オイシクなるものは、
料理にも物語にも欠かせないものだ。
しかしそればっかり使ってたら、
腕も上がらない。
ダメな食材の時にも、料理人の腕でカバーしなければならない。
地味な人間ドラマや、
普通の人々を描くことが、ちゃんと出来るかどうかだ。
若い頃は派手なものばかりを追い求める。
不老不死ものとか、
異世界ものとか、
タイムスリップとか、
能力バトルとか。
そういうものが書きたくて作家を目指す人も沢山いるだろう。
そういうのは素材で勝負する、
うまくなるしかない組み合わせだ。
だから料理人からしたら、
腕が上がらない食材なのである。
あなたが100%腕のいい料理人なら問題ないが、
ここを読んでる人は多分初心者だろうから、
僕は、うまくなるしかないやつは、
しばらく禁止してはどうかと提案してみる。
日本文学みたいなしみったれたやつでもいいし、
少し不思議な話でもいいし、
世にも奇妙な感じでもいい。
(実際のところ、この辺が予算がかからないので、
重宝される分野ではある)
人と人が普通に喧嘩して、
仲直りしたり微妙に修復したりする話を、
書いてみるといい。
意外と、
違う人格をちゃんと書き分けられなかったり、
展開にドキドキが保てなかったり、
危険をうまく扱えなかったり、
中弛みしたり、
クライマックスが微妙だったりする。
腕のいい料理人は、
お湯に塩を足しただけでうまいスープにするという。
お湯の量に的確な塩の量が「わかる」ようになっている。
それは、何度も何度もお湯と塩の量を試して、
失敗しないと学ぶことが出来ない。
だから、人間ドラマの短編を沢山書いて、
失敗しないと、うまくならないと思うんだよ。
派手なネタは、
それで腕が上がってから実戦投入すればいい。
それまでネタ張にとっておくといい。
全く逆の考え方もある。
今思いついたいいネタは、今限りのパワーだから、
今使ってしまえばいい。
ネタがなくなるまで力の限り書け。
数を書くと、もう自分のネタがないところまでいく。
そこからようやく腕を磨くチャンスになるのだ。
あなたの中のネタの数と、腕の関係によって、
どちらかのやり方が合うと思う。
共通するのは、
数を書くことである。
料理人が、失敗してマズイ料理を作ってしまったぐらいには、
あなたは失敗しなければならない。
長編を沢山書くのは大変なので、
だから僕は短編100本、なんて言ったりするわけだ。
オイシイネタと、腕の関係。
毎回同じネタや同じ調理法や味つけを使う人もいるけどね。
2017年02月20日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック