昨日行った激安居酒屋が、
白熱球や提灯を模した、フルLED照明の店だった。
この落ちつかなさはなんだ、
と違和感を感じていたのだが、
外人しか店員がいない人件費節約のせいでもなく、
内装の建材の安さでもなく、
そうか、照明のせいだと後半に気づいた。
デジタルの照明は、人を幸せにするのか?
僕はしないという立場である。
LEDの光線は、直進性が高いとよく言われる。
硬い光と柔らかい光、
という表現がよく照明理論で使われる。
LEDは前者だ。
影がくっきり出て、回折や散乱を起こさないライティングになる。
柔らかい光の対極は、故篠田昇カメラマンのライティングだ。
(岩井俊二と組んだ一連の作品)
僕はCMの助監督時代にお世話になったのだが、
光を柔らかくさせるために、
つまりは散乱させて回折させるために、
どの現場でもスモークを焚いていた。(ロケですら)
スモークにも何種類かあるのだが、
細かい粒で、一番散乱する油のスモークのやつだ。
スモークの効果は、
部屋の中に光が差し込んでいるときに、
ほこりをたてると実感することが出来る。
ほこりの粒が目に見えないぐらいに目を薄めて見るといい。
ふわっとした光になるはずだ。
スモークを焚くのは、ふわっとした光にするためなのである。
光はもともと直進するものであるが、
反射や屈折したときに挙動が変わる。
その挙動は光の波長に比例する。
このとき、
波長の揃っている光と揃っていない光では、
挙動が異なるわけだ。
波長が揃っていないと、
反射や屈折がバラバラで、
ひとつの光が散乱する。
つまり、ほこりを通過すると、
バラバラに反射屈折する。
これが散乱し、ふわっとし、影も柔らかくなることの正体である。
一方波長が揃っていると、
反射屈折の挙動が同じなので、
散乱がランダムにならず、
それはそれで進み、硬い影を作り、散乱は少ない。
ほこりを例に出したが、
ほこりやスモークは人為的に散乱現象を肉眼で分かりやすくするためであり、
現実的には、空気中の成分(主に水蒸気)や、
空気そのもので散乱が起こるわけだ。
LEDの発光原理は、
デジタル素子の振動だ。
デジタルで制御しているため、
極めて同じデジタル波を出す。
つまり、同じ周波数が揃っている。
(数学的に言えば、フーリエ分解がきれいに出来やすい。
サイン波に近いものになるわけだ)
だから、硬くて散乱しにくい光だ。
一方、白熱球、タングステンライトなどは、
金属を熱した時の発光現象を利用している。
激しい抵抗を与えて発熱させるわけだ。
そのために細くて曲がっている金属を作る(フィラメント)。
電子が金属を通りにくいようにするわけである。
細くて迷路状になっているから、抵抗値も高いわけだ。
ということで、そもそもランダムな発光の仕方をするわけだから、
複雑な周波数成分を多く含むわけである。
(数学的に言えば、複雑な波形で、フーリエ分解しにくい)
デジタルな光は、つまり、
当たっているか、影かが、くっきりしている。
シャープだとも言えるし、
潔いとも言えるし、
クリーンだとも言えるし、
クールだとも言えるし、
CGっぽいとも言えるし、
デジカメっぽい上がりになるとも言えるし、
被写体の欠点がそのまま出るから、
見も蓋もないとも言える。
アナログな光は、つまり、
当たっているところと影が曖昧である。
ふわりと暖かいとも言えるし、
ぼんやりしてるとも言えるし、
肌触りがいいとも言えるし、
全てが混ざったようになるとも言えるし、
分解性能が悪いとも言えるし、
七難隠すとも言える
(何故岩井俊二の映画に出てくる女の子は可愛かったのか?
篠田昇カメラマンの、ふわりとした光に包まれていたからである)。
クルマは硬い光で撮れと昔から言われる。
メカもそうだと言われる。
僕はそのライティングが嫌いで、
なるべく柔らかい光でデビュー作を撮ったのだが、
硬く直させられた。それ以来クルマは撮っていない。
人は柔らかい気持ちをもっている。
すぐに傷つくし、強引だし、闇もあるし、嘘をつくし、
猫をかぶるし、駆け引きもするし、ハッタリもするし、
ずるいし、潔癖だし、清潔だし、汚い。
つまり、人は、柔らかい光の中に生きていて、
硬い光の中に生きていない。
硬い光に生きているのは、
デジタルで気持ちの切り替わる、
パソコンみたいな公務員だけである。
スーツを着た、本当の気持ちの見えない営業マンだけである。
どちらが人の本質か。
僕はデジタルだと思っていない。
だからLEDの居酒屋は嫌いだ。
仕事が終わって一杯やる、その至福の時に、
デジタルの光は無用であると考える。
オンは硬く、オフは柔らかく?
