タイの逆ナンを例に、
まだこの話は続きます。
ストーリーとは、
「そう思ったでしょ。ところが」の連鎖であった。
その最初の「そう」の話。
ストーリーの最初と最後以外は、
すべての部分で、
「そう思ったでしょ。ところが」
という構造をするべきである。
そう思ったでしょ、を受けて、
ところが、と意外な方向に行って、
またそう思ったらところが、
と話は転換(展開)していく。
それは、そう思ったでしょ、の勢いがあればあるほど、
勢いのある話だということになる。
(勢いとは何かについては、ここでは踏み込まない)
勢いのある流れが、
意外な方向に転換すれば、
勢いのある流れにまたなるわけだ。
つまり、勢いは「ところが」で加速する。
(失敗した「ところが」は、ストーリーを失速させる可能性がある)
さて、
では最初の勢いを作るにはどうすればいいか。
平穏な世界に事件が起こる、
というのがよくあるオープニングである。
何か意外なことが起こることで、
最初の「ところが」を発生させるわけだ。
だから、
「非凡な世界に事件が起こる」では、ところがにならない。
事件の起こりまくっている世界に事件が起こっても、
意外でもなんでもないからだ。
「退屈な日常に、何も起こらない」でも、ところがにならない。
「非凡な世界に、事件が突然起こらなくなる」は、
逆に「ところが」になるわけだ。
「そう思ったでしょ。ところが」における、
つまりは前提と後続は、
なるべく逆の関係になっている必要性があるというわけだ。
そうじゃないと、ところがにならないもんね。
さて、
だから、
最初の「そう」は、
最初の「ところが」の前提である。
よく最初にツカミを入れて、
グッと引き込めなんて言うけれど、
それは実戦的テクニックにすぎず、
基本的なやり方ではない。
変化球を学ぶ前に、
まず真っ直ぐを学んでほしい。
ツカミという変化球がないとき、
最初の「そう」を作るには、
前提となる世界を描写する必要がある。
これが、冒頭に世界設定をする理由だ。
しかしこれをダラダラやっても詰まらないので、
「ところが」とひっくり返して、
ストーリーの流れを作り始めなければならない。
だから、最短の前提部は、
「ところが」でひっくり返す部分だけにしておくとよい。
(ツカミでやる場合は、
この前提部を省略する。
省略して、今私たちがいる世界と似たようなところ、
という前提部にしてしまうとよい。
そうすると、異常な事件発生から始めることが可能だ。
しかし逆に、「今私たちがいる世界と似たようなところ以外」の世界を、
前提に出来ない欠点がある。
刑事物やスリラー、犯罪もの、社会派、
現代ものなどでは、この始め方が可能だ。
一方、SFや特殊な世界を舞台にしたものは、
このやり方はしんどいだろう。
前提なき「ところが」で始めると、必ず訳がわからなくなっていく。
その例に映画版「鈍獣」を挙げるだけで十分だろう。
奇をてらって始めたはいいが、
本文のスタートに失敗した、ただのハッタリ映画だ)
ところが、
最初の「そう」が短すぎると、
あとで困ることになる。
前提情報が少なすぎて、
あとで足していかないといけなくなるからだ。
あとづけはあまりよろしくない。
最初に全部説明しといてよ、と文句が出る。
だから最初の「そう」ブロックでは、
いくつかの前提を語る必要がある。
あとあと説明しなくていいようにだ。
しかしよく経験するように、
そこが長いと、(まだ始まってもいないのに)途端に詰まらなくなる。
はよ始まれや、と。
的確な冒頭の「そう」の長さは。
「ところが」でひっくり返すだけに必要な前提
(最短の例:「オレ天才やんか」「知らんがな。ちゃうやろ」)
が一番短く、
最も長いのは、あとで使う前提を先に全部説明しておくものだ。
あとで使わないものまで説明するのを、冗長という。
で、どれくらいなら我慢できるか、というのがポイントで、
二時間映画なら3分から5分ぐらいかなあ。
昔の映画はテンポが遅かったから、15分ぐらいもあっただろう。
(これは上映前から観客が揃っている、という形態の上映ではない、
ダラダラ来て一周見たら帰る、
みたいないい加減な客の入れかたをしていた時代の話だね)
その間に、
落ちに必要ななにかを伏線として張っておくべきなのは、
(伏線として張るということを考えると難しくなるので、
ここで使われたものを落ちに天丼する、
と考えると楽になる)
言うまでもないだろう。
さあ、色々な要求が、
最初の「そう」にはある。
だから脚本を最初から書くのは、実はナンセンスだ。
一発書きせずに、
何度も書き直すのが、
この冒頭部分なのである。
最も的確な最初の「そう」は何か。
それは、あなたのストーリーは、
何から語り何で終わるのが的確なのか、
という問いと同じだ。
それは彫刻のように、
何度も書き直して見つけていくことが、とても多い。
さて、「タイの逆ナン」にようやく戻ろう。
この最初の「そう」は?
「タイに行ったときの話なんだけど」だ。
舞台設定の前提だね。
おまけにこれは、
あとで出てくるオカマの伏線にもなっているわけだ。
(これが新宿二丁目なら、あからさますぎて、
伏線としてバレバレだ)
最後の美人局バージョンだと、
「なんとなく犯罪が渦巻く町」の伏線にもなっているわけだ。
なかなか秀逸な導入部だと思う。
秀逸な導入部とはすなわち、
すっと入っていつの間にか始まっていて、
しかも最初の「そう」の役割を果たしているものをいう。
逆ナンされる「ところが」以降は、
もうタイの危険さなんて忘れているからね。
2017年03月28日
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