「説明台詞をだらだらしていては退屈だ」
「説明は簡潔に分かりやすく」
そういうことを教科書で教えられるため、
初心者は説明に苦手意識を持っている。
簡潔に分かりやすくするには、
どうやっていいか分からないからである。
しかし物語には、説明が欠かせない。
オリジナル設定があればあるほどだ。
僕は逆に、
説明をしたければ、
恐れずにまず全部説明してみなさい、
ということを勧めてみよう。
下手くそが上手くなるには、
沢山失敗して、
うまくいったところに喜び、
失敗した所は反省して、
うまくいくまで自分を改良し続けるしかない。
ということは、
説明が下手なのなら、
そこから逃げることなく、
何度も何度もやってみればいいのである。
だから、
まず説明が必要ならば、
なんでもかんでもいいから、
気の済むまで説明してみればいいのである。
説明が下手で途中で止まってしまうくらいなら、
下手な説明でも気の済むまでやって、
最後まで話を書いたほうが、
絶対にいいのである。
ということで、
下手くそだろうがなんだろうが、
最後まで書いてから、
説明部分の再検討をするとよい。
全体のバランスから見て、
ここは説明する必要はないとか、
まず最初にこれだけ説明しておけば、
あとは流れで分かるとか、
逆にここで説明しとかないとあとあと分かりにくいとか、
そういう冷静な判断が出来るようになってくる。
その時に初めて説明を練っていけばいい。
下手くそほど、途中でやめてしまう。
それは勝負にならない。
とにかく最後まで書いてから、勝負だ。
しかも脚本というのは、
何度書き直してもいいのだ。
喋るのはあとで言い直し出来ないが、
原稿はいくらでも言い直しや、再構成してもいいのである。
それが、紙の原稿のいいところである。
だから一発書きの時は、
まだデッサンと思って書いてるぐらいがちょうどいい。
ペンから出た瞬間後世に残るぐらいの物凄い完成度のものが出る、
と思わずに、
まああとで何とでもなるから、
と、完成度を上げるのは、あとにしたほうがいい。
それよりも何よりも、
最後まで書くことが、最初の一大事と思うことだ。
説明不要なのか説明必要なのかも、
一発目では中々判断できない。
自分の視野は狭いし、
知識や教養にも限界がある。
関西人には常識のことも、東京の人には通じないなんて、
やってみなければ東京の人も判断できないものだ。
だから気にせずに、
説明はとにかく丁寧にやりなさい。
乱暴で分かりにくいぐらいなら、
長くなってもいいから、
誠実に、丁寧にやりなさい。
誰も君が説明上手であることは期待しない。
でも誠実でないなら、読む価値なんてないのだ。
下手くそだと分かっていても、
誠実にやってさえいれば、
それは読める原稿に必ずなる。
退屈が、誠実さに押されるからである。
ということで、
とにかく最後まで説明はちゃんとやれ。
省略ウメーとか、酔っててもだめだ。
全体が決まってから、省略の美とか考え始めればいいだけだ。
説明を洗練する方法については、
長くなりそうなので別記事でまた書く。
とにかく最後まで書けば、
「説明するべきこと」と
「説明しなくてもいいこと」の、
見分けがつくようになるわけである。
2017年02月15日
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