2017年04月12日

面白い話とは

何回も定義してみてはいるけれど、
こういう感じはどうだろう。


1. 面白いシチュエーションを、平凡で解釈しようとすること。
2. その過程で平凡なだけではだめで、自らが変わらなければならないと分かり、変化すること。
3.事件が最初に起こり、それは連鎖的に繋がって、最終手に大団円へ至ること。
4. 全ては自然な論理関係で筋が通り、飛躍、不自然、破綻、矛盾、やり残しがないこと。


1はわりとすぐに思いつくだろう。
ヘンテコさにさえ出会えば、
面白いストーリーや大冒険の予感がしてわくわくする。
簡単に考えれば、旅に出るだけでいい。


2は、そこで困ったり危険にあわなきゃ意味がないということ。
平凡なことで終わってしまっては、
1のヘンテコの出落ちだ。
平凡が非凡に出会ったからこそ、
なにがしかの変化が起こるのだ。
それは人間だから、互いに影響しあうということだ。
(好ましい方向に変わるのをハッピーエンド、
好ましくない方向に変わるのをバッドエンドとよぶ)

変化がないと、
自分はそのままでいいのだ、という現状維持肯定になってしまう。
それは、わるい。
なぜよくないかというと、見世物としてだ。
自分が「そのままでいいんだよ」と言われると心が落ち着くが、
他人が「俺はそのままでいいんだ」と安心してると、詰まらない。
(おそらく嫉妬の原理か)
だから、他人が出ているストーリーというのは、
「このままじゃダメなんだ」を、いかに克服するかというところが、
面白いポイントになってくる。

変化は何回あるといいか。
二時間映画では、大抵真逆へと変化する。
(それを成長とよぶ)
短編でも変化は結果として現れる。
大きな一回のために、細かく何度も変化をするものもある。
最も詰まらないのは、
「主人公がのらりくらりとかわして、
自分の都合のいいように世間が勝手に動いてくれて、
なぜか最後にちょっとだけ変化する」
というものだ。(メアリースーの典型「落下する夕方」テンプレ)
人間の変化はそんな簡単なものではない。
追い詰められたり、リスクを抱えたり、不安になったり、
何かを突破しないと変化は起こらない。
能動的に、変化を起こさないと変化は起こらない。
受動的にちょっと変わるのは、
リアルだが劇的ではない。
我々は、劇を書いているということを忘れてはならない。
あなたの日記であればそれは日記に書くべきだ。
受動的にちょっと変わる物語は詰まらない。
それは上の、他人に嫉妬するメカニズムだと考えられる。

(一人称小説はこの限りではないが、
映画は三人称であるから、自分ではない他人のストーリーを見ている、
ということを毎度意識することだ。
私たちが他人を評価するのは、
内面ではなく行動である)


3は、2と同時進行しなければならない。
1とも関連した、ヘンテコな事件だろう。
その解決過程を面白おかしく、飽きないようにしながら、
2を同時進行させなければならない。

はじまったことは終わるべきだ。
終わらない未完は、現実にはあるが、劇にはあるべきではない。
終わることが物語の使命であると心得よ。
私たちは、
終わらないことで人生を伝えるのではなく、
終わることで人生を伝える手段を取っている。

終わらない話を書いてしまうのは、
単に書く力が不足しているだけだ。
(もっとも、どうやって終わらせたらいいか分からなくなって、
途中で放り出してしまうこともよくある。
それは、終わるために始めなかったからだ。
終わりが見えないのに始めると、大抵終われない。
終われるのは、どう終わるかを最初から考えて、
そのために慎重に始めたものだけである)


4は、無理や無茶が、大抵出来てしまう、
という警告である。
自然に何もかも繋がっているのを書くのは、
本当に力のいることだ。

不自然やご都合はしょっちゅうある。
笑って許してくれる観客は、結局あなたの実力を低下させる。
厳しい観客ほど、あなたの実力を鍛えてくれるのだ。

そんなうまいこといくわけがないよ、と、
あなたは頭を抱えて悩むだろう。
安心したまえ。
ストーリーを書く者は、
いつもご都合主義に逃げないために、
毎日理不尽や矛盾と闘っている。
それは、普通には起こり得ないことを書くからである。
最初に戻るけど、
普通には起こり得ない面白いことがストーリーだからである。

それが、面白く、かつ自然であるように、
架空を作ることが、
ストーリーを作るという行為なのだ。



ちなみに、
これらに、キャラ設定や世界設定は、
必要条件でも十分条件でもない。
キャラ設定や世界設定がなかったとしても、
ストーリーだけ作ることも出来る。
キャラ設定や世界設定で、
ストーリーを豊かにすることは出来るが、
0のストーリーにかけ算しても0にしかならないことに注意せよ。

脚本は、ストーリーの全てと、
キャラ設定や世界設定の一部(表面に見えるところだけ)を、
文字で書く媒体である。


映画の面白さは、
話の面白さだけではない。
他にも沢山要素が詰まった、第7芸術である。
しかし、話が詰まらない映画は、
拷問である。

あなたは拷問係か、人を楽しませる係か。
posted by おおおかとしひこ at 12:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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