2017年02月20日

ウリってなんだ

たびたび言われるこの言葉。正体はとらえがたい。
でも大抵は「ウリがない」「ウリが弱い」って言い方をされる。

ウリが強い、ウリがしっかりしてて十分である、
なんて言い方はされない。
つまり、みんなウリがなんだって、分かってないんだよな。
文句を言うのに便利な言葉で、
正解を言わずに相手を威圧する為だけの道具になりさがっていると考える。

しかし文句を言ってもはじまらない。
前向きに分析していこう。
今の興行におけるウリは、大体みっつあると考える。



ひとつめは、「芸能的な話題」である。

あの大物が出演!
あの人とあの人が火花バチバチの共演!
あの人とあの人が胸キュンカップル?!
あの人とあの人はこの共演がきっかけで…
あの人が初のあんな役に挑戦!
あんなことやらかしたあの人が、こんなことを!
オールスターキャストで見る極楽!

ついでに、
話題の○○作品が○○主演、豪華共演者で映画化!
も入れとこうか。


スポーツ新聞や芸能マスコミが取り上げやすい話題、
と定義しておこう。
共通するのは「ゴシップ」である。

ゴシップがあれば、マスコミは取り上げる。
ゴシップはいいものもスキャンダルも含む。

ゴシップのネタがある旬の芸能人が、
縁もゆかりもない洋画のアンバサダー(応援者)を務めるのは、
このためである。
ゴシップとして取り上げられる代わりに宣伝してね、
という蜜月関係を利用しているわけだ。

ゴシップだから、人と人の間の何かである。
女性誌でもいい。ワイドショーでもいい。ネットでもいい。
いいこともあれば悪いこともある。
そして大抵は、好きな人のいいことを好み、
嫌いな人のスキャンダルを好む。
好きと嫌いは、時代や事件で変転する。


このウリは、「脚本には書いていないこと」である。
その人ありきのアテガキをすることもある。
(しかしアテガキはキャラクターを膨らませられないので、
大抵面白くならない)
だから、
脚本を書いているときには気にしなくていい。
脚本が上がってから、
「この人にこの役をやらせると、話題性があるんじゃないか」
ってことをプロデューサーと話せばいいだけの話だ。
(そしてその人ありきで、
その人が最も輝くように脚本が書き直される可能性も高い。
映画は芸術でもあるが、興行でもある)



ゴシップをウリにしない方法はあるだろうか。
それが二つ目と三番目だ。

二つ目は、「派手な爆発」と名付ける。

なんでもいいから、
派手な爆発を起こせば、人は注目する。
そのことである。

少し前なら、
「CGで恐竜が?」「ロケ困難な場所でロケ!」
「圧倒的世界観!」「世界○ヵ国ロケ!」
「船が上下逆にひっくり返る!」
などなどだった。

一言で言えば「見たこともない映像体験」であり、
その映像のキャラが立っていること、
すなわち、他と被らず、オリジナリティーがあって、
一発で覚えられる強烈さがあることである。

これが弱いと、「ウリが弱い」と(簡単に)批評できるわけだ。

たとえばネットにサムネと一行紹介文があったとき、
その勝負でヒキがあるかどうかということだ。


ためしに今日のYahooの映画コーナー(GYAO)から、5つを見てみよう。

〇命をかけた愛の行方「ボディガード」
女性シンガーと彼女を警護することになったボディガード。
始めは険悪だった二人の間に、次第に愛が芽生え始めるが……。

〇斎藤工出演、ソウルを舞台にした青春ドラマ

〇エマ・ワトソンが美しく奔放な高校生を演じる

〇自分の欲望に正直すぎる“非女子”の生態

〇不器用にしか生きられない家族の行く末

一番上がイチオシなので、文章量も多い。
(文章だけでタイトルが気になるので、
それぞれ「カフェ・ソウル」「ウォールフラワー」「非女子図鑑」「フィラメント」。
制作者はこの一文が本当に的確な内容を示しているかどうか、
不満を持つ人もいるだろう)

