後輩の編集に行ってみて、
構成がなってなかったので、
その場で編み出した構成の整理方法。
まず全体を、
三行ないし四行にまとめるところからやってみる。
一行に書く内容は、
一言から一行に収まる範囲。
最悪シーン名(場所の名前)、
できれば劇的な流れ(例:友達からばかにされる)、
できれば主人公の動詞を含むこと(例:友達からばかにされて落ち込む)。
その出来不出来はおいといても、
全体を三行ないし四行にしてしまうのがポイント。
つまり、俯瞰するためである。
構成が途中で見失われるのは、
木を見て森を見なくなってしまうからだ。
目の前のことを気にしすぎて、
道に迷ってしまうのである。
ということで、
森を見るためには、
全体を三行ないし四行にまとめる、
なんていう荒業をやってみるに限る。
その一行の中を、また三行ないし四行にわける。
計9から16程度の行に地図が出来るだろうね。
(さらに第三階層まで深く入ってもいいよ)
ここからがコツ。
深い階層はおいといて、
第一階層だけを眺める。
全体の尺はどれくらいかを見て、
逆算して各行は、どれくらいの尺が内容的に妥当かを見積もる。
昨日のは5分ものだったが、
三行にわけたので、
それぞれの内容について、
1分、2分、2分と、紙の上だけで見積もった。
この紙の上だけで見積もるのが大事。
なぜなら、
三行の内容だけを考えているからである。
つまりこのときは、
内容のみを考えて俯瞰している。
森を見ているのだ。
森を区画わけし終えたら、
現実の木を見ていく。
実際、それぞれのブロックは、
(編集中の状態で)
1分6秒、1分34秒、3分あった。
つまり、
二行目の内容にあたる部分を34秒切り、
三行目の内容にあたる部分を1分切れば、
大体紙の上で考えた理想になるわけだ。
実際、そのように編集していくと、
無駄がどこか、ということが明確になり、
大事にすべきことがどこかわかって行くわけだ。
脚本というのは、
小説と違って、「尺におさめる」という役割がある。
小説はぴったり○ページ、というのはないだろうけれど、
映像はぴったり○分、がテレビなら普通で、
映画でも110分からプラマイ10分が普通だ。
つまり、決まった尺の中で、
決まった尺の起伏を作らなければならない。
起承転結にはだいたいのリズムがあり、
三幕構成にはだいたいのリズムがある。
音楽に似ている、と僕はいつもいう。
さて。
では、
その三行ないし四行が、
的確に内容を現せていなかったら?
その1分、2分、2分、という見積もりが間違っていたら?
そのときはそのときで、
また、
三行ないし四行を新しく書き直すか、
尺配分を変えて考え直せばいいだけのこと。
これは、複数のバージョンがあり得ることを示している。
脚本は、唯一解ではない。
観客や読者にしてみれば、
完成品は唯一しかないから、
それが唯一解であるように見えるのだが、
作る側からすれば、
唯一解を見いだすために、複数の別解を考え出してみることは、
普通にあることだ。
(もっとも、デジタルになりすぎて、
別解をたくさん作りすぎて、作る前に考える、
ということが現場から失われつつあるのは残念だが)
それは、一体どんな話なのか?
それはいつもいつも見失いがちである。
木を見て森を見れないのは、
毎日毎日あることである。
だから、今日も三行ないし四行にまとめてみるのである。
1.○○(X分)
2.△△(Y分)
3.□□(Z分)
のように。
この話は、どういう構造なのか。
その配分はどうあればベストなのか。
勿論、余裕があれば別解を作ったり、
あるいは第二階層や第三階層について、
同じことをして整理していくのも、
とてもいいことである。
これは、ページ数が大体決まっている、
懸賞小説にも応用できる考え方かも知れないね。
ところで、
自分がどれくらいの尺(ページ数)があると、
どれくらいの内容が書けるかを、
知ってるかい?
それが分からないとこれが出来ないんだな。
それが分かるためには、
いつも沢山書いてないと、見積もれないぞ。
2017年03月07日
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