とりあえず適当に作ってみた、
次の例で議論してみる。
たとえばこういうドキュメントがあったとする。
「おばあちゃんのエベレスト」
80才のおばあちゃんが、死ぬ前にエベレストに登りたいと言い出した。
みんな無茶だと止めるが、
おばあちゃんは聞かない。
一人で行って死んでもいいと。
お金がかかると言っても、ガイド代や入山料、
航空運賃や旅の段取りまで全て計算ずみである。
死なれては困るからと、家族もその計画に巻き込まれることに。
色々あった末、おばあちゃんは登頂に成功。
ここではじめて、死んだおじいさんの若い頃の写真を出す。
結婚するとき、「世界一の高みを目指そう」と約束したおじいさん。
これで思い残すことはないと、
おばあちゃんは帰国する。
次は深海に潜る計画を立てているらしい。
「世界で一番落ち込んでも一緒だ」と返した約束を果たしに。
80の老婆がエベレストに登れるかどうか。
これがこの話の肝である。
リアリティーについては調べていないので、
「絶対無理」から、「条件によっては可能」まで、
様々な相がありえる。
ここでは、なんとか可能だと仮定して以下を進める。
この、
「普段ではあり得ない、面白そうなこと」が、
目玉である。
フィクションの中では目玉としては弱そうなので、
ここでは「ほんとにあった」という体のドキュメントの形を取らせて貰った。
(フィクションでは、逆に、
もっと目玉を考える必要があるわけだ)
さて、
この話は、強い動機によって進行する。
物語の牽引は、あくまで動機の強いおばあちゃんだ。
死ぬ前にしたいことならしょうがないか、
と、動機の強さに周囲が協力していく構図だ。
障害は沢山ある。
金と家族(初期の反対者)がなんとかなっても、
実際に登頂するまでは色々あるだろう。
エベレストという物理的な非人間の障害もあるし、
ガイドとうまくいかないなんて、人間の反対者もいるだろう。
現地で詐欺に遭うかもしれないし、
高地トレーニングなんかもするかもだ。
そして、この話の感動的なところは、
外的目的が、内的目的の達成と一致したところにある。
外的目的は、
絵で一発で表現できる「エベレスト登頂の成功」だけど、
内的目的は、
抽象的な「死んだじいさんとの約束を果たす」ということだ。
そしてこの内的目的は、最後に明かされる構造だ。
動機を最初に明かしてしまうと、
あとは成功するかどうかしか興味がなくなる。
短編では最後に明かした方がよく、
長編では半ばで明かした方がいいかも知れない。
ばあさんなりの滅茶苦茶な愛しかたが分かるのが、
最初がいいか半ばがいいか、ラストがいいかどうかだ。
実際には、ばあちゃんのキャラやストーリー展開によって、
ベストは変わりうる。
これらの構造から言えることは、
「人は、愛を貫く」という、ごく普遍的なテーマである。
テーマが新規で珍奇である必要はない。
(若い頃はやりたがる)
普遍的な手垢のついたテーマでも、
表現が面白ければ(目玉があったり、絵が新しかったり、
知らないことを知る過程があったり)、
それは「新しい話」になるのである。
また、サゲがそれを強化している。
このサゲがなければ、ただの感動ドキュメントに終わるかも知れない。
ところが、深海を出したことで、
愛の本質(いいときだけじゃなくて、悪いときも一緒にいようということ)
を上手いこと言っているわけだ。
サゲはテーマを定着させる。
クライマックスで示した成功(テーマの象徴)に、
アンサーソングとして対句になる構造で。
これで、物語に必要な要素は大体そろった。
目玉。(婆さんがエベレストを登る)
動機。外的目的。(死ぬ前にしたいことは、エベレスト登頂)
内的目的。(それは死んだじいさんとの約束)
反対者。非人間障害。(家族、金、山そのもの)
非日常世界というスペシャルワールド。(山そのものや行程)
クライマックス。(登頂)
テーマ。(人は、愛を貫く)
サゲ。(さらに対句)
ドキュメントだから、
「ほんとにあった凄み」がこれらを担保している。
もしフィクションならばどうだろう。
「この主人公や周囲への感情移入」が必要だと思う。
嘘だとしても、好きになってしまったらその先が気になるからである。
(中間であり得るのは、
実際の、夫を亡くした、有名芸能人のドキュメントを作ることだ。
感情移入の必要がなく、みんな好きな人だからだ。
あるいはアニメで可能か?
たとえばサザエさんの波平が死んだとして、
その一年後、舟が急にこういうことを言い出した、
ならなんか面白そうな気がする。
周囲のリアクションが想像がつくからである。
このとき、私たちはサザエさんの登場人物を、
有名芸能人並によく知っているから、
感情移入がしやすいのである。
それが誰か知らない時点から、
ここまでの感情移入を取得しなければならないから、
映画脚本というのは難しいのだ)
さらに、ガワが必要だろう。
キャラクターの魅力や、
登山界の蘊蓄や、旅行的な面白さがいる。
名台詞も必要だ。
音楽もいい音楽が欲しいね。
さて、そもそもこの目玉「老婆がエベレスト登頂成功」に、
どれくらいのリアリティーがあるのだろう。
ここまできて、
初めてリサーチを始めてみるのである。
酸素濃度に耐えることや、夏山のどれくらいの時期なら行けるのかとか、
(その日はじいさんの命日、なんてドラマチックな設定を後付けしてもよい)
そういうリアリティーが、
中盤の障害としてうまく使えるだろう。
そうすれば、
「不可能を可能にする」という、
「問題とその解決の物語」に、
絶妙な難易度を設定することが可能になるはずだ。
(今調べたら、73歳で登頂した日本人の婆さんがいるらしい。
不可能ではないということだね。ポピュラーでもないわけだ)
中盤は、不可能を可能にすることが沢山出てくるだろう。
それは取材しなければ、リアリティーがなく、
詰まらなくなるに違いない。
おばあちゃんのエベレストという例で、
物語に必要な一通りの要素と構造を確認できたかな?
じゃああとは、
あなたの話に置き換えればわかるはずだよ。
2017年01月27日
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勿論原則はそうです。
うまくいかないときは構成で工夫しても良いです。
婆さんの気持ちに興味を持たせることは難しいので、
ヘンテコ婆さんという牽引をしてみたわけですな。
ストーリーの長さにもよると思います。
短編ほど、構成はオーソドックスにしないほうが面白いかと。