2017年02月26日

間違ったマーケティング

「ララランド」を見に行った後輩の話。
予告編タイムが、ミュージカル映画ばっかりで、
本編が始まる前にうんざりしたそうだ。

別に、ミュージカル映画が好きだから「ララランド」が見たいわけではない。
アカデミー賞取りそうだから、「セッション」の監督だから、
見に行くのが動機のはずである。

その動機を見誤って、ミュージカル映画ばかりの予告編を見させられたら、
「こいつなんも分かってねえな」と思われるのは当然ではないか?


アマゾンとかで何かを買うときに、
これもどうでしょうなんて薦める機能はいるのかね?
間違ってそれもクリックしちゃうやつ、いるのかね?

僕はあれは要らないと思う。
あるものを深く知り、それだけが欲しいからだ。
勿論その検討をするときに、
似たような他のものがあることを知れることは嬉しい。
しかし、それらを止めてそれを買おうとしてる段階で、
別れた女が出てきても、去れよ、としか思えない。


映画の予告編は、なんのためにあるのだろう。

似た映画(ジャンル)を知ってもらって、
これも面白そう、と思ってもらう為にあるのだとしたら、
それは客をなめてやしないか。

予告編タイムは、「自分の知らない映画」を知るためにある。
映画とは、常に新しい面白さを追求するものである。
「こういう新しい面白さを思いついたんですよ」
というプレゼンが、僕は予告編だと思っている。
だから、似たようなプレゼンなんて愚の骨頂だ。
なるべくバラエティーをつけて欲しいのである。

映画を、ジャンルやターゲットでマーケティングするのは、
服をマーケティングするのとは訳が違う。
映画は常に、面白さを更新しなければならない。


もし。
映画は、面白さを更新するべきだと考えていない人間なら、
こういうジャンルはこれぐらい売れるから、
アマゾンのように似た商品を買い続けろ、
と思っているかも知れない。

映画の客よ。
そんなバイヤーにノーを言おう。
それを知って、「ララランド」を見る気がかなり失せた。
そういうバイヤーたちに金を払いたくないからだ。

作品自体の魅力を、宣伝がダメにしている。
広告業界としてこんなに腹が立ち、恥ずかしいことはない。


そういえば、
先日見た「ルーム」のDVDについてた予告編は、
スリラーとかホラーばっかりだった。
うんざりするほどに。
たとえばカナダ映画に興味を持った僕に、
カナダ映画の人間ドラマを紹介して欲しいんだよ。


映画館は、うんざりさせたらダメだよ。
ワクワクさせてくれよ。



その作品の本質はなにか?
それは外からどう見えているか?
それは、どう見せれば他に埋もれずに目立つのか?
それは、どうプレゼンすれば、
また別の話に興味をもってもらい、再び映画館に来てもらえるか?

そんな基本的な議論が、今映画館に足りてない気がするんだ。

下手な考えよりもアマゾン的にしてれば儲かると、
思考停止に陥ってる気がする。
それは人工知能に支配される人類を量産してるだけじゃないか?
もっと自分の頭で考えて、
失敗を経験して、
その失敗を成功の原動力にするような、
ビジネスが回ってほしいものだ。

妖怪思考停止を倒すのは、楽じゃなさそうだ。
posted by おおおかとしひこ at 14:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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