2017年03月16日

映画脚本とは、ストーリーを絵に象徴させること

これまでの一連の議論の、結論めいたこと。

結局、絵しか我々の記憶では操作できないのだから、
いかに面白いストーリーを作ったとしても、
それが絵にならないなら、
記憶には残せないのである。


私たちは、
ストーリーという流れの設計者である。
似た職業は、
ジェットコースターの設計者、
作曲家、
ダンスの振り付け師、
工場製造ラインの設計者、
交通道路網の設計者、
河川工事設計者、
などの、流れの設計者だ。


たとえば、
ジェットコースター体験って、記憶がある?
前後関係ごと、流れを再現できる?
否だろう。
最初の落下の印象や、
一回転してるピークや、
いくつかの場面でしかないだろう。

たとえば、
「バードマン」って、どういう映画だったっけ?
前後関係ごと、カメラワークこみで、
流れを再現できる?
否だろう。
思い出せるのは、一部の切り取られた場面しかないはずだ。
あるいは、読後感みたいな、曖昧な印象でしかないだろう。

流れは記憶に残りにくい。
逆に、絵なら、記憶に残る。

昨今、カメラが軽くなったせいで、
ワンカット演出なんてのが流行っている。
しかしこれは、
見たときは驚くんだけど、
あとで思い出したり、人に説明することができない。
とにかく驚いたんだよ、とか、すげえんだよ、
とかの、動物的点的感情しか話せない。

逆に、絵なら記憶に残る。

たとえば「ララランド」のオープニング曲のダンスミュージカルを、
流れとして説明出来る人はいないだろう。
ほぼワンカットに見えるように撮影していたからだ。
(メイキングによれば6カットに割ってるそうな)

しかし監督は巧みで、
いくつか静止画的なイコンを用意している。
トレーラーの後ろ扉を開けたらドラムがいたとか、
黄色いダンサーが印象的だったとか、
(タイトルが黄色だったので分かるように、
黄色はこの映画のキーカラーである)
ラストにカメラが引いていって、
全景でみんなが勢揃いしているところとかだ。

つまり、流れを再現できないが、
静止画に落とし込むように、
印象操作しているのである。

このオープニングで象徴すべきこと、
かつ、のちのちの伏線であること、
すなわち、

・LAは渋滞しがち、特にここの橋の上
・それはLAに夢を見て集まる若者を象徴する
・のちに、それを外れた所に店が出来る
(橋を渡る以外の、別の選択肢)
・これは明るく素敵な物語(という形式を利用する)、
すなわち、これは夢を追う人々の物語

などのようなことを、
タイトルの一枚絵で象徴するように、
作ってあることに気づかれたであろうか。

(実際、見事なハッピーエンドであれば、
このオープニングに対する対句、
すなわちブックエンドになり、
名作の仲間入りを出来たはずだ。
しかし中身がスカスカで、そこはうまくいかなかった)

私たちはこの絵の象徴することが、
この映画のテーマである、
と思い込む。
そのように操作されている。
実際は中身がそうでないのにだ。
つまり、結果的にこれは羊頭狗肉である。

今回これがうまくいかなかっただけだが、
全ての映画脚本は、こうあるべきだ、
というのが本題だ。

ストーリーという流れは出来てて当然
(いや、まずそれが難しいんだが)、
それが、うまく(いくつかの)静止画に落とし込めていて、
あとから記憶をたどったとき、
それがその作品のタグになり、
それがテーマやストーリーを象徴し、
それを味わうことがストーリーを味わうことと同義になること、
すなわち、イコンであること。

そのように映画脚本は書かれるべきなのである。

ストーリーを作ってからイコンを作るのか、
イコンを作ってからストーリーを当てはめるのか、
同時に作り上げるのか、
僕には正解は分からない。
(二番目だけは無理があることが、経験的にわかっている)

しかし、
イコンがない流れは、バードマンのように、記憶から呼び出せないのは確かで、
似たようなワンカット撮影のララランドのオープニングは、
意味を象徴する絵で、
その場面(と映画全体)を、
記憶から呼び出せて、味わえるのである。

この違いだ。



僕は、ストーリーの流れそのものについて、
これまで書いてきて、
絵のことはあまり書いてこなかった。
それは、絵のことは監督の領分だと考えているからである。

しかし、脚本だけでなく、
ひょっとすると小説を書いている人もいるかな、
と、思って今回の議論をしている。
小説も同じく、イコンが必要なのだと、
最近思うようになったからだ。

じゃあ、脚本にもそういうのが、あったほうがいいだろう、
と、この記事を書いている。

理想の映画脚本は、
ストーリーがとても良くて、
しかもストーリーを象徴する絵がちゃんと計算されていて、
「この絵を美しく(面白く)撮りたい」
と思わせるものなのだろう。

