世の中には、沢山の面白い設定が転がっている。
そして設定だけで妄想して、
どんなに面白いのだろうと考えることはとても面白い。
(アニメの設定集とか昔すごい好きだった)
しかし、設定倒れという現象がある。
その設定の面白さに、ストーリーが負けてしまうことを言う。
面白い設定を考えることはとても面白い。
「人間は宇宙人が遺伝子改造したものだったのだ」とか面白いし、
「あの人とあの人が実は付き合ってる」と仮に設定したりする遊びも、
とても面白い。
しかしそれは、それだけでは決してストーリーにならない。
点だからであり、線ではないからだ。
じゃ、線になるには何がいるんだったっけ。
目的である。
事件と解決という大きな線の中での、
その人の目的と、その行動の軌跡が、線なのだ。
またドラマ風魔を例にとろう。
僕は竜魔に関して言えば、
原作よりよく出来たと思っている。
竜魔の設定:
片目の戦士。二つ名を「独眼竜の竜魔」。
風魔のリーダー格。
実はサイキックソルジャーで、
相手を鏡の中に閉じ込めて、割って殺してしまう
(映画スーパーマンに出てくるのと同じビジュアル)、
風魔死鏡を使う。
(聖剣編以降については無視)
長髪、学ランの襟あけ、袖は切れあり、
学ランの下は包帯か(ドラマ版では鎖帷子とした)。
顔のパーツはほぼ剣崎であることから、
天才系を設定されていることが伺える。
ドラマ版に足した設定は、
眼帯(傷メイクが難しかったため)と、
眼帯を外すと青目がありそれがサイキックの源、と、
サイキックを使うと寝込む(サイキック乱発を防ぐ枷)
である。
これが優秀だと言っている訳ではない。
どちらかというとこの枷は、竜魔最強にしないための、
(原作では最初からサイキック出せば済むじゃん、
というツッコミが可能だ)
バランサーでしかない。
設定だけ見ているとワクワクする。
しかしこれらだけで線は生まない。
生むのは、目的を持ったときである。
原作もドラマも、夜叉殲滅という目的があることはある。
その目的に従って竜魔は動く。
しかしそれは大枠の流れに過ぎず、
竜魔独自の目的があるわけではない。
だから原作では、十把一絡げの一人にすぎない。
(かっこよさだけで人気がある、実はイケメン枠?)
これがドラマ版では、
「組織をまとめること」「小次郎を成長させること」
という、組織のリーダーとしての目的があることになっている。
だから竜魔は小次郎に厳しく当たるし、
自分の生き方を曲げようとしないし、
「俺は俺の死に方に誇りをもつ」なんて言うのである。
ここに、
「小次郎との反発から和解」というドラマ
(メインプロットに対してサブプロット)が、
出来上がるわけなのである。
目的のない原作では、ただいるだけだ。点だ。シャシンだ。
(目的のない感じがかっこよさに寄与している、
という見方もあるにはある)
ドラマ版では、
起伏のあるドラマ(人と人のぶつかり合いと、
その結果としての互いの変化)という、
線が生まれている。
それもこれも、「小次郎を成長させること」という、
目的の有り無しで変わってくるわけだ。
妖怪や天狗のことを調べていると、
それらが面白いのは、キャラ設定としての面白さなのだ、
ということが分かってくる。
言葉を変えるなら、出落ちにすぎないというわけだ。
例えば、和歌山熊野那智大滝にすむ、
大峰前鬼という大天狗がいる。
役行者の部下で元鬼だったという変わり種だ。
前鬼と後鬼というコンビで活躍し、
役行者に調伏されてからは生涯片腕として仕えたという。
後鬼は人間になり子をもうけた
(和歌山には今でも後鬼姓の人がいるし、
後鬼村も実在する)が、
前鬼は不老不死の天狗となり、
今でも那智にいるらしい。
この設定は、滅茶苦茶面白い。
けど、これだけではストーリーにならない。
前鬼の目的がないからである。
ただの暴れん坊が部下になり天狗になった過去だけだ。
たとえば、
「探している、はぐれた子供がいる」なんて目的をひとつ足すだけで、
この前鬼は、ストーリーに登場することが可能になる。
で、その目的のために、
設定にある「鬼の力」を解放することになるわけだね。
恐らくその結末は、
後鬼村から引っ越したはるか遠くの地にいた、
後鬼の子孫に出会うことなのだろうね。
こうして、目的と、設定(の利用)と、
線と結末とテーマ(子を思う心は人でも鬼でも同じ)という、
ワンセットを作ることが可能になる訳である。
あとは、目的の障害をつくることで、
話の起伏を作っていけるわけだ。
鬼の力は那智大滝周辺しか使えないとか、
カッとなりやすい弱点があるとか、
子供をさらったやつが分かったとしても、
その一族は既に死んでいたとか、
そういう障害だ。
別の目的を持たせてもいい。
「酒好きを直そうとしている」とか、
「人になりたい」とかでもいい。
それぞれに、元鬼という設定を使った面白い話を作ることは可能だと考える。
目的と設定は、だいたいこういう関係にあるわけだ。
キャラ設定だけが立っていて、
話が面白くないやつは、
大抵話に目的がなかったりする。
あるいは、設定の面白さに線(目的や行動や障害)の面白さが負けていると、
「この設定で、別の話が見たかった」と言われたりする。
つまり、設定だおれである。
あなたの話は、設定が面白いのか?
ストーリーが面白いのか?
設定倒れなのか?
設定もストーリーも面白いのが、理想だ。
(僕は、目的は設定に含めない。念のため)
2017年02月04日
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