と思ったでしょ。ところが。
これがストーリーの本質である、
なんて話をしてみよう。
例文。
「タイにロケに行ったときの話なんだけどさあ。
すっごいかわいい子に逆ナンされちゃって。
ホテルに連れ込んだら、オカマだったんだよ」
CMスタッフから、たまに聞くこの笑い話。
この話は、
「と思ったでしょ。ところが」
という構造をしている。
逆ナンされてホテルに連れ込むところまでは、
ラッキーな目に遭える、という「流れ」である。
この先の流れはラッキースケベである。
「と思ったでしょ」は、
ここまでだ。
「ところが」と、
この流れはまるで変わってしまう。
オカマだったという話に。
ラッキースケベだと思ったらオカマで、
ひどい目にあった、という話。
わざわざ解説するまでもないけど、
この話にはそういう構造がある、
という認識がだいじだ。
さて、
まずこの話から「ところが」を除いてみよう。
「タイにロケに行ったときの話なんだけどさあ。
すっごいかわいい子に逆ナンされちゃって。
ホテルに連れ込んで、セックスしちゃった」
これは、「話としては」何も面白くない。
ただの自慢で、「で?」となってしまう。
話とは、起こった出来事を、
最初から最後まで、時に省略や誇張を交えながら、
面白おかしく語ることではない。
どんなに上の話を盛ったり引いたりしてみても、
それはストーリーではない。
ただの報告だ。
「ね?めっちゃ面白いでしょ?」と言われても、
「どこが?」と怒りすら湧いてくる。
これは、ストーリーではないからである。
話し手の変わった体験談という意味では、
「よかったね」でしかなくて、
それはストーリーではないのである。
つまり、ストーリーと、報告や記録は、異なる。
混同されて使われることもある。
「君のおもしろい体験談を語って」という質問にたいして、
ストーリー形式で語るのか、
報告形式で語るのか、明確でなく混同されている。
ここでは明確に区別をしていく。
その「報告」が面白い/面白くないという主観的判断は、
「タイの逆ナン」が面白いか面白くないかで決まってしまう。
タイが嫌いな人は、問答無用で面白くない扱いだ。
下ネタ嫌いも面白くないと言うだろう。
ところが、ストーリー形式になると、
主観的判断(好み)は、一端脇に置かれる。
このストーリーでは、
「似たような全然違う自分の体験を思いだし、
それをタイの失敗に置き換えることが出来る」
からである。
これが、ストーリーと報告の違いである。
その形式的な違いは、
「そう思ったでしょ。ところが」ということだ、
ということを明らかにしようとしている。
さて、逆をやってみる。
「そう思ったでしょ」を取り除いてみよう。
「ホテルに連れ込んだら、オカマだったんだよ」
これも報告としては不十分だが、
報告の一部だ。
「セックスしようとした相手がオカマだった」
というのはそれなりにインパクトのある出来事で、
そのインパクトを伝えたいのは分かるが、
それはインパクトの報告に過ぎない。
これも同じで、主観的判断で面白い/面白くないと言われる。
オカマ嫌いな人は面白くないと言うだけだ。
ストーリーが面白いか面白くないかは、
要するに「そう思ったでしょ。ところが」という構造があり、
かつ両方にインパクトがあるときなのである。
つまり、三つ必要だということが分かってくる。
そう思ったでしょのインパクト。
ところがのインパクト。
そう思ったでしょからところがへのインパクト。
さらに発展させてみる。
「タイにロケに行ったときの話なんだけどさあ。
すっごいかわいい子に逆ナンされちゃって。
ホテルに連れ込んだら、オカマだったんだよ。
でもいいやと思って、やっちゃった」
「そう思ったでしょ。ところが」
「そう思ったでしょ。ところが」
と、二回重ねたパターンである。
さらに発展させてみる。
「タイにロケに行ったときの話なんだけどさあ。
すっごいかわいい子に逆ナンされちゃって。
ホテルに連れ込んだら、オカマだったんだよ。
でもいいやと思って、やっちゃった。
ところがさ、朝、ヤクザに怒鳴りこまれたんだ。
美人局って、オカマにもあるんだぜ」
三回重ねてみたわけだ。
さて、この話を聞く我々は、
大きなリアクションを三回するだろう。
「オカマだったのかよ!」
「やっちゃったのかよ!」
「美人局かよ!」
三村風に大袈裟に言えばこういうことだろう。
さてこれはどこだ?
「ところで」の部分だよね。
我々は「そう思ったでしょ」が「ところが」になったとき、
驚き、知性を働かせようとするのである。
流れが流れであるとき、私たちは自動的にその流れの終着先を予測している。
それが「ところが」になったとき、
感情や知性がフル稼働を始める。
そのとき私たちは、「この話に夢中になっている」のだ。
つまり我々ストーリーテラーには、
二つの技能が必要だ。
「そう思わせる」という誘導力と、
「ところが」力である。
ちなみに、
そう思ったでしょ、と誘導していくことを、
焦点を明らかにするという。
暗闇を進むときのヘッドライトのようなもので、
ストーリーの進む先をつねに明らかにしておくと、
焦点を明確に出来、
流れを見失わないですむ。
また、
ところが、のポイントを、ターニングポイントという。
ターニングポイントは途中であってもいいし、
落ちに来てもいい。
落ちに一番デカイ「ところが」があるのを、
特にどんでん返しという。
そう思ったでしょ?ところが!
これがうまい人のことを、
優れたストーリーテラーというのではないだろうか。
2017年03月23日
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