ものづくりをするとき、
プロフェッショナルなら、
他人の発注でものをつくることも多い。
その時とても、頻繁に、ほぼ100%起こることは、
発注側が正しく発注出来ないということだ。
出来上がったのを見て、
「イメージしていたのと違っていた」
なんてことがあるのは、
本当によくあることである。
髪を切ることにたとえよう。
あなたは美容院や散髪屋で、
事前にイメージを正しく伝えられるだろうか。
間違いが起こらないように、
カタログでコミュニケーションするとしよう。
しかしカタログにも穴があって、
髪質や毛量や頭の形が本人と違ったら、
うまくいかないこともあり得る。
そしてそもそも、本人にその髪型が似合わないということもある。
だから、実際のところは、
何回か切ってみて、
似合う髪型のイメージなどの知識を、
更新していくしかない。
だから美容師は指名制なのだ。
前こうだったから、こうすればいいんじゃないかと、
失敗を踏まえて冒険できるようになるわけだ。
さて。じゃあ、初めて切ってもらう美容師に、
100%うまくいく方法はあるかい?
お任せします、しかないだろうね。
ある程度イメージを伝えることは出来て、
かつてこう失敗したことがあるから、
これは避けたいということが言えれば、
美容師も同じ失敗を避けることが出来るだろう。
で、出来上がった髪型は、
美容師のイメージで作っていて、
あなたのイメージと違うかも知れない。
しかしそのイメージの差を、あなたは言葉やコミュニケーションで埋められるだろうか?
あるいは、あなたのイメージが実は貧弱で、
美容師のの方がいいと判断できるだろうか?
逆に、美容師のイメージが貧弱で、あなたのほうがいいイメージだったと、
客観的に判断できるだろうか?
ぼくは、出来ないと思うのだ。
その美容師は、注文さえうまくいけば、
あなたのイメージを越える素晴らしい髪型に仕上げてくれたかも知れない。
しかしあなたの発注が下手くそなゆえに、
違うイメージの髪型になってしまったかも知れない。
あるいはその美容師は下手くそで、どうやってもあなたのイメージに追いついてないだけかも知れない。
それを確かめるには、数回やらないとわからないなだろう。
じゃああとは、人当たりのいい人にもう一回頼んでみるかな、
ということぐらいしか指針がない。
私たちは、誰かに発注されることが多い。
発注をうまく出来る人はいない。(たぶん)
だから脚本は、迷走する。
素晴らしい脚本が出来上がる、唯一の方法がふたつある。
1. 才能のある人に丸投げして、修正しない
2. 書く前の話し合いを、かなり長いことやり、イメージの共有に時間をかける、
これさえ出来ていればOKという合意ポイントを持ち、
これは失敗であるという合意ポイントも持ち、
そこだけをチェックポイントにして、あとはお任せの不可侵にする
どちらも出来る人は、いない。
だから、脚本打ち合わせはいつももめる。
俺の理想とする映画と違う、という理由でだ。
最初に理想やイメージを共有しないと、
そもそもその理想が違う呉越同舟である、
という認識が出来ないんだよな。
私はこの範囲が出来ていれば満足です、
という範囲の提示が出来て、ものごとを発注出来る人を増やすには、
どうすればいいだろう。
今、日本の業界は、そこを察してくれよ、という空気が蔓延していて、
それはブラックサービスを暗に要求する結果になっている。
そこを合理的にしない限り、
日本の産業、少なくとも脚本産業に未来はないような気がする。
脚本打ち合わせで、
いっつも、イメージしてたのとちょっと違う、と言われる。
違ったらどやねん、お前のイメージよりええもの作っとるわ、
と、大喧嘩して出入り禁止になったほうが楽かも知れない。
発注をうまく出来る人はいない。
これは、構造上の問題のような気がする。
バブル時代は、うなるほど金があったので、
再撮影もばんばんやり、お蔵にしてもばんばん次を作った。
アナログだったので作り直しが出来ないのも効いていた。
今やデジタルで、無限に直せる。
美容師にたとえれば、髪がもう一度生えてくることに等しい。
それでかつ金払いは20年前の1/3である。
広告は、死ぬだろう。
映画は?
製作委員会方式は、広告と同じ発注方式だ。
同じ波に呑まれるだろうね。
発注教育、というのがあるのなら、
携わってみたいものである。
あるいは。
自分に発注できるだろうか。
私たちは、
自分で発注して、自分で仕上げることが出来れば、
何が出来るか分からないまま書いて、
微妙な出来であるような状態から、
抜け出せる可能性がある。
発売を正しくできる人はいない。
発注を越える価値こそ、実はものづくりの本質。
このあたりの基本が、今ぐらついている。
2017年04月18日
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