設定の話、さらに続き。
(この記事、先週末にアップしてたと思ったら、
アップできてなかったので今アップします)
これまでの「設定」という言葉を使うのなら、
ストーリーとは、設定が次々と変化していくこと。
それを更新することがストーリーである。
その変化ポイントをターニングポイントといい、
ターニングポイントで、ストーリーは章わけされる。
数章の話か、何十章の話かは、
作者が設定した章立てではなく、
ターニングポイントの数で把握するとよい。
とある設定でものごとをはじめたとする。
そこで話が大体尽きると、
新設定が登場し、
話は次に進む。
新登場人物はその典型だ。
新しい場所にいくのもそこに含む。
新しい展開とはすなわち、
「これまでなかったことが現れること」である。
事件の新展開とは、
たいていは新事実の発見によってもたらされる。
それまで当然と思っていた世界が、
それで揺らぐからである。
ラブストーリーの進展は、
「二人の関係の設定の更新」で考えるとよい。
「どちらかがどちらかを好きになる」という初期設定が、
「向こうも満更でもない」に更新されるときが、第一章と第二章の境目だ。
「恋人同士になる」
「世間に言う」
「冷める」
「また好きになる」
「浮気して一端別れる」
「またくっつく」
「夫婦になる」
などのステージ進行は、
二人の関係という設定の「更新」だと考えるとわかりやすい。
設定の更新こそが、ストーリーである。
たとえば車田正美という漫画家は、
この天才であった。
ストーリーがどんどん進んでいく感じは、
設定がどんどん新しくなってゆく感じだったのだ。
たとえば漫画「風魔の小次郎」はその典型だ。
「学園同士の抗争の裏に、忍の一族がいて、
そこに風魔の小次郎が派遣される」という設定が、
「風魔一族が小次郎の助っ人に入る」という設定になり、
「夜叉八将軍がやってくる」という設定になり、
「サイキックソルジャーがいる」という設定になり、
「伝説の聖剣風林火山がある」という設定になり、
「飛鳥武蔵には病気の妹がいた」という設定になり、
「武蔵は聖剣のひとつ黄金剣をもっていた」という設定になり、
「聖剣には真の正統継承者がいる」という設定になり、
「それらは謎の一族カオスの差し金」という設定になり、
「四千年続く聖剣戦争」という設定になり、
「聖地で十本の聖剣が戦う」という設定になった。
(反乱編はこの際無視……)
このストーリーのスピード感は、
「なにい!?」のスピード感だ。
「こう思っていた世界の設定」が、
根底から覆される連続を書くのが、
車田正美は天才的だったのだ。
冷静に考えればおかしなことも、天才車田の手にかかれば、
「なにい!?」の魔術にはまっていくのである。
僕が特に好きなのは「リンかけ」の、
剣崎「右のマグナムにも匹敵するスーパーブロウが、
この左手にも宿っているのよ!」「なにい!?」
ピキィィィィィィン「ギャラクティカ・ファントム!」
の流れだ。
「一人一必殺技」の暗黙の原則が破られた、劇的な、
「さすが剣崎!」となる瞬間だった。
あの見開きにはしびれたものだが、
それはストーリー上の結節点でもあったわけだ。
(これがターニングポイントになり、
みんな第二必殺技を持つようになる)
で。
ストーリーが停滞している時は、
すなわちその時点での「設定の更新」が、滞っているときなのである。
その世界に拘泥してすすめられないのか、
新しい「なにい!?」を思いつけないのかは、
そのケース次第だけどね。
客が思うよりも速く、
世界の設定が更新していったり、
世界が変わりすぎていたりすると、
「展開が速い」と感じる。
更新が遅かったり、たいして更新で変わってなかったりすると、
「展開が遅い」と感じる。
速いにせよ遅いにせよ、
その展開に観客が興味がなくなったとき、退屈が襲ってくる。
速い遅いは、
いい悪いとは関係なくて、
「最初に示したペース」を基準として見るのが慣例である。
速いやつは怒涛ものとして見る準備をするし、
遅いやつはじっくりものとして見る準備をするだけのことだ。
ただ、
速いのと遅いのがぎくしゃくしていたり、
速かったのが遅くなりすぎると、退屈になるだけのことである。
(遅いやつが徐々に速くなっていくのは快感がある)
脚本は音楽だ。ペースというものがある。
それは台詞のテンポとかじゃなくて、
世界設定の更新の度合いとペース、というところで見ればいいだろう。
2017年03月13日
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