2017年02月04日

すべてはラストシーンだ(「ルーム」批評)

後輩の去年のベストと聞いて、未見だったのをようやく見れた。
いやあ、見事な傑作。

ミッドポイント手前、「世界」を初めて見るあたりの、
ものすごい興奮。
そして何より、ラストシーンの素晴らしさ。

(以下ネタバレ)




息子の脱出のシークエンス、
ドキドキしっぱなしですわ。
一回嫌がった、というのが効いてる。

それでもトラックの荷台の上で、
絨毯から出て、世界を初めて見たときのあの感じ。
「今までにない映像」を初めて見た気がした。
トラックの上から空を撮っているだけなのに。
つくづく、
映像がすごいんじゃなくて、
意味(映像に重ねた文脈)がすごいんだ、
という、脚本の大切さを思い知らされた。
世界を見るときに、ピントがたまに合ってないのもとても良かった。

保護されたのがミッドポイントとして、
後半なにすんだろ、
とずっといぶかしげに見ていた。
テレビの取材もクライマックスには足りないなあと。
母の自殺未遂、少年が髪を切るのも、
想定の範囲内に納めてしまうのかなあと、
ダレ気味であったのは否めない。

ところが、あのラストシーン。

「部屋にいきたい」
ここで言う。夢だったハンモックの上で。
絵にかいたような幸せは、ほんとうじゃない。
最高のターニングポイントだった。

「(部屋が)縮んだのかな」って台詞が、
滅茶苦茶ぐっときた。
世界を知ること。成長ということ。
そういうことが、この映画のテーマだったのだと見事に着地した瞬間。

グッドモーニング椅子一号、グッドモーニング洗面台、グッドモーニング天窓、
そう始めた物語が、
見事にグッバイ椅子一号、グッバイ洗面台、グッバイ天窓、
と、ブックエンドで終わった。
美しい脚本だった。

どうしてラストに、寒そうな雪が降ったんだろう。
これからあの二人の行く末の暗示だろう。
でも大丈夫、そう思えた、力強いラストシーンであった。
ただ雪降ってるだけなのに。

ものすごいいいシーンは、
ふたつぐらいあればいい。
それが映画なんだなと、
昨今カロリー高くてなんにも残らないものばっか見てたので、
大いに反省だ。

友達が出来たのもいいよね。
母親は、リレーの友達に会いに行くのかな。
その後を想像させるのも、いい映画だった証拠だ。


こういういい映画を、
俺のところまでうまく届けてくれよ、宣伝部さんよ。
これでちゃんと金を儲けるビジネスモデルに、邦画業界はなってほしい。
posted by おおおかとしひこ at 19:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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