2017年02月09日

42キロを走るのに、100キロを走るトレーニング

なんでだかは分からないが、
人間の脳は、
目的とすることより、
大きなことを体験しておくと、
そのことが俯瞰できるようになる。


マラソンの42.195キロを走るのに、
100キロ走るトレーニング法がある。

ボクシング15Rやるのに、
30Rやるトレーニングがある。

俳句をやるなら、短歌をやってみるトレーニングがある。

CMをやるなら、5分ぐらいのミニドラマをやってみる手がある。

映画シナリオをやるなら、
連続ドラマのシナリオをやってみるトレーニングがあっても、
おかしくないよね。


それより長いのをやると、
それより短いものが、
いかに集中してやらなければならないか、
いかにダラダラ無駄をやっている場合ではないか、
感覚で分かるようになってくる。

たぶん大型バスを運転すれば、
乗用車の運転もうまくなると思う。

難しい性格の子と付き合えれば、
素直な子と付き合うのも上手になる。

僕は関西人だが、
東京で働くことで関西を相対化出来た。
外国に行くと日本を相対化出来る。

悟った人のことを、
人生何周目かだろ、なんて言うのも、
この感覚が元になってるんじゃないかと考える。

いじめられっ子の環境を変えろという手段も、
その子に「別の世界がある」と知らせる相対化の手段ではないかと思う。
(「ルーム」のテーマも、狭い世界から広い世界へ行くことが、
狭い世界を相対化する、みたいなことであった)


自分の取りかかることは、
どのくらいの規模か。

やったことないことをすると、
成功失敗は半ばだ。

それより大きな規模を体験していれば、
俯瞰して調整することが出来るだろう。
ベテランほど慌てず対処できるのは、
そういう感覚があるからだろう。

勿論何本か書くことでその経験を得ることも出来る。

もし、今の規模でいっぱいいっぱいなら、
試しに倍以上の規模を経験してもいいぞ。
4時間の映画シナリオでも、書いてみたまえ。
昔はインターミッションつきの、
3時間ごえの映画が沢山あった。
そういうのを沢山見て、何が2時間映画と違うのか、
考えてみるのも乙なことである。

マラソンに強くなりたければ、
マラソンの三倍走るトレーニングをする。
そうするとマラソンが楽になる。

滅茶苦茶だけど、理にかなってると思う。
posted by おおおかとしひこ at 11:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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