2017年04月16日

結論を求める会話、同意を求める会話

最近とみに言われることだが、
男の会話は結論を求めるもので、
女の会話は同意を求めるものである。

映画はどうあるべきか?
結論を求められているのか?
同意を求められているのか?


テーマに落とす構造から逆算するべきだ、
という伝統的な構造論は、
すなわち男の会話と同じである。

前提があり、展開があり、結論があり、
最初に結論のサマリーがあるべき、
というのは、
伝統的な論文の書き方であり、
すなわちそれはすべての文章の理想型だ。

だから、映画の脚本も、小説も、
大きくはこのスタイルで書かれるべきだ、
というのが伝統的な理論である。

結論であるテーマのない話はダメだ、
前提と結論がねじれているのはダメだ、
前提から結論へ至る筋道が飛躍していたり、
余計なものが混ざっていたり、
矛盾があったり、
逆行していたり、
始めたものが途中で消えていたりしてはダメだ、
複数の論が走ったとしても、全てがラストにひとつの点に集約するべきだ、
そのために複数の論は存在するのである、
などの伝統的構造論は、
全てこれを前提としている。

しかも、脚本や小説や演劇という、
ストーリーでこれをやるには、
演説や論文と違い、
直接の主張や論を展開するのではなく、
事件と、主人公による解決という道具だてで、
間接的に主張をするという、
間接話法として存在するわけだ。

どんなに面白かろうが、落ちが弱いのはダメだ、
その前提から始めるのならこういう結論が期待できるのに、
そうなってないからダメだ、
ただの意味のない空騒ぎである、
などの批判は、
論として成立していない、という構造的批判である。

逆に、ストーリーには、
意味や結論がなければならない。
ただ面白いことをやるのはただのサーカスにすぎない。
ストーリーが高尚なのは、
意味や結論を間接話法で展開するからである。

伝統的にはこう考えられてきた。


これは、男の会話である。

結論を求める会話と同じである。



一方、女の会話は、結論を求めない。

求めるのは同意である。

そうそう。わかるー。それなー。
○○は悪くない。
私が文句いったげるよ(その場の気持ちで本当に実行するかはどうでもいい)。
みんななかよし。一緒。
トイレにつれしょん。

私とどれだけシンクロするのか、
あなたは敵か味方か、
が重要であり、
それが何の意味や結論に導かれるかは問題ではない。

なんなら、意味や結論をいつわり、
あなたと同意するという嘘をつき、
女を騙すことが出来る。
(やりちんはそれを利用し、
永遠に好きという嘘をついてセックスをする。
普通の男は、意味や結論を重視するので、
責任を持てない女にそんなことは言わない。
もっとも、最近は女の転がし方が世に出回っているから、
女はこう操縦すれば喜ぶ、ということを知っていて、
わざと使う男もいる。
僕は男の子が「おかあさん大好き」と言って機嫌を取っているのを見ると、
心が暗くなる。それは機嫌を取るための嘘だというのに)


逆に、男は、同意や反意などは関係がなく、
意味や結論が重要であり、
意味や結論が正しいのなら、敵も味方である。
ヴォルテールの名言、
「私はあなたの意見には反対だ、
だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」
というのは即ちそういうことである。

僕は詰まらない脚本をボコボコにするが、
それは敵だと思っていたり、
恨みがあったり、
嫌いなのではなく、
間違っていることを指摘しているだけだ。
敵とか味方とか、好悪ではなく、
正しいか正しくないかの話をしているだけだ。

(人間は好きなものをけなされたら、
不快とか敵意を抱くように出来ている。
好きなものが間違っていることを認めると、
認知的不協和が起こるからである。
このように、理性と感情は分離が難しく、
連動して動いていて、
かつ、それを自覚するのは、
無知ならば困難である)


さて。

女の会話として成立する映画って?

私の今の気分にぴったりなもの。
私の落ち込みにあうやつ。
私をハッピーアゲアゲ気分にさせてくれるもの。
きれいとかイケメンとか、イケメンのイチャイチャとか。
怖いのはいや。私は怖いのとか痛いのは嫌い。
共感できるもの。おじさんとか興味ないし、共感できない。
ストーリーも大事だけど、
雰囲気とか気分の方が大事。
結論とかどうでもいいの。私とのシンクロ率の長さだけ。
結論は覚えてない。気持ちよかったかだけが大事。

女を馬鹿にしているような特徴で申し訳ない。
まるで何も考えていない馬鹿ではないか、
と男なら思うのだけど、
女は女なりに考えている。
正確に言うと、女の「考える」は、敵か味方かを、
男の何万倍もの精度で観察しているのである。
だから女の言う「考え」と、男の言う「考え」は、
常に180度異なる。

男は常に女を考えていない馬鹿だと感じ、
女は常に男を考えていない馬鹿だと感じる。
それは、同じ「考える」という内容について、
全く別のことを考えているからである。

私達男の言語と、女の言語は、
同じ言葉でも違う側面のことを現している、
という可能性があるわけだ。


だから、
女にとって賢いとは、味方を増やすことであり、
男にとって賢いとは、優れた結論にたどり着くことである。
女にとって馬鹿とは、敵ばかり作ることで、
男にとって馬鹿とは、間違った推論である。

男は、敵を作ろうが正しい結論をしようとするので、
女からは馬鹿扱いされる。
女は、味方を作るために結論を出さなかったり持論を曲げるので、
男からは馬鹿扱いされる。




昨今、女向けの映画のマーケティングが幅を効かせている。

だから、
共感とか雰囲気や、
○○の気分にピッタリ!なんてことを言い出している。
前提から結論へ、という伝統的な男のストーリー論などどうでもよく、
むしろ結論なんてどうでもいい、となってきた。

だから映画を、男が見なくなったと、僕は考えている。
(現代は昭和に比べれば、結論を言い出しにくい時代だ。
その結論が妥当かどうか、検索されてしまうからだ。
検索のない時代ならば、
鋭い結論を断言できる人は、新興宗教のカリスマのような存在に、
すぐになれたのだ。
たとえば例は古いが、ホリエモンだ)


男は、結論が欲しい。
間のことは、矛盾がなければどうでもいい。
女は、共感が欲しい。
結論とかどうでもよくて、自分にぴったりが長ければ落ちはいらない。
私に同意して、だけが大事だ。

つまり、
これらを両方満たす映画を、
あなたは作らなければならない。




レズビアンのセックスを見たことがあるだろうか。
延々と朝まで続くらしい。
朝まで何をやってるのだろう、飽きないのだろうか、
と疑問に思うこと多々だ。
こないだ見た向井藍vs跡見しゅりという傑作は、
三時間ぐらいあって、
僕はちょいちょい早送りしていた。
自分の性欲とのリズムが合わなかったからだ。
男はピークを探すのだな、と自覚しながら見ていた。

それは結局、女の性欲の満足は、同意(シンクロ)の長さで決まり、
結論とか意味(射精までの過程、前戯から体位変更の組み立てや流れ)
を重視していない、
ということを見せつけられた感じであった。

男が女を理解しない。女も男を理解しない。
両者の差は、永遠に埋まらないかも知れない。
無知ならば。

知れば、理解することは出来るかも知れない。


僕が性欲の話を出すのは、
根本的だからであり、
性が大好きとか嫌いとかには関係がない。
もちろん、嫌いじゃないですが。



わかるー。それなー。
なんて、僕にとってはどうでもいい。
何が痺れる結論なのか。
それが全てだ。

あとはテクニックで、
わかるー。それなー。を散りばめていけばいいと考えている。
posted by おおおかとしひこ at 15:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
MBTIの理論でいう論理型(T)と道理型(F)の違いも関係ありそうですね。
作者の思考方法がストーリーの在り方に影響してくるのは興味深いです。
Posted by 炊飯器 at 2017年04月16日 18:54
炊飯器様コメントありがとうございます。

よく考えてみれば当たり前で。
文章や思考(や好み)が影響を受けないわけがない。
僕は星占いの12星座性格分析はかなり当たると思っていて、
過去記事にも書きましたのでごらんください。
信じる信じないはおいといても、
キャラクターの描きわけなんかは、とても有用な理論です。

まあ、実際、女のかく少年漫画はすぐばれるので、
男女差による物語のあり方は、
文化差では埋められないなにかがあると僕は思っています。

もちろんこれは統計的巨視的レベルなので、
個人差はたくさんあると思いますが。
Posted by おおおかとしひこ at 2017年04月16日 20:18
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