後輩の去年のベストと聞いて、未見だったのをようやく見れた。
いやあ、見事な傑作。
ミッドポイント手前、「世界」を初めて見るあたりの、
ものすごい興奮。
そして何より、ラストシーンの素晴らしさ。
(以下ネタバレ)
息子の脱出のシークエンス、
ドキドキしっぱなしですわ。
一回嫌がった、というのが効いてる。
それでもトラックの荷台の上で、
絨毯から出て、世界を初めて見たときのあの感じ。
「今までにない映像」を初めて見た気がした。
トラックの上から空を撮っているだけなのに。
つくづく、
映像がすごいんじゃなくて、
意味(映像に重ねた文脈)がすごいんだ、
という、脚本の大切さを思い知らされた。
世界を見るときに、ピントがたまに合ってないのもとても良かった。
保護されたのがミッドポイントとして、
後半なにすんだろ、
とずっといぶかしげに見ていた。
テレビの取材もクライマックスには足りないなあと。
母の自殺未遂、少年が髪を切るのも、
想定の範囲内に納めてしまうのかなあと、
ダレ気味であったのは否めない。
ところが、あのラストシーン。
「部屋にいきたい」
ここで言う。夢だったハンモックの上で。
絵にかいたような幸せは、ほんとうじゃない。
最高のターニングポイントだった。
「(部屋が)縮んだのかな」って台詞が、
滅茶苦茶ぐっときた。
世界を知ること。成長ということ。
そういうことが、この映画のテーマだったのだと見事に着地した瞬間。
グッドモーニング椅子一号、グッドモーニング洗面台、グッドモーニング天窓、
そう始めた物語が、
見事にグッバイ椅子一号、グッバイ洗面台、グッバイ天窓、
と、ブックエンドで終わった。
美しい脚本だった。
どうしてラストに、寒そうな雪が降ったんだろう。
これからあの二人の行く末の暗示だろう。
でも大丈夫、そう思えた、力強いラストシーンであった。
ただ雪降ってるだけなのに。
ものすごいいいシーンは、
ふたつぐらいあればいい。
それが映画なんだなと、
昨今カロリー高くてなんにも残らないものばっか見てたので、
大いに反省だ。
友達が出来たのもいいよね。
母親は、リレーの友達に会いに行くのかな。
その後を想像させるのも、いい映画だった証拠だ。
こういういい映画を、
俺のところまでうまく届けてくれよ、宣伝部さんよ。
これでちゃんと金を儲けるビジネスモデルに、邦画業界はなってほしい。
2017年02月04日
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