何回も定義してみてはいるけれど、
こういう感じはどうだろう。
1. 面白いシチュエーションを、平凡で解釈しようとすること。
2. その過程で平凡なだけではだめで、自らが変わらなければならないと分かり、変化すること。
3.事件が最初に起こり、それは連鎖的に繋がって、最終手に大団円へ至ること。
4. 全ては自然な論理関係で筋が通り、飛躍、不自然、破綻、矛盾、やり残しがないこと。
1はわりとすぐに思いつくだろう。
ヘンテコさにさえ出会えば、
面白いストーリーや大冒険の予感がしてわくわくする。
簡単に考えれば、旅に出るだけでいい。
2は、そこで困ったり危険にあわなきゃ意味がないということ。
平凡なことで終わってしまっては、
1のヘンテコの出落ちだ。
平凡が非凡に出会ったからこそ、
なにがしかの変化が起こるのだ。
それは人間だから、互いに影響しあうということだ。
(好ましい方向に変わるのをハッピーエンド、
好ましくない方向に変わるのをバッドエンドとよぶ)
変化がないと、
自分はそのままでいいのだ、という現状維持肯定になってしまう。
それは、わるい。
なぜよくないかというと、見世物としてだ。
自分が「そのままでいいんだよ」と言われると心が落ち着くが、
他人が「俺はそのままでいいんだ」と安心してると、詰まらない。
(おそらく嫉妬の原理か)
だから、他人が出ているストーリーというのは、
「このままじゃダメなんだ」を、いかに克服するかというところが、
面白いポイントになってくる。
変化は何回あるといいか。
二時間映画では、大抵真逆へと変化する。
(それを成長とよぶ)
短編でも変化は結果として現れる。
大きな一回のために、細かく何度も変化をするものもある。
最も詰まらないのは、
「主人公がのらりくらりとかわして、
自分の都合のいいように世間が勝手に動いてくれて、
なぜか最後にちょっとだけ変化する」
というものだ。(メアリースーの典型「落下する夕方」テンプレ)
人間の変化はそんな簡単なものではない。
追い詰められたり、リスクを抱えたり、不安になったり、
何かを突破しないと変化は起こらない。
能動的に、変化を起こさないと変化は起こらない。
受動的にちょっと変わるのは、
リアルだが劇的ではない。
我々は、劇を書いているということを忘れてはならない。
あなたの日記であればそれは日記に書くべきだ。
受動的にちょっと変わる物語は詰まらない。
それは上の、他人に嫉妬するメカニズムだと考えられる。
(一人称小説はこの限りではないが、
映画は三人称であるから、自分ではない他人のストーリーを見ている、
ということを毎度意識することだ。
私たちが他人を評価するのは、
内面ではなく行動である)
3は、2と同時進行しなければならない。
1とも関連した、ヘンテコな事件だろう。
その解決過程を面白おかしく、飽きないようにしながら、
2を同時進行させなければならない。
はじまったことは終わるべきだ。
終わらない未完は、現実にはあるが、劇にはあるべきではない。
終わることが物語の使命であると心得よ。
私たちは、
終わらないことで人生を伝えるのではなく、
終わることで人生を伝える手段を取っている。
終わらない話を書いてしまうのは、
単に書く力が不足しているだけだ。
(もっとも、どうやって終わらせたらいいか分からなくなって、
途中で放り出してしまうこともよくある。
それは、終わるために始めなかったからだ。
終わりが見えないのに始めると、大抵終われない。
終われるのは、どう終わるかを最初から考えて、
そのために慎重に始めたものだけである)
4は、無理や無茶が、大抵出来てしまう、
という警告である。
自然に何もかも繋がっているのを書くのは、
本当に力のいることだ。
不自然やご都合はしょっちゅうある。
笑って許してくれる観客は、結局あなたの実力を低下させる。
厳しい観客ほど、あなたの実力を鍛えてくれるのだ。
そんなうまいこといくわけがないよ、と、
あなたは頭を抱えて悩むだろう。
安心したまえ。
ストーリーを書く者は、
いつもご都合主義に逃げないために、
毎日理不尽や矛盾と闘っている。
それは、普通には起こり得ないことを書くからである。
最初に戻るけど、
普通には起こり得ない面白いことがストーリーだからである。
それが、面白く、かつ自然であるように、
架空を作ることが、
ストーリーを作るという行為なのだ。
ちなみに、
これらに、キャラ設定や世界設定は、
必要条件でも十分条件でもない。
キャラ設定や世界設定がなかったとしても、
ストーリーだけ作ることも出来る。
キャラ設定や世界設定で、
ストーリーを豊かにすることは出来るが、
0のストーリーにかけ算しても0にしかならないことに注意せよ。
脚本は、ストーリーの全てと、
キャラ設定や世界設定の一部(表面に見えるところだけ)を、
文字で書く媒体である。
映画の面白さは、
話の面白さだけではない。
他にも沢山要素が詰まった、第7芸術である。
しかし、話が詰まらない映画は、
拷問である。
あなたは拷問係か、人を楽しませる係か。
2017年04月12日
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