2017年03月28日

「そう思ったでしょ。ところが」の、最初の「そう」

タイの逆ナンを例に、
まだこの話は続きます。

ストーリーとは、
「そう思ったでしょ。ところが」の連鎖であった。
その最初の「そう」の話。


ストーリーの最初と最後以外は、
すべての部分で、
「そう思ったでしょ。ところが」
という構造をするべきである。

そう思ったでしょ、を受けて、
ところが、と意外な方向に行って、
またそう思ったらところが、
と話は転換(展開)していく。

それは、そう思ったでしょ、の勢いがあればあるほど、
勢いのある話だということになる。
(勢いとは何かについては、ここでは踏み込まない)
勢いのある流れが、
意外な方向に転換すれば、
勢いのある流れにまたなるわけだ。
つまり、勢いは「ところが」で加速する。
(失敗した「ところが」は、ストーリーを失速させる可能性がある)

さて、
では最初の勢いを作るにはどうすればいいか。

平穏な世界に事件が起こる、
というのがよくあるオープニングである。
何か意外なことが起こることで、
最初の「ところが」を発生させるわけだ。

だから、
「非凡な世界に事件が起こる」では、ところがにならない。
事件の起こりまくっている世界に事件が起こっても、
意外でもなんでもないからだ。
「退屈な日常に、何も起こらない」でも、ところがにならない。
「非凡な世界に、事件が突然起こらなくなる」は、
逆に「ところが」になるわけだ。

「そう思ったでしょ。ところが」における、
つまりは前提と後続は、
なるべく逆の関係になっている必要性があるというわけだ。
そうじゃないと、ところがにならないもんね。

さて、
だから、
最初の「そう」は、
最初の「ところが」の前提である。

よく最初にツカミを入れて、
グッと引き込めなんて言うけれど、
それは実戦的テクニックにすぎず、
基本的なやり方ではない。
変化球を学ぶ前に、
まず真っ直ぐを学んでほしい。

ツカミという変化球がないとき、
最初の「そう」を作るには、
前提となる世界を描写する必要がある。

これが、冒頭に世界設定をする理由だ。
しかしこれをダラダラやっても詰まらないので、
「ところが」とひっくり返して、
ストーリーの流れを作り始めなければならない。
だから、最短の前提部は、
「ところが」でひっくり返す部分だけにしておくとよい。

(ツカミでやる場合は、
この前提部を省略する。
省略して、今私たちがいる世界と似たようなところ、
という前提部にしてしまうとよい。
そうすると、異常な事件発生から始めることが可能だ。
しかし逆に、「今私たちがいる世界と似たようなところ以外」の世界を、
前提に出来ない欠点がある。
刑事物やスリラー、犯罪もの、社会派、
現代ものなどでは、この始め方が可能だ。
一方、SFや特殊な世界を舞台にしたものは、
このやり方はしんどいだろう。
前提なき「ところが」で始めると、必ず訳がわからなくなっていく。
その例に映画版「鈍獣」を挙げるだけで十分だろう。
奇をてらって始めたはいいが、
本文のスタートに失敗した、ただのハッタリ映画だ)



ところが、
最初の「そう」が短すぎると、
あとで困ることになる。
前提情報が少なすぎて、
あとで足していかないといけなくなるからだ。
あとづけはあまりよろしくない。
最初に全部説明しといてよ、と文句が出る。

だから最初の「そう」ブロックでは、
いくつかの前提を語る必要がある。
あとあと説明しなくていいようにだ。

しかしよく経験するように、
そこが長いと、(まだ始まってもいないのに)途端に詰まらなくなる。
はよ始まれや、と。


的確な冒頭の「そう」の長さは。
「ところが」でひっくり返すだけに必要な前提
(最短の例:「オレ天才やんか」「知らんがな。ちゃうやろ」)
が一番短く、
最も長いのは、あとで使う前提を先に全部説明しておくものだ。
あとで使わないものまで説明するのを、冗長という。

で、どれくらいなら我慢できるか、というのがポイントで、
二時間映画なら3分から5分ぐらいかなあ。
昔の映画はテンポが遅かったから、15分ぐらいもあっただろう。
(これは上映前から観客が揃っている、という形態の上映ではない、
ダラダラ来て一周見たら帰る、
みたいないい加減な客の入れかたをしていた時代の話だね)

その間に、
落ちに必要ななにかを伏線として張っておくべきなのは、
(伏線として張るということを考えると難しくなるので、
ここで使われたものを落ちに天丼する、
と考えると楽になる)
言うまでもないだろう。


さあ、色々な要求が、
最初の「そう」にはある。

だから脚本を最初から書くのは、実はナンセンスだ。
一発書きせずに、
何度も書き直すのが、
この冒頭部分なのである。

最も的確な最初の「そう」は何か。
それは、あなたのストーリーは、
何から語り何で終わるのが的確なのか、
という問いと同じだ。

それは彫刻のように、
何度も書き直して見つけていくことが、とても多い。



さて、「タイの逆ナン」にようやく戻ろう。

この最初の「そう」は?
「タイに行ったときの話なんだけど」だ。
舞台設定の前提だね。
おまけにこれは、
あとで出てくるオカマの伏線にもなっているわけだ。
(これが新宿二丁目なら、あからさますぎて、
伏線としてバレバレだ)
最後の美人局バージョンだと、
「なんとなく犯罪が渦巻く町」の伏線にもなっているわけだ。
なかなか秀逸な導入部だと思う。

秀逸な導入部とはすなわち、
すっと入っていつの間にか始まっていて、
しかも最初の「そう」の役割を果たしているものをいう。

逆ナンされる「ところが」以降は、
もうタイの危険さなんて忘れているからね。
posted by おおおかとしひこ at 12:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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