「そう思ったでしょ。ところが」の続き。
これの大事なことは二つだ。
以前も以後もインパクトを持つこと、
そしてその「転換」にもインパクトがあることである。
このインパクトの話を考えよう。
これは、イコンになるのがベストだ。
イコンはアイコンとも。
「話の状況を、一枚絵で表現したもの」
のことである。
これは、ふたつの要求がある。
「一発で分りやすいものにすること」と、
「それが絵的にインパクトがあること
(絵としてのキャラが立ち、強く、単純で、
記憶に残りやすいこと)」
である。
このふたつを備えていないものは、
イコンにはならない。
絵で示せても、詰まらない絵なら意味がない。
インパクトがある内容でも、
絵で示しにくい状況なら、それも意味がない。
「タイで逆ナンされたら、オカマだった」
という先日から使っている話は、
ビジュアルが想像しやすいのが特徴である。
タイという異国情緒的な、絵になる状況。
美女に逆ナンされるという、格好の、「絵になる」導入。
そしてホテルに連れ込んだらオカマだったという、
想像力のある人ほど珍妙な絵を思い浮かべる、
「ところが」のオチ。
ところが以前以後の両方の絵が、
キャラの立った絵であり、
その逆転が絵による逆転(美女→ちんこ)
という、必要なインパクトを全てそろえているところが、
この話の強さであることに気づかれたい。
これは、映画特有の話であろうか。
僕は、おそらく小説でも同じことだと考える。
小説という「目で見るもの」でないものでさえ、
ビジュアルインパクトが重要ではないかと考えている。
なぜなら、読者も頭の中で「絵を想像しながら」話を再現している、
からである。
見せてインパクトのある絵を使うのが映画、
書きこみなどでインパクトある絵を使うのが漫画、
想像してインパクトある絵を使うのが小説、
ではないか、
と現在僕は考えている。
メディアの違いは絵の性質の差でもある、というのが僕の仮説だ。
(これが実写化がうまくいかない理由のひとつと考える)
いずれにせよ、
絵になる状況こそが、話の本質を決める。
これはあくまで僕の仮説だ。
しかし、
面白い話なのに絵にならない話は、
結局記憶に残らないのではないかと考える。
的確な例が出ないが、
たとえば上司の結婚式スピーチの定番、
「人生にはみっつの坂があります」は、
「みっつの坂というビジュアル」で、
記憶に残りやすいのではないか、
というのが僕の説だ。
ということで、
面白い話のコツは、
ビジュアルで話を記憶しやすいような、
イコンになるように作った方がいい、
というわけである。
最初からビジュアルありきで話をつくっても構わないし、
ある話を作ったがイコンになりづらいから、
絵になるように話の設定を変えても構わないだろう。
「タイの逆ナン」でいえば、
舞台が熱海とか新宿だったら、
そこまで記憶に残る話にならなかった事が予測される。
「絵としてのインパクト」が重要なのだと考えるわけだ。
また、二回三回逆転させたバージョンでも、
絵的なイコンがあることに注意されたい。
「オカマだったけど、やっちゃった」も、
「と思ったら美人局だった」も、
絵が思い浮かぶではないか。
こういうことで、
この話は想像がしやすく、しかも記憶に残るのである。
もちろん、
話としてのスピード感や逆転具合が面白い、
というのがあった上で、という条件つきなのだが。
ビジュアルを優先させすぎて、
「話が面白くないくせに、ビジュアルだけ出来のいいもの」
については、
普段僕がガワだけではないか、と怒っている通りである。
しかし中身だけでもダメで、
ガワと一体でなければならない、
ということを今回は言おうとしている。
さて、面白い話の本質は、これで終わりではない。
結局、テーマというところに戻って来る。
次回、その話をしようと思う。
2017年03月24日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック