2017年02月20日

うまくなるしかないやん2

オイシクなるものは、
料理にも物語にも欠かせないものだ。

しかしそればっかり使ってたら、
腕も上がらない。
ダメな食材の時にも、料理人の腕でカバーしなければならない。
地味な人間ドラマや、
普通の人々を描くことが、ちゃんと出来るかどうかだ。


若い頃は派手なものばかりを追い求める。
不老不死ものとか、
異世界ものとか、
タイムスリップとか、
能力バトルとか。

そういうものが書きたくて作家を目指す人も沢山いるだろう。

そういうのは素材で勝負する、
うまくなるしかない組み合わせだ。
だから料理人からしたら、
腕が上がらない食材なのである。

あなたが100%腕のいい料理人なら問題ないが、
ここを読んでる人は多分初心者だろうから、
僕は、うまくなるしかないやつは、
しばらく禁止してはどうかと提案してみる。

日本文学みたいなしみったれたやつでもいいし、
少し不思議な話でもいいし、
世にも奇妙な感じでもいい。
(実際のところ、この辺が予算がかからないので、
重宝される分野ではある)

人と人が普通に喧嘩して、
仲直りしたり微妙に修復したりする話を、
書いてみるといい。

意外と、
違う人格をちゃんと書き分けられなかったり、
展開にドキドキが保てなかったり、
危険をうまく扱えなかったり、
中弛みしたり、
クライマックスが微妙だったりする。

腕のいい料理人は、
お湯に塩を足しただけでうまいスープにするという。
お湯の量に的確な塩の量が「わかる」ようになっている。
それは、何度も何度もお湯と塩の量を試して、
失敗しないと学ぶことが出来ない。

だから、人間ドラマの短編を沢山書いて、
失敗しないと、うまくならないと思うんだよ。

派手なネタは、
それで腕が上がってから実戦投入すればいい。
それまでネタ張にとっておくといい。


全く逆の考え方もある。
今思いついたいいネタは、今限りのパワーだから、
今使ってしまえばいい。
ネタがなくなるまで力の限り書け。

数を書くと、もう自分のネタがないところまでいく。
そこからようやく腕を磨くチャンスになるのだ。


あなたの中のネタの数と、腕の関係によって、
どちらかのやり方が合うと思う。
共通するのは、
数を書くことである。

料理人が、失敗してマズイ料理を作ってしまったぐらいには、
あなたは失敗しなければならない。

長編を沢山書くのは大変なので、
だから僕は短編100本、なんて言ったりするわけだ。


オイシイネタと、腕の関係。
毎回同じネタや同じ調理法や味つけを使う人もいるけどね。
posted by おおおかとしひこ at 12:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック