2017年02月23日

人は差異を増幅したがる

これは人間に備わった、
基本機能のひとつではないかと思う。


伝聞が伝われば伝わるほど、話に尾ひれがつくこと。
伝言ゲームがどんどん違う内容になる理由。
「仲良し五人組」が、
端から見たらたいして変わらない集団なのに、
内部から見たら「個性の塊の豊かなバラエティー」に見えてる理由。
私とあなたの、遠いところと近いところ。
日常と異変。
日常と事件。
日常の安全な世界と非日常の危険な世界。
グッドニュースとバッドニュースがある。
両極端や対比として理解しようとする心。
比較対象があってはじめて理解できる感じ。
よそはよそ、うちはうち、と他所を出さないと内を認識できない現象。
「髪切った?」と気づくのは、昨日と違うから。
整形に感じる違和感。
音程が外れたり間違っていることへの違和感。
異分子を集団から排除する行為、
または異分子を「作り出して」それ以外の結束を作る行為。


これらは、ある種の「差異の増幅」の結果ではないだろうか。
差異を増幅したがる生き物には、
少しだけ違うもので、似たようなものを出すと、
楽しんでくれるんじゃないか。


最初は少しの異変。
それがエスカレートしてゆく。
それは、「差異を増幅したがる」本能に訴えるから、
楽しいのではないか。

スプレッド。
あるものをある法則に従ってならべること。
一覧性、コレクション性が高い。
(たとえば、アイドルを全員並べる、
寿司ネタを全部並べる、白亜紀の恐竜一覧)
これは、視線を移動して差異を発見し、
差異を増幅したがる生き物にとって、
娯楽になるのではないだろうか?

間違い探し、犯人探しも、
同じ欲望が走ってるのではないだろうか?


「この文章にはひとつだけ間違いがあります」。
そう言われるだけで、思わず見直してしまうんじゃない?
(このこと自体は嘘だけど)


差異を増幅したがる生き物。
我々のその本能を理解して、娯楽に組み込もう。
偽ヒーローや詐欺や嘘は、そういう娯楽じゃないだろうか?
posted by おおおかとしひこ at 12:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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