2017年01月28日

居心地わるい

物語の中では、ほとんど居心地が悪い。

何故なら、もしそこが居心地がいいのなら、
そこで落ち着いてしまい、話が終わってしまうからだ。


完全に安眠することはない。
完全に安心することはない。
完全に安定することはない。
それが物語だ。

もちろん、安眠、安心、安定することはある。
それは、事件が起こる前の日常か、
解決し終わったあとの平和に戻った日常だ。
つまり、ストーリー本編の外の時間軸でしか、
居心地は良くないのである。

だから、
ストーリーを書いているときは、
常に居心地が悪いものである。
これに作者がやられてしまい、
居心地のよさを求めて、
温泉に入れて落ち着いてしまうことがある。
そうすると、その温泉から出られなくなってしまい、
ストーリーが停滞することが多いのである。
それを自覚したら、その温泉は何者かによって爆破されるべきだ。
まだ安心してはならないと、
登場人物に自覚させないと、
そこから話は進まないのである。

座布団の下に胡桃が入っている。
そういう居心地の悪い感じ。
それが、ストーリーを語る間、
常について回る。
いらぬ緊張やいらぬ気づかいをしながら、
主人公は旅を続けなくてはならない。

全ては仮眠で、全ては仮の宿で、
全ては仮設風呂で、全ては仮の居場所である。
いつも居心地が悪い。
だから登場人物は、居心地を求めて動くことをするのだ。


僕はラピュタの、事件が起こる前の居心地の良さがとても好きだ。
宮崎だからか、ハイジの世界と似た感じがする。
朝のラッパのシーンがとても好きで、
何度でもあのシーンを思い出す。
その居心地を求めて、
登場人物は二時間居心地の悪いところを、
我慢しながら突破していくのである。

だから作者は疲れる。
だからといって、作中で手を緩めてはならないのだ。
常に居心地の悪さを。
ラストシーンまで居心地は我慢せよ。
posted by おおおかとしひこ at 00:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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