「ララランド」を見に行った後輩の話。
予告編タイムが、ミュージカル映画ばっかりで、
本編が始まる前にうんざりしたそうだ。
別に、ミュージカル映画が好きだから「ララランド」が見たいわけではない。
アカデミー賞取りそうだから、「セッション」の監督だから、
見に行くのが動機のはずである。
その動機を見誤って、ミュージカル映画ばかりの予告編を見させられたら、
「こいつなんも分かってねえな」と思われるのは当然ではないか?
アマゾンとかで何かを買うときに、
これもどうでしょうなんて薦める機能はいるのかね?
間違ってそれもクリックしちゃうやつ、いるのかね?
僕はあれは要らないと思う。
あるものを深く知り、それだけが欲しいからだ。
勿論その検討をするときに、
似たような他のものがあることを知れることは嬉しい。
しかし、それらを止めてそれを買おうとしてる段階で、
別れた女が出てきても、去れよ、としか思えない。
映画の予告編は、なんのためにあるのだろう。
似た映画(ジャンル)を知ってもらって、
これも面白そう、と思ってもらう為にあるのだとしたら、
それは客をなめてやしないか。
予告編タイムは、「自分の知らない映画」を知るためにある。
映画とは、常に新しい面白さを追求するものである。
「こういう新しい面白さを思いついたんですよ」
というプレゼンが、僕は予告編だと思っている。
だから、似たようなプレゼンなんて愚の骨頂だ。
なるべくバラエティーをつけて欲しいのである。
映画を、ジャンルやターゲットでマーケティングするのは、
服をマーケティングするのとは訳が違う。
映画は常に、面白さを更新しなければならない。
もし。
映画は、面白さを更新するべきだと考えていない人間なら、
こういうジャンルはこれぐらい売れるから、
アマゾンのように似た商品を買い続けろ、
と思っているかも知れない。
映画の客よ。
そんなバイヤーにノーを言おう。
それを知って、「ララランド」を見る気がかなり失せた。
そういうバイヤーたちに金を払いたくないからだ。
作品自体の魅力を、宣伝がダメにしている。
広告業界としてこんなに腹が立ち、恥ずかしいことはない。
そういえば、
先日見た「ルーム」のDVDについてた予告編は、
スリラーとかホラーばっかりだった。
うんざりするほどに。
たとえばカナダ映画に興味を持った僕に、
カナダ映画の人間ドラマを紹介して欲しいんだよ。
映画館は、うんざりさせたらダメだよ。
ワクワクさせてくれよ。
その作品の本質はなにか?
それは外からどう見えているか?
それは、どう見せれば他に埋もれずに目立つのか?
それは、どうプレゼンすれば、
また別の話に興味をもってもらい、再び映画館に来てもらえるか?
そんな基本的な議論が、今映画館に足りてない気がするんだ。
下手な考えよりもアマゾン的にしてれば儲かると、
思考停止に陥ってる気がする。
それは人工知能に支配される人類を量産してるだけじゃないか?
もっと自分の頭で考えて、
失敗を経験して、
その失敗を成功の原動力にするような、
ビジネスが回ってほしいものだ。
妖怪思考停止を倒すのは、楽じゃなさそうだ。
2017年02月26日
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