2017年02月15日

説明を恐れるな

「説明台詞をだらだらしていては退屈だ」
「説明は簡潔に分かりやすく」
そういうことを教科書で教えられるため、
初心者は説明に苦手意識を持っている。
簡潔に分かりやすくするには、
どうやっていいか分からないからである。

しかし物語には、説明が欠かせない。
オリジナル設定があればあるほどだ。

僕は逆に、
説明をしたければ、
恐れずにまず全部説明してみなさい、
ということを勧めてみよう。


下手くそが上手くなるには、
沢山失敗して、
うまくいったところに喜び、
失敗した所は反省して、
うまくいくまで自分を改良し続けるしかない。

ということは、
説明が下手なのなら、
そこから逃げることなく、
何度も何度もやってみればいいのである。

だから、
まず説明が必要ならば、
なんでもかんでもいいから、
気の済むまで説明してみればいいのである。

説明が下手で途中で止まってしまうくらいなら、
下手な説明でも気の済むまでやって、
最後まで話を書いたほうが、
絶対にいいのである。

ということで、
下手くそだろうがなんだろうが、
最後まで書いてから、
説明部分の再検討をするとよい。

全体のバランスから見て、
ここは説明する必要はないとか、
まず最初にこれだけ説明しておけば、
あとは流れで分かるとか、
逆にここで説明しとかないとあとあと分かりにくいとか、
そういう冷静な判断が出来るようになってくる。
その時に初めて説明を練っていけばいい。

下手くそほど、途中でやめてしまう。
それは勝負にならない。
とにかく最後まで書いてから、勝負だ。
しかも脚本というのは、
何度書き直してもいいのだ。
喋るのはあとで言い直し出来ないが、
原稿はいくらでも言い直しや、再構成してもいいのである。
それが、紙の原稿のいいところである。
だから一発書きの時は、
まだデッサンと思って書いてるぐらいがちょうどいい。
ペンから出た瞬間後世に残るぐらいの物凄い完成度のものが出る、
と思わずに、
まああとで何とでもなるから、
と、完成度を上げるのは、あとにしたほうがいい。
それよりも何よりも、
最後まで書くことが、最初の一大事と思うことだ。


説明不要なのか説明必要なのかも、
一発目では中々判断できない。
自分の視野は狭いし、
知識や教養にも限界がある。
関西人には常識のことも、東京の人には通じないなんて、
やってみなければ東京の人も判断できないものだ。

だから気にせずに、
説明はとにかく丁寧にやりなさい。
乱暴で分かりにくいぐらいなら、
長くなってもいいから、
誠実に、丁寧にやりなさい。
誰も君が説明上手であることは期待しない。
でも誠実でないなら、読む価値なんてないのだ。

下手くそだと分かっていても、
誠実にやってさえいれば、
それは読める原稿に必ずなる。
退屈が、誠実さに押されるからである。


ということで、
とにかく最後まで説明はちゃんとやれ。
省略ウメーとか、酔っててもだめだ。
全体が決まってから、省略の美とか考え始めればいいだけだ。

説明を洗練する方法については、
長くなりそうなので別記事でまた書く。


とにかく最後まで書けば、
「説明するべきこと」と
「説明しなくてもいいこと」の、
見分けがつくようになるわけである。
posted by おおおかとしひこ at 12:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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