大体脚「本」なんていうから、
七面倒くさくなるのだ。
映画は口で発声されるもので、
具体的な身体動作で表される、
一種の演劇である。
どこにも、文字は出ていないのである。
だから台詞を書くとき、
言いながら書くのは、かなり有効な方法だ。
頭で考えて出す言葉よりも、
よほどリアルな言葉になる。
座っているなら座って言ったり、
立ったり走っているならそれをしながら言ってみると良い。
これは立ってマイクの前で録音すると嘘くさくなるから、
マイクの前でも芝居しながらアフレコする、
という技の応用である。
身体の状況は、ことばに出るものだ。
逆に、ただ座っても、立ってる時の声の出し方が出来るのが、
一流の声優というものである。
台詞は、そのように書けるのが理想である。
初心者が座って書いているのなら、
それは台詞とは何かをなにも知らない証拠である。
ところで、
プロットなどもそうやったほうがいい、
というのが本題である。
何故か。
これは前記事とつながっている。
結局、お話というのは、
聞き手の頭の中に想像されるものだからだ。
そしてその想像をするのに、
文字ではなく、音でやってみたほうが、
「話をする」という本質に近いのだ。
おはなしの原型は、
誰かが話すのを、
じっと想像しながら聞くことである。
そのとき、話者の顔や表情を見ながらにして、
聞き手は想像しているはずだ。
話の内容を、頭の中で疑似体験しているはずだ。
つまり聞き手から見れば、
おはなしは視覚ではなく、
聴覚から入っている。
その感覚を養成するのに、
音で話を語ることはとても重要なのだ。
ともすると文字で考えてしまうのだが、
視覚たる文字には、
聴覚にはない長所があり、
それに初心者は無意識に頼ってしまう。
何かというと、
「あとで見返せる」という部分である。
音は発生したら消えてしまう。
再確認することは出来ない。
その一回性を、文字は持たない。
文字は、なんども確認できる。
今僕が書いているこの記事を最初に戻って読み直すことも出来るし、
ちょっとうんこに行ってから、再開することもできる。
しかし、
音は一回しか聞けない。
聞き逃したらなくなってしまう。
「一回しか言わないことで全てを構成する」
ことが「音によるおはなし」の基本なのに、
それを「一回しか読めないわけではない」
脚本形式で書くことが、
本来間違いなのだ。
ベストは口伝だろう。
事実、歌舞伎や伝統芸能は口伝だ。
まあぶっちゃけ現実的ではない。
我々は二時間の映画を暗記するほどの頭脳は持っていない。
しかし、
そのシミュレーションをやってみようというわけなのだ。
プロットを考える時、
音に出して、
頭の中で想像する訓練。
出ては消えてゆく流れをとらえ、
それを流れとして記憶する訓練。
途中でメモ禁止。
ひととおり矛盾なくまとまった時点で、
メモを許すとしよう。
一字一句あってなくて良い。
流れがあっていれば良い。
流れがプロットの本体であり、
メモや一字一句がプロットの正体ではない、
ということに気づこう。
だから流れさえ面白ければ、
そのプロットの文字なんてどうでもいいのだ。
何度も何度もそのプロットを、
口に出してみよう。
メモを見ないで、口伝のように。
それは暗記することとは違う。
頭の中でストーリーを再現し、
その場で言葉をアドリブで出しながら語ることである。
言葉そのものは変わってもいい。
流れそのものを変えてはいけない。
しかし何度も語ることで、
実は言葉選びがうまくなってくる。
洗練である。
口伝の洗練を、自分のストーリーで体験してみるのである。
それを文字起こししたのが、
脚本(この場合はプロット)に過ぎないのだ。
脚本は演劇に近い。
小説のようにあとで見返せたり、
一時停止できるものではない。
だから演劇や映画は、
暗闇の中で息をひそめて集中しなければならないのだ。
あなたはそういうものを書いているのであり、
小説や漫画の、紙とは違うものなのだ。
(ここを読んでる人は、
小説家や漫画家志望もいるだろうけど、とりあえず脚本の話)
たった一回きりの勝負。
そういう風に
自分の行為を考えているだろうか。
脚本は本じゃなくて楽譜だと、
僕がよくいうのは、その意味だ。
ということで、
書く前に、口に出す練習をしてみよう。
口述筆記や録音ではなく、
ぶつぶつ言いながら書いたり文字うちするのがいい。
なぜなら、口と頭と手を連動させるためである。
人のいないところでやること。
もうすぐ春だし、電波さんに思われるよ。
作曲する人をイメージしよう。
ピアノをちょっと弾いては、
楽譜にメモしていく感じ。
それは決して音符を見ているのではない。
「頭の中に出来上がりつつある流れ」
を見ているわけだ。(目で見ているのではない)
楽譜はそれを忘れない程度のメモに過ぎない。
脚本そのものより、
ストーリーそのもの。
その感覚を要請するのに、
音だけでやることはとても有効だ。
2017年03月29日
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