2017年02月13日

狂言回しは使い回し

狂言回しとは、作中で変化しないキャラクターのことを言う。
(誰とも深い関係を持たないが、
しょっちゅう登場しては状況をかき回す、
トリックスターは狂言回しの一部である)


狂言回しの特徴は、
誰とも深い関係を持たないことだ。
深い関わりを誰かと持てば、
人なら変化するからだ。
(逆に言えば、
誰かと深い関わりを持ち、
その経験によって互いが変化していくことが、
物語であると定義できるわけだ)

狂言回しは変化しない。

変化しないから、強烈なキャラクターにすることが出来る。
作中のことに責任を持たなくていいからである。


だからたとえば「他の作品」に登場することも可能だ。
関係性を壊さなくてすむからだ。
(だから本編であまり変化しなかった強烈なキャラクターは、
狂言回しとしてスピンオフに使いやすい。
その作中では変化する、狂言回しでないキャラクターになるかもだが)


さて、狂言回しと言えば、
なんとなくカオスな性格のピエロ系とか、
ドラえもんのような日常に現れた異物を思い浮かべてしまうが、
そうではない。

代表的なものでは、
探偵ものの探偵、ヒーローもののヒーローも狂言回しである。


探偵もの、ヒーローものは、
シリーズを前提としたフォーマットだ。
毎回事件がおこり、解決する。
主人公(に一見見える)探偵やヒーローが変化してしまっては、
「毎回〇〇する」というフォーマットが崩れてしまう。
それではシリーズの命を縮めてしまう。

したがって、
探偵やヒーローは、常に、変化してはならない。

しかしそれでは深い話が描けないので、
毎回出てくるゲスト(依頼者、被害者、犯人など)
が大きな変化をドラマ中で経験する仕組みになっている。

つまり、探偵ものやヒーローものは、
ゲストが主人公の短編であり、
シリーズを通して探偵やヒーローは狂言回しの役割なのである。
(各話を小さなスピンオフと考えればわかりやすい。
必ず登場する狂言回しが探偵やヒーローである)

とはいえ、彼ないし彼女が、
何も変化しないと人間味がないので、
時々その探偵やヒーローの個人的な事情が関わるエピソードが、
用意されているものだ。
その効果は、感情移入だろう。


モグリの医者をヒーローに見立てたヒーローもののフォーマット、
漫画「ブラック・ジャック」を考えると分りやすいかも知れない。

涙を流して後悔したり反省したりするのは、
ブラックジャック本人ではなく、
手術を受ける人やその周辺の人である。
ブラックジャックは、彼らの人生にふらりと現れる、
スピンオフのキャラクターなのだ。

しかし人気の高いのは、
ブラッククイーンの回(黒男の大学時代の過去)や、
ブラックジャック誕生回や、
そのアンチテーゼとしての、
先生が自然死を選ぶ回(おこがましいと思わんかね)だ。
こういう変化を彼が経験することで、
私たちは彼を「主人公として」感情移入するわけである。

ついでに、
ヒーローもののフォーマットとして、
各回の人々に狂言回しとして接するので、
我々はブラックジャックを「主人公が数々の活躍をする」と勘違いする。
実際、活躍のほとんどは狂言回しとしての行動にすぎず、
彼は日常のことをこなしただけだ。
それは、作者から見れば「使いまわし」なのである。
(東映ヒーローなんか、必殺技や合体なんて、
毎回同じ映像の「使いまわし(バンク)」だよね)

実際、
彼以上に勇気を出し、人生のギャンブルをし、
危険を克服し、人生を変化させていく、
つまり主人公なのは、各回のゲストだ。


このフォーマットは、
刑事もの、医療もの、事件簿もの、
変形としての超能力捜査ものなんかにも、
よく使われている。

もっとも、昨今1クールが短いので、
「毎回事件解決する」というフォーマットが出来る前に終わってしまうけど。
(そういう意味では海外ドラマの方がこのフォーマットを使って、
シリーズ延命を前提に考えているものが多い。
むしろ日本のドラマは短編扱いかもね。
だったらこのフォーマットではない、
変化を前提とした連続もののほうが面白いかも知れない。
ドラマ「風魔」はこれを無意識に察知していて、
レギュラー回フォーマット(部活を助ける)と、
小次郎や壬生の変化の同時進行をやってのけたわけだ)



ということで。
変化しない狂言回しは、
要するに何年も使える使い回しだ。

漫画では、それをつくることを「キャラクターをつくる」
というかも知れないが、
映画という短編では、
それはキャラクターを作ることとは、違うのである。

同じ言葉なので混同が起こっているかも知れない。
長編には長編の、
短編には短編のやり方があってそれらは異なるということである。
posted by おおおかとしひこ at 13:22| Comment(4) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
確かに、シン・シティや蘇る金狼などのハードボイルド系の主人公も
狂言回しって気がします。
ショーシャンクの空に、のアンディも狂言回しなのでしょうか?
Posted by むらさき at 2017年02月13日 15:03
ブラックジャックの、ブラッククィーンの回は、大学時代の話ではなかったと思います。大人のBJが出会った、容赦なく患者の足を切断する女医がブラッククィーンのはずです。
如月恵(子宮がんになった研修医時代の後輩)と混同しているのではないでしょうか?どっちもBJが主人公の恋愛話なので。
Posted by 立直 at 2017年02月13日 17:23
むらさき様コメントありがとうございます。

ハードボイルドものは探偵ものと近接ジャンルなので、
ほぼ同じことかと。

ショーシャンクを見たのは20年くらい前なのでうろ覚え。
ウィキを見る限り、
わりと危険な橋を渡っていたり、
刑務所の面々と人生の関わりを持ってたりするので、
狂言回しというよりは主人公でしょう。

狂言回しは、全ての行動がその人にとって「軽くできる日常」だと思うと区別しやすいです。
物語の主人公は、どこかで自分の限界を越える場面に立ち会うのですな。
Posted by おおおかとしひこ at 2017年02月14日 01:35
立直様コメントありがとうございます。

言われてみればそのような。
男になったというあの人は、たしか船に乗っていたのだったか。
まあ、どちらもブラックジャックの内面に立ち入ってるということで。
Posted by おおおかとしひこ at 2017年02月14日 01:37
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