ついでに行き来が楽で、まだ誰も知らないところで、
かつ仕事の都合でいつでもキャンセル可能なもの」
のアイデアを出すことは相当難しい。
多分無理だろう。
アイデアは、制限が緩い方が豊かに出る。
締めれば締めるほど、
その針の穴のコントロールは効かない。
針の穴を通せるのはスローボールだけだ。
だから最近の作品は、目の覚めるような剛速球じゃないのだ。
アイデアを出してください、
と自分でアイデアを出さない人ほど、
アイデアを出す苦労や、
アイデアの性質を知らない。
条件がキツイです、と弱音を吐けば、
じゃその条件でやってくれる他の人を探すよ、
となるものだ。
だから今、
明後日の方向に投げてはストライクに入ってないと繰り返して、
肩を壊していくピッチャーが続出し、
肩を温存するが登板機会がない人たちが管をまいていて、
世に出るものはスローボールだらけなのである。
「制限を緩めるよ、なんでもいいから面白いものを」。
それは、今のテレビや映画から事実上失われたものである。
あるのはネットだ。
無法地帯だからこそネットは面白いのだ。
(それもそのうち規制が入るだろうけれど。
たとえばバカッターあたりから、そういうことが言われ始めたね)
アイデアを出そう。
それはどこにいくか分からない。
受け入れ先があれば、
その剛速球は実現する。
もし、「ここに」「ピンポイントで」
と指定されるのなら、
そのどれかに優先順位をつけて、
一番大事なものをひとつだけ守ってアイデア出しをすればいい。
多少ピンポイントを外れても剛速球を好むか、
ピンポイントに入ること優先でスローボールでもいいのか、
それは依頼者次第でしかないのが、
辛いところだね。
世の中は、剛速球が好きである。
しかし商人(他人の出したアイデアを金に変える人)は、
トラブルは嫌がる。
だから、制限ばかりが増えていく。
アイデアマン受難の時代である。
アイデアひとつで一攫千金、
は現実的ドリームではないような気がする。
それでも僕らは、明後日の方向にでもいいから、
剛速球を投げ続ける。
スローボールなんか投げちゃいけない。
2017年01月20日
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