さあ、どれがウリなんだ?
ゴシップ(斎藤工、エマ・ワトソン)を除くと。

「女性シンガーとボディガードの愛」……まあふつう。マドンナの実話にもあったよなあ
「ソウルを舞台にした」……ソウルに興味があれば
「美しく奔放な」……エロ? エロ?
「欲望に正直すぎる」……ダークサイドの?(見る人を選ぶ)
「不器用にしか生きられない」……(まあどうでもいいか)

のようなことである。「派手な爆発」とは程遠い。
にも関わらず、何も作れない人は、
「ウリが弱い」なんて批評してくる。
殆どの映画には、そんなに都合よく「派手な爆発」はない。
それが現実だ。
逆にいえば、このラインナップに派手な爆発が一行あれば、
それは爆発的に売れる可能性があるってことだ。

ほんの少し前は、ネコだったかも知れない。
しかしそれはもう飽和気味である。
ネット時代は情報の消費が速い。
先週の流行が今週も続く保証はなくなった。
昔ならベストテンに入れば三か月ぐらい流行ったのにね。
ネット時代になって、映像があふれまくり、
「情報としての映像」は飽和状態になっている気がする。
そんな簡単に「誰も見たことのない新しい爆発」はつくれないだろうね。
とすると、ニッチな方向に行かざるを得なくて、
それはそれでどんづまりが待っている気もする。

それに「全く新しいことは逆に言葉で伝えにくい」
というジレンマもある。
(宇宙人の容姿を伝えるのに「〇〇に似ていた」
としか伝えられないように)
実は「派手な爆発」というウリの方法論は行き詰っている気がする。


三番目は?
上に出て来たものにあった。
つまり「ニッチなもの、確実にヒキがあるもの」だ。

エロは食いっぱぐれない。
アクションもラブコメも。
感動する系の家族ものも、一定のヒキはある。
動物ものもだろう。
こういうものは、昔は「プログラムピクチャー」と言われた。
ニッチなものだから、皆同じ欲望を満たす為に見るので、
「毎回同じものをつくる」からである。

同じようなプログラムが毎回あるから、
毎回違うオリジナルをつくるべきだ、
と考える第一線の人々から馬鹿にされたわけである。
東映でも、戦隊ものや特撮ものは「ジャリ番」
(子供の見るプログラムピクチャーで、
ジャリ=子供、いらないものの隠語。
宇宙刑事第二弾「シャリバン」は自虐的にそう命名されたが、
スタッフの熱い思いがそれを引っくり返す名作にした)
扱いだった。

しかしいつの間にか、プログラムピクチャーは、
「定期的に金を稼ぐので、会社を安定させる」
という認識が広まってゆき、
いまや東映の経営は特撮ヒーロー抜きには考えられなくなった。
(東宝にはドラえもんとコナンがあり、
松竹にはかつては寅さんかあった)
プログラムピクチャーだよりの会社はいずれ倒れると思う。
「毎回同じものを作っている部署が、
リスクのあるオリジナルを作るチームを批評する」ようになるからだ。
そのへんの興亡についてはここでは深く入らないでおこう。


とにかく。

現在ウリと呼ばれるものには、
大体みっつある。
「ゴシップを刺激するもの」
「派手な爆発があるもの」
「ニッチな欲望を満たすプログラム」
だ。

「全く新しいストーリー」や、
「キャラクターの造形」や、
「テーマの時代性」や、
「構成の見事さ」や、
「感情移入のたくみさ」や、
「メインプロットとサブプロットの見事な連携」などは、
ウリに入らない。
それは「作品を見ないと分らない」からである。

逆にウリとは、
「作品を見なくてもポチっと押してしまうもの」と考えると、
話が分かりやすいかも知れないね。



ウリは作品の中核でもなんでもない。
ガワ(中身をまだ見ずに、ガワだけで判断する)
の中核になるだけの話だ。

逆に作品性はウリにならない、と割り切って、
ガワと作品の関係を整理して考えた方が健康的だ。

そして優秀な作品とは、
中身もしっかりしていて、ウリが分りやすく、
しかもウリが中身とうまく混ざっているものをいう。
posted by おおおかとしひこ at 13:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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