いや、常にオフで、柔らかく生きたいものである。
硬い鉛筆は、簡単に折れるんだぜ。
しかし、その居酒屋、二人で飲んで3200円也。
安くてもそこで飲むべきか?
安い金で魂を縮こませるのか?
アナログの光の方が高い世界に、
そろそろ我々は生きようとしている。
昔のSFで、ロボットに支配された世界の、
人間的なアナログの象徴は、レコードや煙草や酒だったものだ。
21世紀は、電灯が、そのジャンルに入りつつある、
という衝撃的な話である。
デジタルは闇だ。
オンの光のすぐとなりにオフの闇がある。
僕はその闇を見るために、安くて明るい光を見に行くのか。
2017年03月23日
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キューブリックの「バリーリンドン」という映画では、
F値1.2の大口径レンズを開発し、
蝋燭だけでライティングしているという貴重な絵を見ることができます。
映画史上最も美しいライティング技術のひとつです。
ちなみに僕は、太陽と炎よりいいライトを知りません。
HMIもなるべく使いたくないし、蛍光管やLED照明も嫌いですね。
感傷こそが心、という考え方なのかも知れません。
また、僕は二十年前にUNIXでcで色々組んでいたので、
デジタル素人でもないです。
だからか。
デジタル開発者の怨念こそ、使用者に全く伝わってないものはないと思うのです。
怨念は、アナログのようにきちんと伝えるべきだなあと思っています。
デジタルの闇とは、怨念をも0に見せてしまうことなのかも知れません。
家づくりとかしてるとLEDの新製品が出るたび家計とか消費電力とか子供の視力とか考えて一喜一憂する施主さんに会いますしね。怨念も想いも一部のデジタルを毛嫌いしてる人たち以外にはふつうに伝わってますよ。
そんなことよりも「外人」という表現を安易に使われない方がいいと思いますよ。
デジタルで描いた線画を消しゴムツールで消すのと
アナログで描いた線画を修正液で消すのとでは
明らかに後者の方が怨念が伝わりますね。
なんども修正液を使用した後があると
作者の正しい線を引かんとする情熱を
感じることができます。
怨念というのは質量を通さないと伝わらないものですね。
デジタルの絵は質量ゼロですからね。
考えはわかります。
が、「幸せにする」か「幸せにしない」か、
どちらが真実なのか、ということを考えてしまい、
「どちらもあり、それぞれいいところと悪いところがある。
それを継続して考えるべきであり、
安易に白黒つけるべきではない」
という思考を拒否しがちなのが、
デジタルという病ではないか、と僕は考えています。
なお、この文章における外人表現は、
「日本人だと人件費が高いから、
外国人労働者を安く使おう。
すなわち新しい奴隷である」
という意味で使っているので、差別的用語の方が相応しいです。
移民問題の根本は、奴隷問題(資本主義の闇)だと僕は考えています。
しかも、
「日本人店員だとガンクレームするくせに、
外人店員だと言葉が通じないからクレームが来にくい、
と経営者が分かっていて、
あえて外人店員ばっかりにしてクレームを避ける」
という経営戦略があるので、
さらに闇は深いと思います。
以前車田正美先生の生原稿を見ましたが、
僕の一番好きだったリンかけ後期〜風魔夜叉編の、
主線が何回もペンを入れたあとがあって、
僕はそこにものすごい衝撃を受けました。
あんなに美しいと思っていた線が、
こういうパーツで出来ていたのかと。
一発で引いた線じゃないんだなあと。
一日中眺めていたかったですね。
怨念とは違いますが、
「日本料理屋は何故汚れやすい白木のテーブルなのか?」
という問いに対して、
「毎回毎回拭かないと、汚れが染みてくるからである。
つまり白木のテーブルとは、
丁寧に世話が行き届いているという、
料理屋の誇りの象徴なのだ」
という話を聞いたことがあります。
白木のテーブルは、たとえ店主の代が変わったとしても、
長いこと使っているほどにそれを表現するわけですね。
CtrlA→CtrlXではないのが、
アナログの面倒なところで、
かついいところなのだ、
というのは、
デジタル時代だからこそ意識されるのかも知れません。