普段僕はスプレッドの否定論者だけど、
どうしようもなくふつうの部分を、
スプレッドで跳ねさせる、
という裏の手もある。
スプレッドとは、
「カードをテーブルの上に、
(マジシャンのように)広げる」
の意味で、
「ある意図に基づく、
バリエーションの提示」のことである。
あの子をデートに誘うため、
あの手この手で仕掛ける、
という「あの手この手」がスプレッドの部分に相当する。
僕がスプレッドを戒めるのは、
それがストーリーが進んだようになっているだけで、
ちっとも話自体は進んでないのに、
なんだかクリエイトしたような気になってしまっている、
ガワの危険を知ってもらうためである。
あの手この手を創作することはとても楽しいのだが、
大きなストーリー、
すなわち事件と解決で結ばれる大筋
(この場合彼女のハートをゲットすること)では、
なんの進展もないただの時間稼ぎ要素である、
ということを分かった上で、
これを創作されたい。
つまりスプレッドは、
ガワの楽しみのひとつでしかなく、
ストーリーの本質部分に影響を及ぼさない。
(スプレッドABCを、ABXに変えても、
大筋は影響を受けない)
だから、楽しみとしてのスプレッドは認めるが、
ストーリーの一要素としては認めないわけである。
スプレッドはいわばファッションだ。
着替えるのが楽しいだけなのである。
で、本題。
そのファッション的な楽しみを、
逆に利用する。
ふつうに出来ているストーリーで、
良くできているのだが、
いまいち地味で華やかさに欠ける部分に、
スプレッドを使うとよい。
使うには簡単で、
今主人公がしようとしていること(焦点)に、
相手が「簡単なことではOKをださない」、
という前提を付け加えるだけでよい。
そうすることで、
主人公はあの手この手をひねり出さなければならなくなる。
ということで、
アイデアのバリエーションの見せ場が訪れるのだ。
スプレッドは、必殺技コレクションのようなものだ。
華やかでバリエーションがあり、
キャラが立っているのが望ましい。
スプレッドは華やかで気分を変えるものであるから、
どこに盛り込んでも機能する。
一番多く使われるのは、
二幕冒頭だろう。
一幕が終わって一段落したときに、
気分を変えるためによく使われる。
大抵は華やかな音楽を伴うこともあるくらいだ。
「プリティウーマン」では、
文字通り着替えのために、
いろんな高級ブティックで買い物をする、
いわばブティックスプレッドがあり、
ここでメインテーマがかかる。
ストーリーとストーリーの谷間、
気分を変える時にスプレッドはとても機能するわけだ。
ミュージカルにおけるダンスシーンや、
恋の進展を示すモンタージュ、
あたらしい環境に慣れていくモンタージュなども、
こうしたスプレッド機能の一部と見てよいだろう。
ただ、
ストーリー展開に困ったら、
スプレッドシーンでお茶を濁す、
だけはやってはいけない。
そのあとに何をしてよいか、
ストーリーが行方不明になりがちだからだ。
しっかりしたストーリーがあるのだが、
地味だな、というパートを、
スプレッドで華やかな彩色をすればいいだけのことである。
今書いている話では、
「キャラを立てる」というパートがあり、
そこを面白キャラスプレッド(無茶ぶりも含む)、
という展開を持ってきて、
話を派手にしようと試みている。
スプレッドは調味料だ。
材料がいいときだけ、跳ねるものになる。
調味料だけでは何にもならない。
(バカ舌の人は、調味料だけで旨いとかほざく。
そういう奴は味の素の粉だけ食って生きていればいい)
それだけ分かっておけば、
調味料とのつき合い方も分かるだろう。
2017年03月13日
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