2017年04月06日

外し(ゴースト3)

ストーリーに慣れた人が増えると、
怪談も増える。
怪談はつまり、ストーリーへのカウンターカルチャーだからである。


ストーリーとは、全てが因果関係で繋がっていること。
論理的一貫性があり、全てに疑問の余地がない、
全部明らかにされたもの。
スッキリする。

怪談はその逆だ。
どこか繋がってなくて、どこかがおかしい。
全て説明がつかない。
だから不気味で、怖い。
怖がるのが目的だ。


世の中にストーリーが溢れたら、
逆張りをする人も増えてくる。
理解の逆、理不尽で楽しませようというものだ。

で、怪談が飽きてくると、
怪談に見せかけたストーリーもの、なんてのも出てくる。
「黄泉がえり」なんてのはその典型だ。
泣ける怪談なんてジャンルもあるよね。

あるいは、「意味がわかると怖いコピペ」なんてジャンルもある。
一見なんでもないコピペに、
分かると怪談が入っているという仕組み。
論理的整合性のないものの中に、
論理的整合性があることがわかり、
その内容(怪談)自体には論理的整合性がないという怖さ。
逆張りの二重構造なわけだ。

エヴァンゲリオンは、
論理的整合性を取ることが常識だった、
ヒーローロボットものに、
怪談(破綻)を持ち込んだ最初の例である。
(バルディオスのほうがオンエア的には先だが、
打ちきられていなければ整合性はあった。
なにせオンエアで絶滅エンドは衝撃的だ)

パイオニアというのは、
うまくいけば絶賛される。
「怪談をここに持ち込むとは新しい」
という絶賛のされ方ではなく、
「幽霊の正体さがし(破綻を繕おうとする理性。
現在の言葉では考察と呼ばれる)」
がブームだったのだが。

しかし幽霊の正体見たり枯れ尾花であって、
そこに論理的整合性がないと分かれば、
面白くもなんともないのである。


怪談のキモは、
「分かるかもしれない」という、
謎解きの進行の雰囲気である。
何故ならそこまでは、ストーリーの形をしているからだ。

強烈な謎(例:幽霊の存在)をふりまいておいて、
その正体に論理的整合性を求めていくこと、
それはストーリーそのものである。

怪談の面白いところは、
強烈な謎だ。
ふつうのストーリーでは、
謎は解かれなければならないから、
「解ける謎のレベル」しか持ってこれない。
しかし怪談では、解く責任がないため、
面白ければなんでもいい謎を持ってこれる。

傑作「リング」では、
VHSの絵は怖い、という新しい恐怖と謎をつくった。
そしてそれは解明されていない。
怪談だからである。
実はこれがストーリー的に解明されるのは、
原作三部作の小説版で、である。
幽霊の正体見たり枯れ尾花的な、ガッカリラストであった。



読んでない人へ、先に本稿の結論。
ガッカリなストーリー(解明)になるくらいだったら、
不明のまま終わらせようという、外しに逃げる人が増えた。
それはやっぱり外れると思うんだ。

でもラストを見るまでは、
ストーリーの形さえしていればどっちかは分からない。
だから、ラストに責任を持たない、
ストーリー形式の実質怪談が、
売れてしまう。

僕はガッカリラストだったガンツ最終回を許していないし、
ボーイズオンザランのガッカリラストを許していない。
(アイアムアヒーローも結局そうかよ)

怪談をやるなら、怪談という責任を取るべきで、
ストーリーをやるなら、ストーリーをやるべきだ。
うまく逆張りするか、外しに逃げるかは、 あなた次第である。
逆張りするのはストーリーテラー、
外しに逃げるのは詐欺師である。





(以下リング三部作ネタバレ)






貞子は怨念で全てのメディアを乗っとる能力があった。
こうして全てのメディアが貞子化していく。
そして実は、この世界はコンピューターの中の架空世界で、
貞子はその中のバグだったのだ。
そうして、この世界はバグだらけになり、
世界が停止しておしまい。


うーん、ガッカリ。
これを踏まえれば、映画「リング」のラストは傑作だ。
一番いいところで終わった怪談だからである。
posted by おおおかとしひこ at 11:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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