当たり前のことを言えば、
話と絵がうまく連動している、
ということである。


ストーリーを象徴する絵が美しく作られれば、
それはポスタービジュアルになる。

ララランドのポスターはうんこである。
二人の丘の上のダンスをビジュアルに使っている。
これはストーリーの象徴的なシーンではあるが、
テーマの象徴ではない。
みんなが橋の上で両手を上げる、
タイトルカットをメインビジュアルに使うべきだ。
なんなら、
本編ではなかったが、
主人公二人がその前で踊っていてよい。
ララランドは、そういうビジュアルで、
皆に共有される映画であるべきだったのに。


自分でやった映画の失敗の事情を、ここで書くべきだろう。
「いけちゃんとぼく」では、
ララランドと同じく、
タイトルカットをイコンにするつもりだった。
草原と海と山のある、サイバラワールドを、
ヨシオといけちゃんが走るカットだ。
しかし、仕上げ進行がぐだぐだで、
このビジュアルが宣伝部に渡らなかったのである。

そのときはCG製作真っ最中で、
いけちゃんの動きがイマイチで、そのカットにOKを出せていなかった。
「宣伝部に渡すCGカットを、出来上がったぶんだけくれ」
と言われたので、そのカットを渡さなかった。
出来上がってから渡そうとしたら、
「もう入稿した」というのだ。「はあ?」
そのカットはなかったから使わなかったという。
角川の仕切りの悪さは酷い。
出来上がった宣伝ポスターは、
老人二人が海を見つめているバックショット。
僕が激怒したことは言うまでもない。
重大なネタバレで、監督の領分に踏み込む愚挙である。

僕がすべきことは、
現場の撮影でOKが出た瞬間に、
スチル班に、「ここポスターに使いたいから、
30分かけてでも、ヨシオといけちゃんのツーショットをこの場で撮ってくれ」
ということだったと、今ならわかる。
しかしその後にそういう間抜けなことがあるとは知らなかったので、
自衛もなにも出来なかったのだ。

おそらくララランドの監督も、
橋の上でワンカット、スチルを押さえておけば良かったのだ。
しかし残念ながら、
編集し終わったときに、
「この映画全体を象徴するワンビジュアルはこれだ」
と判明することも多々ある。
撮影段階で判断することは難しい。


だからこそ。
それ以前の脚本で、それをも決着をつけておくべきなのだ、
という、これは上級者向けの話かもしれない。

少なくとも、
オープニング、タイトルカット、きっかけ、
第一ターニングポイント、ミッドポイント、第二ターニングポイント、
クライマックス、ラスト、
どれかは、
その場面の候補になるだろう。
(いけちゃんに限っていえば、
母にいけちゃんが見えていた場面も、地味にいいイコンだけど)
だとすれば、
その場面に限って山をはっときゃ間違いないというわけでもある。


角川と東宝の差は、その知性かも知れない。
ドラマ「風魔の小次郎」は、
格安の予算ではあるが、
少なくとも全員集合のイコン(DVD一巻の表紙)
でもって、内容を絵に象徴した。
絵は安いけど、心根は伝わる。
絵は安いけど。

ちなみに僕は、オープニングにその意をこめた。
旗を持って集合した、あの絵だ。
それはそれで、サントラのジャケに使われてるよね。
夜叉が含まれてないのが惜しい。
夜叉姫の間で、夜叉版を撮っておけば良かったね。
ドラマの撮影を止めてスチル撮影を入れるかどうかは、
監督判断ではなくプロデューサー判断だ。
プロデューサーの判断が全体に及ぼす影響や、
その責任の重さを、実感して頂きたい。
監督に求められる技能は、
プロデューサーがダメなとき、越権行為ながら、
プロデューサーがわりも務めることだと、
やってみてわかった。




物語とは、流れである。
しかし流れは、絵で象徴されて、記憶に格納される。

流れが面白く、強く、価値がなければ、
それはクソストーリーである。
しかしそれだけではダメで、
その重大なところが、絵で象徴されるべきである。
その絵こそが、時代のイコンになる。

もちろん、絵だけよくて、中身がスカスカの、
たとえばペプシ桃太郎やシンゴジラなんてのは、
論外である。
posted by おおおかとしひこ at 12:55| Comment(3) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
大岡さんが「ストーリーやテーマが上手く表現されている」と感じた映画ポスターはありますか?あるなら作品名を教えていただきたいです。
Posted by 千ドル at 2017年03月19日 00:17
千ドルさんご質問ありがとうございます。

「ジョーズ」「ET」かな。
「スターウォーズepisode1」の、
アナキンの影がダース・ベイダーになってるやつも良かった。
(世間の期待はこのポスターのような内容の映画だったはずなのに…)

テーマはネタバレとの戦いになるから、
なかなか名作はなさそうですね。
「スタンドバイミー」の、線路の向こうを目指してる4人のバックショットのバージョンもいいと思います。

ぱっと思い出せるのはこれぐらい。
調べていい例があれば、記事化します。
Posted by おおおかとしひこ at 2017年03月19日 00:42
返信ありがとうございます。参考になります。
Posted by 千ドル at 2017年03月21日 20:56
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