この映画の脚本の巧みな部分は、
「ここで育った子供がいる」という嘘を、
ディテールで詰めきったところである。
具体は彼の台詞で示されるのだが、
その台詞を作ることがメインの仕事ではない。
「ここで育ったら、
物事をどのように認識していて、
どのようなことを永遠に知らないか」
という、「発想」を徹底的に詰めているところにある。
五歳という年齢設定も巧みだ。
「テレビと現実の区別がつかない」
年齢のリアリティーを確保している。
彼の中でテレビと世界は別で、
ヒーローがいて、
実写とアニメの区別はついていない。
壁に「外」があるという発想はなく
(ラストシーン、納屋の外の壁を彼が触るとき、
私たちはこのことを思い出す)、
部屋の外は宇宙だと思っている。
葉っぱは緑だと思っていて、
天窓に落ちた黒い落ち葉を葉っぱと思えない。
想像上の犬を飼っている。
ネズミが潰されたのを初めて見た。
物資は常に日曜日にしか来ないと思っている。
その日はクローゼットで寝なければならない。
現実と架空の区別がつかないどころではなく、
世界の仕組みの認識がおかしなことになっている。
私たちはそれを笑うことはできない。
誰もがそれを違うと認識して大人になってきたからだ。
地球は象が支えてないし、
虹は巨大な橋ではない。
「世界を知ったふりになって、
世界の外へ出ようとしないこと」の愚かさすら、
このディテールで示されている。
(だから外へ出ろ、というのがこの映画の底にあるメッセージなわけだ)
もしあなたがこの話を書くことになって、
ここまでこの子供の「発想」を作り上げることが出きるだろうか。
かつ、この発想は「間違っているのだ」と暗示させることが出きるだろうか。
この脚本の巧みさは、
これを、ほとんど言葉だけで、
最低限の芝居だけで、示したことにある。
たいして派手な絵を使うことなく、
ディテールだけで詰めていく。
ディテールで詰めるのが得意なのは女性だが、
この脚本も女性によるものであった。
原作小説も同じ人らしい。
最近そういうの、流行ってるのかね。
架空世界のディテール。
ほんとうの世界のディテール。
それに差を出すこと。
ふたつの世界を、比較できるようにすること。
大いに参考になる脚本の業である。
あとこれを「スリラー」のジャンルに入れるのは間違っていると思う。
人間ドラマのジャンルでいいんじゃないか。
スリラーやミステリーっぽいのは、
最初の「部屋に閉じ込められた母子」の絵的な要素でしかない。
見た目じゃなくて、内容でジャンルわけをするべきだと俺は思うよ。
2017年02月05日
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