2017年04月15日

ファーストシーンで何を説明するべきか

説明の下手な人は、
実のところ説明そのものを整理していない。

説明のうまい人は、
これだけ説明しておけば、
あとは説明しなくても理解できる、
と、説明をひとつに絞る。


説明の下手な人は、
あれもこれも説明しとかなきゃ、
と不安になるのだろう。
それはつまり、自分が理解するときもそうなのかも知れない。

あることを知ったとき、
何も考えないのだろう。
一を聞いて一を知り、
二を聞いて二を知り、
十を聞いて十を知るようなことをしているのだろう。
一を聞いて十を知ることをしてないので、
十を説明するのに十を要するわけだ。

だから十を説明するのに、十を無駄に費やしてしまうのだ。

説明のうまい人は、
そもそも理解が上手である。
一を聞いたとき、
あれはどうなってるのだろうと疑問に思い、
そうか、一の説明を適用すればこうなってるのだな、
と理解する。
類推や推理や連想や当てずっぽうだ。

だから他人に対しても、
その勘所の一を伝えることが多い。
そこさえ分かればあとは大体分かる、
そこが理解できないとさっぱり分からない、
その一をとらえるのがうまい。

だから、一を聞いて十を理解できるような説明の仕方をする。


ファーストシーンでは、
状況設定などの、説明が必要である。

必要であるという理由は、
それがないと十を知れないからである。

逆に、十を知れるような一を説明することが、
ファーストシーンの役割だ。


十を知るための一はどうやって選ぶべきか。
あなたが十をどうやって理解していて、
あなたがどの一を理解すればあとの九は理解できるかという、
一を抽出することでしか、
得られないと思う。

まずこれだけを理解すれば、あとはなんとかなる、
そういうものだけを一に収斂していけばよい。

たとえば、ジョジョを説明しようと思ったら、
「スタンドというものがいる」
を外すわけにはいかないから、
これが一に当たる。

ディオとか吸血鬼とかジョナサン家の血統とかは、
なくてもストーリーには入っていける。
勿論あったほうがより豊かになるが、
スタンドの説明がないまま、
ジョジョの世界に入れる道理はないだろうね。

じゃあガンダムは?
モビルスーツ?
いや。ロボット兵器が存在することは、見れば一発だから、
わざわざ説明することはない。
「宇宙時代に、コロニーが独立国家を名乗り、
地球連邦に戦争を仕掛けた」
ということの説明がおそらく一だ。
そのイコンに、コロニー落としという残虐非道なものがあるわけだ。
つまりガンダムという物語は、
このコロニー落としを断罪する物語であるわけだ。

Ζ以降が面白くないのは、
このような、最終目標がイコンとして提示されていないことである。
そしてガンダムの優秀なところは、
このイコンが1クールは毎回オープニングで強調されていることだ。
「人類は、自らの行為に恐怖した」という名ナレーションによって。
つまり、このナレーションによって、
人類は宇宙時代になっても、同じことを繰り返しているだけに過ぎない、
というテーゼが提出される。
最終目標は、このテーゼをひっくり返すこと、
つまり人類の変革である。
どうしたら、人類は戦争なんて馬鹿馬鹿しい、恐怖のあることをするのだろうか、
という問いをひっくり返さなければならないわけだ。
それはニュータイプによる人類の変革である、
という結論に、
ファーストガンダムではたどり着けてなくて、
だからΖ以降ずるずるとそのテーマにたどり着こうとしては、
うまく行ってないわけである。

ファーストガンダムで描かれた、
「ひとつの戦争は講和において終了したが、
また戦争は起こりうる。
(これはベトナム戦争がリアルな冷戦時代のリアリティーだ)
その時それを止めるのは新世代のニュータイプかも知れない」
という希望が、
リアリティーのある終わり方として一番できてるのが、
結局続編が正編を越えられない理由だろう。
(もっとも、ターンAで脱落組なので、
その後はどうなってるのか知らない。
しかしニュータイプが人類を革新した、
という結論は聞かないね)

つまりこのように全てをファーストシーンの軸から考えられるように、
その一を配置するべきなのである。


ファーストシーンの役割は、
期待させることや、
度肝を抜くことや、
派手な絵で引き付けることや、
謎を振りまくことなどと、
表面的なガワのことをとやかく言われることがある。

それはその通りで、
地味なオープニングからスタートすると、
引き付けが弱くて、
その先に進んでくれないという欠点を持つことになる。
(現在公開中の毎週発表版てんぐ探偵は、
そこが弱かったなあという反省のもとにいる。
やっぱ妖怪弱気から始めるべきだったなあ…)

しかしその派手なことで、
何をするかのほうが、
派手な仕掛けを考えることより遥かに重要だ。

その十を理解するのに、
どの一を選ぶべきかを、
慎重に慎重に選ぶこと。

自分が十を理解していないと、
一を選ぶことは出来ないだろう。
当たり前だけど。

大抵、勘でいける。
考えると間違う。


何故か分からないが、
何も考えない勘のほうが、
全体を無意識で眺めているからじゃないかと思う。

勿論勘で間違うこともあり、
じゃあどうすりゃいいんだとなって迷路にはまるわけだ。
そのときは、何も知らない人にひとつだけ説明したら、
あとは大体分かることは何か、
を突き詰めていくといいと思う。
(てんぐ探偵に戻れば、
妖怪がいて、それは新型だ、
ということだけを選べば良かったのである。
もうすぐクライマックスなので、
ようやく自分で全体が見えてきた今、
気づいたことをまとめて書いている)


全部を説明するのは面倒で、
全部を説明されるのも面倒で、
最小の説明にとどめて、
最小の理解だけで楽しみたい。

その為の一を、発見しよう。
九は大体想像つくから、その一を見つけよう。

逆に、その一から全てが芋づる式に理解できるように、
世界観を整理するのである。
posted by おおおかとしひこ at 11:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック