2017年03月24日

ストーリーの本質は、話をイコンにすること

「そう思ったでしょ。ところが」の続き。
これの大事なことは二つだ。
以前も以後もインパクトを持つこと、
そしてその「転換」にもインパクトがあることである。

このインパクトの話を考えよう。
これは、イコンになるのがベストだ。


イコンはアイコンとも。
「話の状況を、一枚絵で表現したもの」
のことである。
これは、ふたつの要求がある。

「一発で分りやすいものにすること」と、
「それが絵的にインパクトがあること
(絵としてのキャラが立ち、強く、単純で、
記憶に残りやすいこと)」
である。

このふたつを備えていないものは、
イコンにはならない。
絵で示せても、詰まらない絵なら意味がない。
インパクトがある内容でも、
絵で示しにくい状況なら、それも意味がない。


「タイで逆ナンされたら、オカマだった」
という先日から使っている話は、
ビジュアルが想像しやすいのが特徴である。

タイという異国情緒的な、絵になる状況。
美女に逆ナンされるという、格好の、「絵になる」導入。
そしてホテルに連れ込んだらオカマだったという、
想像力のある人ほど珍妙な絵を思い浮かべる、
「ところが」のオチ。

ところが以前以後の両方の絵が、
キャラの立った絵であり、
その逆転が絵による逆転(美女→ちんこ)
という、必要なインパクトを全てそろえているところが、
この話の強さであることに気づかれたい。


これは、映画特有の話であろうか。
僕は、おそらく小説でも同じことだと考える。
小説という「目で見るもの」でないものでさえ、
ビジュアルインパクトが重要ではないかと考えている。
なぜなら、読者も頭の中で「絵を想像しながら」話を再現している、
からである。

見せてインパクトのある絵を使うのが映画、
書きこみなどでインパクトある絵を使うのが漫画、
想像してインパクトある絵を使うのが小説、
ではないか、
と現在僕は考えている。
メディアの違いは絵の性質の差でもある、というのが僕の仮説だ。
(これが実写化がうまくいかない理由のひとつと考える)

いずれにせよ、
絵になる状況こそが、話の本質を決める。
これはあくまで僕の仮説だ。
しかし、
面白い話なのに絵にならない話は、
結局記憶に残らないのではないかと考える。

的確な例が出ないが、
たとえば上司の結婚式スピーチの定番、
「人生にはみっつの坂があります」は、
「みっつの坂というビジュアル」で、
記憶に残りやすいのではないか、
というのが僕の説だ。



ということで、
面白い話のコツは、
ビジュアルで話を記憶しやすいような、
イコンになるように作った方がいい、
というわけである。

最初からビジュアルありきで話をつくっても構わないし、
ある話を作ったがイコンになりづらいから、
絵になるように話の設定を変えても構わないだろう。

「タイの逆ナン」でいえば、
舞台が熱海とか新宿だったら、
そこまで記憶に残る話にならなかった事が予測される。
「絵としてのインパクト」が重要なのだと考えるわけだ。


また、二回三回逆転させたバージョンでも、
絵的なイコンがあることに注意されたい。
「オカマだったけど、やっちゃった」も、
「と思ったら美人局だった」も、
絵が思い浮かぶではないか。

こういうことで、
この話は想像がしやすく、しかも記憶に残るのである。


もちろん、
話としてのスピード感や逆転具合が面白い、
というのがあった上で、という条件つきなのだが。

ビジュアルを優先させすぎて、
「話が面白くないくせに、ビジュアルだけ出来のいいもの」
については、
普段僕がガワだけではないか、と怒っている通りである。

しかし中身だけでもダメで、
ガワと一体でなければならない、
ということを今回は言おうとしている。


さて、面白い話の本質は、これで終わりではない。
結局、テーマというところに戻って来る。
次回、その話をしようと思う。
posted by おおおかとしひこ at 20:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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