2017年03月10日

目的という矢2

物語とは目的の矢のことである。

こう考えると、
そうなっていないものを、
そうするように修正できる。



〇主人公の矢が放たれる時の少し前からはじめて、
主人公の矢が目的にたどり着いたらおしまい。

→主人公が何故矢を放ち、行動に出たのかを示すのが、第一幕。
主人公がほとんど行動しないのは物語ではないし、
主人公の行動に感情移入できないのは物語ではない。
それは動機に感情移入することで達成されるから、
一幕の感情移入が肝だ。
(先に行動を見せて、あとで理由を明かすパターンもある)

→矢が目的にたどり着いたらおしまい。
だらだらと後日談を引き伸ばすと、いつまでやってるんだとなる。

→矢が飛ぶということは、常にリスクを抱えている。
危険のない話は面白くない。

→矢は飛び続けなければならない。
途中で飛ぶ理由がなくなってしまうと、矢が落ちてしまう。
いつも、常に、矢が飛ぶ理由は新鮮でなければならない。



〇複数の矢が衝突しあう。

→主人公の一方的な行動だけでは物語にはならない。
同様に複数の矢が飛んでいて、どこかでぶつかるのが物語だ。
そのぶつかり合いの本数や回数で、長さが決まる。
二者の1ターンで決着がつくのは短編、
何度も、何者もの、
複雑な対決や折衝や展開があるのが長編。

→それぞれの矢は、過去(事情)、現在(焦点)、未来(つもり)を持つ。
どれかが曖昧になると、
矢のぶつかり合いや、進路変更を楽しめない。
(そもそもぶつかる意味あるんだっけ、とか、
ぶつかっても弱かったりとか、
意志を持たないぶつかり合いになってしまったりとか、
なんとなくの合流や離散になってしまうとか、
とにかく感情移入がとぎれてしまう)


〇矢のタイミングは、一斉ではない。
→主人公より早く目的を達成する人が現れたり、
目的が達成できない人もいたり、
主人公より遅く矢を打つ人もいるかもしれない。
同時に矢を放ち、同時に着弾する必要はない。
そのタイミングをずらすことそのものがストーリーになることもある。
(遅咲きの人の話とか)

〇目立つ矢と、目立たない矢がある。
→一番目立ち、勢いがあり、最初から最後まで一貫して飛ぶ矢こそ主人公であるべき。
ほかに強烈な矢があるならば、先に尽きるとかしないと、
主人公が目立たなくなる。
(その一番強力な矢を主人公に変えてしまう、という反則もあるにはある)

〇矢は曲がるし、ぶつかって変な方向へ進む。
→ぶれてもいい。まっすぐじゃなくてもいい。
「最初から最後まで通してみたときに、おかしくない」ようであれば構わない。
むしろその揺れは、ストーリーの幅になる。
逆に、振れ幅を大きく取りたいなら、ぶつかって方向性を曲げまくることだ。
それが最終的に、矛盾なき一貫性の結果ならば何の問題もない。
むしろ一直線の話は、単調でつまらないかも知れない。

→大きくその方向性が変わる所が、節目節目のターニングポイントだ。
それによって、話は章に分れる。
場所や時代で章をわけるのは、見た目の章立てにすぎない。
内容の章立てとは、矢の飛ぶ方向と方向替えのテンポで見るべきだ。
場所や時代が変わって、見た目が大きく変わったとしても、
矢の飛ぶ方向がずっと同じなら、
それは停滞している可能性がある。



ストーリーとは、目的の矢である。
そう考えると、色々なことが整理しやすいのではないか。
posted by おおおかとしひこ at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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