2017年01月27日

話の構造の具体例

とりあえず適当に作ってみた、
次の例で議論してみる。


たとえばこういうドキュメントがあったとする。

「おばあちゃんのエベレスト」

80才のおばあちゃんが、死ぬ前にエベレストに登りたいと言い出した。
みんな無茶だと止めるが、
おばあちゃんは聞かない。
一人で行って死んでもいいと。
お金がかかると言っても、ガイド代や入山料、
航空運賃や旅の段取りまで全て計算ずみである。
死なれては困るからと、家族もその計画に巻き込まれることに。
色々あった末、おばあちゃんは登頂に成功。
ここではじめて、死んだおじいさんの若い頃の写真を出す。
結婚するとき、「世界一の高みを目指そう」と約束したおじいさん。
これで思い残すことはないと、
おばあちゃんは帰国する。

次は深海に潜る計画を立てているらしい。
「世界で一番落ち込んでも一緒だ」と返した約束を果たしに。



80の老婆がエベレストに登れるかどうか。
これがこの話の肝である。
リアリティーについては調べていないので、
「絶対無理」から、「条件によっては可能」まで、
様々な相がありえる。
ここでは、なんとか可能だと仮定して以下を進める。

この、
「普段ではあり得ない、面白そうなこと」が、
目玉である。

フィクションの中では目玉としては弱そうなので、
ここでは「ほんとにあった」という体のドキュメントの形を取らせて貰った。
(フィクションでは、逆に、
もっと目玉を考える必要があるわけだ)

さて、
この話は、強い動機によって進行する。
物語の牽引は、あくまで動機の強いおばあちゃんだ。
死ぬ前にしたいことならしょうがないか、
と、動機の強さに周囲が協力していく構図だ。

障害は沢山ある。
金と家族(初期の反対者)がなんとかなっても、
実際に登頂するまでは色々あるだろう。
エベレストという物理的な非人間の障害もあるし、
ガイドとうまくいかないなんて、人間の反対者もいるだろう。
現地で詐欺に遭うかもしれないし、
高地トレーニングなんかもするかもだ。

そして、この話の感動的なところは、
外的目的が、内的目的の達成と一致したところにある。
外的目的は、
絵で一発で表現できる「エベレスト登頂の成功」だけど、
内的目的は、
抽象的な「死んだじいさんとの約束を果たす」ということだ。

そしてこの内的目的は、最後に明かされる構造だ。
動機を最初に明かしてしまうと、
あとは成功するかどうかしか興味がなくなる。
短編では最後に明かした方がよく、
長編では半ばで明かした方がいいかも知れない。
ばあさんなりの滅茶苦茶な愛しかたが分かるのが、
最初がいいか半ばがいいか、ラストがいいかどうかだ。
実際には、ばあちゃんのキャラやストーリー展開によって、
ベストは変わりうる。


これらの構造から言えることは、
「人は、愛を貫く」という、ごく普遍的なテーマである。
テーマが新規で珍奇である必要はない。
(若い頃はやりたがる)
普遍的な手垢のついたテーマでも、
表現が面白ければ(目玉があったり、絵が新しかったり、
知らないことを知る過程があったり)、
それは「新しい話」になるのである。


また、サゲがそれを強化している。
このサゲがなければ、ただの感動ドキュメントに終わるかも知れない。
ところが、深海を出したことで、
愛の本質(いいときだけじゃなくて、悪いときも一緒にいようということ)
を上手いこと言っているわけだ。
サゲはテーマを定着させる。
クライマックスで示した成功(テーマの象徴)に、
アンサーソングとして対句になる構造で。


これで、物語に必要な要素は大体そろった。

目玉。(婆さんがエベレストを登る)
動機。外的目的。(死ぬ前にしたいことは、エベレスト登頂)
内的目的。(それは死んだじいさんとの約束)
反対者。非人間障害。(家族、金、山そのもの)
非日常世界というスペシャルワールド。(山そのものや行程)
クライマックス。(登頂)
テーマ。(人は、愛を貫く)
サゲ。(さらに対句)


ドキュメントだから、
「ほんとにあった凄み」がこれらを担保している。
もしフィクションならばどうだろう。
「この主人公や周囲への感情移入」が必要だと思う。
嘘だとしても、好きになってしまったらその先が気になるからである。

(中間であり得るのは、
実際の、夫を亡くした、有名芸能人のドキュメントを作ることだ。
感情移入の必要がなく、みんな好きな人だからだ。
あるいはアニメで可能か?
たとえばサザエさんの波平が死んだとして、
その一年後、舟が急にこういうことを言い出した、
ならなんか面白そうな気がする。
周囲のリアクションが想像がつくからである。
このとき、私たちはサザエさんの登場人物を、
有名芸能人並によく知っているから、
感情移入がしやすいのである。
それが誰か知らない時点から、
ここまでの感情移入を取得しなければならないから、
映画脚本というのは難しいのだ)


さらに、ガワが必要だろう。

キャラクターの魅力や、
登山界の蘊蓄や、旅行的な面白さがいる。
名台詞も必要だ。
音楽もいい音楽が欲しいね。


さて、そもそもこの目玉「老婆がエベレスト登頂成功」に、
どれくらいのリアリティーがあるのだろう。
ここまできて、
初めてリサーチを始めてみるのである。
酸素濃度に耐えることや、夏山のどれくらいの時期なら行けるのかとか、
(その日はじいさんの命日、なんてドラマチックな設定を後付けしてもよい)
そういうリアリティーが、
中盤の障害としてうまく使えるだろう。

そうすれば、
「不可能を可能にする」という、
「問題とその解決の物語」に、
絶妙な難易度を設定することが可能になるはずだ。

(今調べたら、73歳で登頂した日本人の婆さんがいるらしい。
不可能ではないということだね。ポピュラーでもないわけだ)

中盤は、不可能を可能にすることが沢山出てくるだろう。
それは取材しなければ、リアリティーがなく、
詰まらなくなるに違いない。


おばあちゃんのエベレストという例で、
物語に必要な一通りの要素と構造を確認できたかな?
じゃああとは、
あなたの話に置き換えればわかるはずだよ。
posted by おおおかとしひこ at 20:04| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
内向目的は序盤のうちに提示しなければならないものだと思ってました。(キャラの心の内を見せることでより深く感情移入をさせ物語に興味を持たせる、的な意味で)構成次第では最後でもありなんですね。
Posted by アルソック at 2017年01月28日 01:56
アルソック様コメントありがとうございます。

勿論原則はそうです。
うまくいかないときは構成で工夫しても良いです。
婆さんの気持ちに興味を持たせることは難しいので、
ヘンテコ婆さんという牽引をしてみたわけですな。

ストーリーの長さにもよると思います。
短編ほど、構成はオーソドックスにしないほうが面白いかと。
Posted by おおおかとしひこ at 2017年01月28日 14:02
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