2017年03月26日

【すーざんさんへの回答箱】スピードには何が足りないのか?

> キアヌ・リーブス主演の「スピード」が地上派で放送されていました。主人公が次々と起こる問題をテンポ良く切り抜けるところは面白いのですが、なにかが足りないと感じました。恐らく、葛藤、成長、という点ではないかと思います。

葛藤や成長があったとしても、物足りないかも知れないですね。
アクション映画に求めるのは酷かも知れませんが、
僕はテーマ不在だからだと考えます。


スピードは、当時何故ヒットしたのでしょう?
僕は劇場でリアルタイムで見た口なので、
当時の文脈をよく覚えています。

それは、
「キアヌ・リーブスという新しいスターを、
我々が発見した映画」だからです。

その当時、アクションスターが足りていませんでした。
スタローンとシュワの二強時代が終わり、
ブルースウィリスあたりがいて、
アクション=マッチョに、
みんな飽きていた頃です。
そこにキアヌは、新しいアクションスターのあり方を示した。
「スマートなアクション」です。
スタイリッシュ、という発明と言って構わない。

当時は「クール」という言葉が流行っていました。
熱いマッチョな、油っこい時代が終わり、
感情を見せない、黙って動く、
クールさがカッコイイともてはやされたのです。
キアヌはその空席に、ぽこっとはまったのです。

キアヌといえば、
それまでの代表作は「雲の上で散歩」でした。
当時は二大スター、
ブラピとデカプリオの時代で、
彼らはロバートレッドフォードやリチャードギアのような、
少女漫画に出てくるような繊細な美少年役を演じて、
人気を博していました。
キアヌもその流れを継ぐ、
憂いを秘めた美少年として期待されていたはずです。
しかしその席は熾烈な競争で、
キアヌは作品に恵まれていたわけではありません。

そこに丁度、
線の細い美少年がクールにアクションする、
という新しい形のスタイリッシュアクションスターという席が、
偶然作られたわけです。

ファイナルファンタジーのような、
ヤサ男がアクションの主役になっていくのは、
この作品があったからこそではないでしょうか。


事実、このスタイリッシュなアクションという流れは、
数年後のメガヒット作で結実します。
キアヌの代表作、マトリックスシリーズです。


勿論、全盛期のTKサウンド、
まだ色気のあった頃のサンドラブロック、
ワンカット演出のヤンデボンのカメラワーク、
ジェットコースター的なテンポなどが、
見事に揃った粒の良さもあるでしょう。
つまり、ガワがとても良く整っているわけです。
(日本語では座組といいます)

ストーリーのアイデアも素晴らしい。
もっとも、我々日本人のオールドファンには、
「新幹線大爆破と同じネタではないか!」
と憤慨ものなのですが。


さて。

アクション映画は、
殆どのテーマは勧善懲悪です。

そして殆どは本気で勧善懲悪を訴えるものではなく、
アクションを見せたいから、
とりあえずテーマが必要なので、
それにしといた、
というレベルのものです。
(アメリカで本気で勧善懲悪を描くには、
大抵は法廷劇ですね)
だから、
テーマ的には緩い、というのが殆どです。

そのなかでも、
本気で勧善懲悪を考えたダーティハリーや、
世界は架空かも知れないというモチーフに挑んだマトリックスなんかは、
ただのアクション映画の枠を越えて、
ちゃんと映画になっていると思います。

アクション映画と、映画の差はなにか。
僕はテーマとの向き合い方の真剣さだと考えます。

勿論、アクション映画に映画そのものを求めるのは、
ルール違反のような気もしますが。

スピードのテーマは何?
これに答えられない映画だと、僕は思います。
ということで、
細かいガワが良くできてはいるが、
映画の芯の部分は、スカスカの映画だと言えます。
何度も言いますが、アクション映画はそれでもいいんだけど。


逆に、アクション映画のジャンルで、
すーざんさんが「足りた」という映画はなんでしょう?
その差を考えることで、
何が足りるのか、何を求めているのか、
わかるのではないでしょうか。
posted by おおおかとしひこ at 01:04| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
大岡様 返信ありがとうございました。当時の映画事情も含め、とても参考になりました。この映画を観てもう一つ感じたことがありました。人間描写よりも、派手なアクション、またアクションで繋ぐ手法は、現代のアクション映画の走りではないか、ということです。物語は緩急のリズムが大切だと思うのですが、現代は少しでも緩があると、お客さんが飽きはしまいかと恐れ、ガワの凄さに注力しているように感じます。

私が「足りた」と感じるアクション映画は子供の頃に観た80年代のものです(すぐに出てくるのはランボー1、プレデター、エイリアン、ビバリーヒルズコップ1、2です)。ノスタルジーに浸っているだけと言われればそうかもしれません。しかしながら、私はアクションは人間ドラマを引き立てる要素にすぎないと思っています。そのバランスが80年代はちょうどよかったです。自分の挙げた映画のテーマを言ってみろ!どこが人間ドラマじゃ!と突っ込まれると焦りますが。
Posted by すーざん at 2017年03月28日 02:32
ランボーはベトナム戦争批判があったし、エイリアンはホラーですが、
「何も信じられない」みたいなテーマ性がありますね。

「ジェットコースタームービー」などと言い出したころから、
ひとつの突出した刺激に振り切ったようなものが増えましたね。
それは映画に限らず、全てのものが目立つ手段のひとつだったのかも知れない。
目立たなくては売れず、しかし目立つためには作品性を犠牲に……
いつの時代もたいして変わらない気はしますが、
今は過剰に制作サイドに求められすぎのような。
Posted by おおおかとしひこ at 2017年03月28日 15:57
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