2017年04月04日

ゴーストの正体は、確定していないことすべて

幽霊はいるのか?
いるかも知れないし、いないかも知れない。
僕は科学者だから、
いないと確定していないものをいないと言わないし、
いると確定していないものをいるとも言わない。
「どちらも確証がない」と言う。

その「どちらとも言えない不安」こそ、
幽霊の正体ではないかと思う。
逆に言うと、人間には、断言したいという隠れた欲望がある。
そして、物語を駆動する力は、
不安を断言にしていく過程である。


某県にバイクで走りにいった知り合いの話。
夜不気味なトンネルを抜けたところで、
後ろから来たパトカーに止められた。
「だめだろう、後部座席もヘルメットが義務だ」
「えっ」
「ところで、後部座席の女はどこへ行ったんだ?」
その人はずっと一人で走っていたのに。

これを、
「トンネルで死んだ女の幽霊が出た」と解釈することも出来るし、
「警察が暴走バイクを減らすために、
わざわざそういう嘘をついて怖がらせている」と解釈することも出来るし、
「単なる警官の見間違い」と解釈することも出来るし、
「その人は狂っていて、女を乗せてはいた」と解釈することも出来る。

この全ての解釈は、
「真の状況が見えない不安」を、
「こうだったのだと分かった」と断言することで解釈している。

分からないことを不安という駆動力にして、
それが断言される方向へいくこと。
これが物語の駆動力ではないかと思うわけだ。


実際、
○○であったのだ、と確定してしまえば、
安心するわけだ。
安心すると同時に、我々はこの話の謎を知りたいという気持ちを失う。
つまり、話は終わったわけである。

逆に、話がまだ終わっていないとは、
全てが確定したわけではないという、
聞き手の気持ちなのである。


「最初に強烈な謎をふれ」という格言めいたものがあるけど、
それはこのことの半分を言っているわけだ。

僕は謎をふることよりも、
謎解きや結論を考えるほうが遥かに大変だから、
責任の取れない謎ふりはするべきでない、
と極めて常識的に警告するだけだ。


ところで。

下手くそは、謎をふって回収しない。
あるいは、
下手くそなので、途中で謎をふったことになってしまい、
それを回収せずに終わってしまう。
(たちの悪いのは、エヴァのように、
意図的に謎だけふって回収しない。
それは詐欺行為だよな)

謎があると、聞き手はそれを断言してほしくてじっと待つ。
不安を解消してほしいわけだ。

しかし下手くそは、
自分でふった謎を断言しきれなかったり
(例:ガンツの最終回)、
下手くそゆえに謎になってしまった、
分かりにくい部分を謎のまま終わらせてしまったりする。

これはゴーストだ。

物語を断言しきれない、ゴーストだ。



さあ、幽霊退治にでかけよう。
聞き手を不安という幽霊に付き合わせて、
付き合わせっぱなしにしてはいけない。
幽霊に会わせたら、必ず正体を暴かなければならない。
それは、嘘をつく者として、
当然の責任である。

あなたは断言しなければならない。
断言したら、幽霊というふわふわしたイメージは、
ひとつの小さな現実に縮退してしまう。
それが怖くて断言を避ける、矮小な創作者もいる。
(それは詐欺行為を働くインチキ野郎だ)

物語を駆動させる力は、ゴーストだ。
そしてあなたは、それらのゴーストを一匹たりとも逃さずに、
見事に退治して見せなければならない。
それが物語だ。


たとえば浦沢直樹の漫画は、
ゴーストだけを振り撒いて責任を取らない、
詐欺行為であることがほとんどだ。
狼少年はいずれ飽きられて捨てられる。
おそらく、庵野も。



あなたの物語は、どのようなゴーストがいるか。
それをどう見事に断言して解消しているのか。


バイクの話は、不安で終わる。
ゴーストを振り撒くだけの話を怪談といい、
これは半ストーリーであると僕は思う。

県警の暴走族取り締まりの嘘であった、
というリアリティーある落ちで、
僕はこれをストーリーとしてしまうとしよう。
posted by おおおかとしひこ at 13:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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