ゲットワイルドのみ36曲を集めたアルバムに、
2曲おなじのがあったって?
人間だからミスをする、と僕は笑わない。
僕は、
ほんとうに音楽が好きな人が担当してないだろ、
と怒りを表明する。
僕は映画が好きだ。
寝ても覚めても映画のことばかりだ。
全ては脚本なのだと気づいた20代のころから、
ずっと研究してきたし、
ずっと映画を見てきている。
こんなに毎日ストーリーのことについて書くのは、
映画への愛以外のなにものでもない。
映画は人を元気にする。
辛いときの逃げ場になる。
一生を変えるに値する経験をすることが出来る。
一生の価値観に影響する。
世の中をそれが動かすことがある。
好きな映画はほんとうに大切にする。
映画があまり好きじゃない人に、
極上の初心者向けの映画を紹介したりする。
映画の知識を人と交わすのも好きだし、
それがどうやって作られたか、を知るのも大好きだ。
小さいころから憧れて、
自分で作りはじめて、
それを仕事の半ばにし、
そしてまだ作っている。
世の中に映画がなかったら、
僕の人生は暗黒だ。
映写機のつかない映画館だ。
なにも面白くないし、生きてても詰まらない。
どんなにすりきれたビデオテープでも、
僕は大好きだから捨てない。
家にはデータ化してないVHSがまだいっぱいある。
何度も何度も見た映画がある。
そこに毎回思い出が貼りついていたり、
新しい発見をするたびに、
なんて完璧なんだと、作った人たちを尊敬する。
出来ればみんなにそこを知ってほしいと思ったりする。
初心者をばかにしない。
好きなやつはみんな仲間だからだ。
上級者をキラキラした目で見て、
自分がそこに行くことを想像する、
子供のような気持ちを失ってはいけない。
映画は憧れで、理想で、慰めで、仲間で、
仕事で、世界だ。
音楽が、僕にとっての映画に相当する人も、
たくさんいるだろう。
(僕はたまたま映画だっただけだ。
それが本だったり別の何かの人もいるだろう)
それを扱う人は、僕ぐらい愛をもって扱ってほしい。
そうじゃなきゃ、人に何かを伝える仕事についちゃいけないと思う。
それは責任とかじゃない。
好きかどうか、愛して愛して堪らないか、なんだ。
36曲も集めれば1個ぐらい間違うだろ、
という反論は間違いだ。
俺は1万本以上映画を見ていて、
そのどれがどう違うか把握してるし、
その違いを延々と語ったり、怒ったりすることが出来る。
「36個のmp3ファイルを、マスタリングフォルダにコピペする、
簡単なお仕事」だから、
1個ぐらいコピペミスがあるわけだ。
その簡単なオペレーションには、音楽愛はあるのか?
ないんだろ?
高校生の頃どうしていいか分からなくて空を見上げたり、
文化祭の前日、徹夜してみんなと間に合わねえとカップヌードル食いながら頑張ったり、
そんな思いを音楽に持っていないのか?
そんな時間を音楽と過ごしていないのか?
ないから、僕は激怒する。
そんなやつに、大切なものを扱う資格はない。
焼き肉が好きな人に、僕は牛を殺して欲しい。
牛のなんたるかを知って、牛を扱ってほしい。
コンテンツとかいい始めた頃から、
好きでもない人や愛のない人が、
それを扱うことに従事するようになった。
コンテンツという軽い言い方で、
魂のようなものを相対化したわけだ。
だから、誰でも扱えて、フォルダにコピペするように、
コンテンツを扱うようになった。
焼き肉はコンテンツじゃない。牛の命を最高に旨く頂く方法のひとつだ。
音楽はコンテンツじゃない。制作者の魂の共有だ。
映画もコンテンツじゃない。制作者の命を頂戴することだ。
だから僕は激怒する。
2017年04月06日
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