2017年03月23日

ストーリーの本質は、「と思ったでしょ。ところが」である

と思ったでしょ。ところが。

これがストーリーの本質である、
なんて話をしてみよう。


例文。

「タイにロケに行ったときの話なんだけどさあ。
すっごいかわいい子に逆ナンされちゃって。
ホテルに連れ込んだら、オカマだったんだよ」

CMスタッフから、たまに聞くこの笑い話。
この話は、
「と思ったでしょ。ところが」
という構造をしている。


逆ナンされてホテルに連れ込むところまでは、
ラッキーな目に遭える、という「流れ」である。
この先の流れはラッキースケベである。

「と思ったでしょ」は、
ここまでだ。
「ところが」と、
この流れはまるで変わってしまう。
オカマだったという話に。

ラッキースケベだと思ったらオカマで、
ひどい目にあった、という話。
わざわざ解説するまでもないけど、
この話にはそういう構造がある、
という認識がだいじだ。


さて、
まずこの話から「ところが」を除いてみよう。

「タイにロケに行ったときの話なんだけどさあ。
すっごいかわいい子に逆ナンされちゃって。
ホテルに連れ込んで、セックスしちゃった」

これは、「話としては」何も面白くない。
ただの自慢で、「で?」となってしまう。

話とは、起こった出来事を、
最初から最後まで、時に省略や誇張を交えながら、
面白おかしく語ることではない。
どんなに上の話を盛ったり引いたりしてみても、
それはストーリーではない。
ただの報告だ。
「ね?めっちゃ面白いでしょ?」と言われても、
「どこが?」と怒りすら湧いてくる。

これは、ストーリーではないからである。
話し手の変わった体験談という意味では、
「よかったね」でしかなくて、
それはストーリーではないのである。

つまり、ストーリーと、報告や記録は、異なる。

混同されて使われることもある。
「君のおもしろい体験談を語って」という質問にたいして、
ストーリー形式で語るのか、
報告形式で語るのか、明確でなく混同されている。
ここでは明確に区別をしていく。

その「報告」が面白い/面白くないという主観的判断は、
「タイの逆ナン」が面白いか面白くないかで決まってしまう。
タイが嫌いな人は、問答無用で面白くない扱いだ。
下ネタ嫌いも面白くないと言うだろう。

ところが、ストーリー形式になると、
主観的判断(好み)は、一端脇に置かれる。
このストーリーでは、
「似たような全然違う自分の体験を思いだし、
それをタイの失敗に置き換えることが出来る」
からである。

これが、ストーリーと報告の違いである。

その形式的な違いは、
「そう思ったでしょ。ところが」ということだ、
ということを明らかにしようとしている。


さて、逆をやってみる。
「そう思ったでしょ」を取り除いてみよう。

「ホテルに連れ込んだら、オカマだったんだよ」

これも報告としては不十分だが、
報告の一部だ。
「セックスしようとした相手がオカマだった」
というのはそれなりにインパクトのある出来事で、
そのインパクトを伝えたいのは分かるが、
それはインパクトの報告に過ぎない。

これも同じで、主観的判断で面白い/面白くないと言われる。
オカマ嫌いな人は面白くないと言うだけだ。

ストーリーが面白いか面白くないかは、
要するに「そう思ったでしょ。ところが」という構造があり、
かつ両方にインパクトがあるときなのである。

つまり、三つ必要だということが分かってくる。
そう思ったでしょのインパクト。
ところがのインパクト。
そう思ったでしょからところがへのインパクト。


さらに発展させてみる。


「タイにロケに行ったときの話なんだけどさあ。
すっごいかわいい子に逆ナンされちゃって。
ホテルに連れ込んだら、オカマだったんだよ。
でもいいやと思って、やっちゃった」


「そう思ったでしょ。ところが」
「そう思ったでしょ。ところが」
と、二回重ねたパターンである。

さらに発展させてみる。

「タイにロケに行ったときの話なんだけどさあ。
すっごいかわいい子に逆ナンされちゃって。
ホテルに連れ込んだら、オカマだったんだよ。
でもいいやと思って、やっちゃった。
ところがさ、朝、ヤクザに怒鳴りこまれたんだ。
美人局って、オカマにもあるんだぜ」

三回重ねてみたわけだ。
さて、この話を聞く我々は、
大きなリアクションを三回するだろう。
「オカマだったのかよ!」
「やっちゃったのかよ!」
「美人局かよ!」
三村風に大袈裟に言えばこういうことだろう。
さてこれはどこだ?
「ところで」の部分だよね。

我々は「そう思ったでしょ」が「ところが」になったとき、
驚き、知性を働かせようとするのである。


流れが流れであるとき、私たちは自動的にその流れの終着先を予測している。
それが「ところが」になったとき、
感情や知性がフル稼働を始める。
そのとき私たちは、「この話に夢中になっている」のだ。

つまり我々ストーリーテラーには、
二つの技能が必要だ。
「そう思わせる」という誘導力と、
「ところが」力である。



ちなみに、
そう思ったでしょ、と誘導していくことを、
焦点を明らかにするという。
暗闇を進むときのヘッドライトのようなもので、
ストーリーの進む先をつねに明らかにしておくと、
焦点を明確に出来、
流れを見失わないですむ。

また、
ところが、のポイントを、ターニングポイントという。
ターニングポイントは途中であってもいいし、
落ちに来てもいい。
落ちに一番デカイ「ところが」があるのを、
特にどんでん返しという。


そう思ったでしょ?ところが!

これがうまい人のことを、
優れたストーリーテラーというのではないだろうか。
posted by おおおかとしひこ at 00:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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