2017年04月06日

あえて激怒する

ゲットワイルドのみ36曲を集めたアルバムに、
2曲おなじのがあったって?

人間だからミスをする、と僕は笑わない。
僕は、
ほんとうに音楽が好きな人が担当してないだろ、
と怒りを表明する。


僕は映画が好きだ。
寝ても覚めても映画のことばかりだ。
全ては脚本なのだと気づいた20代のころから、
ずっと研究してきたし、
ずっと映画を見てきている。
こんなに毎日ストーリーのことについて書くのは、
映画への愛以外のなにものでもない。

映画は人を元気にする。
辛いときの逃げ場になる。
一生を変えるに値する経験をすることが出来る。
一生の価値観に影響する。
世の中をそれが動かすことがある。
好きな映画はほんとうに大切にする。
映画があまり好きじゃない人に、
極上の初心者向けの映画を紹介したりする。
映画の知識を人と交わすのも好きだし、
それがどうやって作られたか、を知るのも大好きだ。
小さいころから憧れて、
自分で作りはじめて、
それを仕事の半ばにし、
そしてまだ作っている。

世の中に映画がなかったら、
僕の人生は暗黒だ。
映写機のつかない映画館だ。
なにも面白くないし、生きてても詰まらない。

どんなにすりきれたビデオテープでも、
僕は大好きだから捨てない。
家にはデータ化してないVHSがまだいっぱいある。

何度も何度も見た映画がある。
そこに毎回思い出が貼りついていたり、
新しい発見をするたびに、
なんて完璧なんだと、作った人たちを尊敬する。
出来ればみんなにそこを知ってほしいと思ったりする。

初心者をばかにしない。
好きなやつはみんな仲間だからだ。
上級者をキラキラした目で見て、
自分がそこに行くことを想像する、
子供のような気持ちを失ってはいけない。
映画は憧れで、理想で、慰めで、仲間で、
仕事で、世界だ。


音楽が、僕にとっての映画に相当する人も、
たくさんいるだろう。
(僕はたまたま映画だっただけだ。
それが本だったり別の何かの人もいるだろう)
それを扱う人は、僕ぐらい愛をもって扱ってほしい。
そうじゃなきゃ、人に何かを伝える仕事についちゃいけないと思う。
それは責任とかじゃない。
好きかどうか、愛して愛して堪らないか、なんだ。


36曲も集めれば1個ぐらい間違うだろ、
という反論は間違いだ。
俺は1万本以上映画を見ていて、
そのどれがどう違うか把握してるし、
その違いを延々と語ったり、怒ったりすることが出来る。

「36個のmp3ファイルを、マスタリングフォルダにコピペする、
簡単なお仕事」だから、
1個ぐらいコピペミスがあるわけだ。
その簡単なオペレーションには、音楽愛はあるのか?
ないんだろ?

高校生の頃どうしていいか分からなくて空を見上げたり、
文化祭の前日、徹夜してみんなと間に合わねえとカップヌードル食いながら頑張ったり、
そんな思いを音楽に持っていないのか?
そんな時間を音楽と過ごしていないのか?

ないから、僕は激怒する。
そんなやつに、大切なものを扱う資格はない。


焼き肉が好きな人に、僕は牛を殺して欲しい。
牛のなんたるかを知って、牛を扱ってほしい。


コンテンツとかいい始めた頃から、
好きでもない人や愛のない人が、
それを扱うことに従事するようになった。
コンテンツという軽い言い方で、
魂のようなものを相対化したわけだ。
だから、誰でも扱えて、フォルダにコピペするように、
コンテンツを扱うようになった。

焼き肉はコンテンツじゃない。牛の命を最高に旨く頂く方法のひとつだ。
音楽はコンテンツじゃない。制作者の魂の共有だ。
映画もコンテンツじゃない。制作者の命を頂戴することだ。

だから僕は激怒する。
posted by おおおかとしひこ at 12:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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