転んだ回数が大事だ。
してない失敗は、ないくらいになれ。
主人公がメアリースーだった。
途中で挫折した。
落ちが微妙だった。
よくあるキャラばっかだった。
テーマに落ちてなかった。
展開が読めた。
中盤だれた。
唐突すぎた。
伏線が露骨だった。
伏線がそうだと分からなかった。
テーマが普通すぎた。
テーマが特殊すぎた。
裏切りがなく平板だった。
とにかく、
ありとあらゆる失敗をするんだ。
それは、痛い目に遭わないとわからないことだ。
ああ、自分はなんという失敗をしてしまったんだ、
と、一生トラウマになることだってある。
三日でけろっとすることもある。
問題は、じゃあ次はどうやったら成功するかだ。
失敗しない方法は、反省すればわかる。
こっちへいくと失敗することが多い、
と勘もできてくる。
その勘は、膨大な失敗経験のなせる業だ。
そういうときによくやることは、
大成功ではない、小成功を押さえにすることである。
成功するかしないかは、一種のギャンブルだから、
失敗したらこの押さえを使うことにしよう、
という考え方である。
成功する方法は、実は誰にも分からない。
成功するには、成功する方法ごと確立しないと出来ない。
あるいは、偶然が舞い降りるまで、死ぬほど試行錯誤するかだ。
そのうち方法論が確立するけれど、
その方法論自体も更新されうる。
だから、とにかく失敗しては、
何度でも立ち上がるしかないのである。
僕は短編を沢山沢山書きなさい、
と日々言っている。
5分のシナリオを、100本書きなさいと。
それは、失敗の回数を増やすための練習台なのである。
沢山転んで、
次に転ばない為にはどうするか、
沢山反省すればいい。
生涯書くページ数の、10倍以上失敗しておこう。
デビューしてからも、どうせ失敗するんだから。
成功するやつは、
偶然成功する方法にたどり着いたやつだけだ。
それは、必然じゃなくて偶然でしかない。
小成功で押さえてくるか、それからギャンブルするか、
そういう勘も鍛えておこう。
僕はある程度型が出来てしまっているから、
それを壊さなければ、次の成功はないと考えている。
時代に間に合うといいのだが。
ちなみにカタナ式を改造するのが、
楽しくてしょうがない。
(昨日書いたのよりもいいのを思いついた…指範囲は同じままで)
成功する方法ごと発明しなければならないからだ。
全く新しいことをやるのは、
そういう成功と失敗の経験を積む上では、とてもいいことである。
さらにちなみに、
毎週通ってるプールが飽きてきたので、
古式泳法をマスターしようと昨日思いついた。
(バタフライは難度が高いのであきらめ気味だ)
痩せるという目的にはイマイチだが、
服着て泳げる方法論を学びたいなと。
僕はストーリー創作に関しては、
もはやこれほどの沢山の失敗が出来ない。
それは沢山沢山失敗してきたからだ。
全く別のことで失敗する経験は、
これまでの軌跡を思い出させてくれるわけだ。
ストーリー創作に関しても、
もっと失敗しなきゃなあ。
成長曲線というのは、
一般的に、最初期はなかなか伸びず、
一回コツを掴んだらグンと伸び、
後半はどれだけ努力してもなかなか伸びなくなるものである。
今自分はどのへんにいるのか、自覚してみるのもよい。
ということで、沢山失敗しよう。
沢山反省しよう。
反省なき所に成長なんてない。
失敗なき所に反省はない。
そもそも書かなきゃ、失敗すらない。
成長しなければ、自分の能力以上のものは一生書けない。
2017年03月18日
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