2017年04月22日

よくある論理的ミス

ストーリーの骨格とは、要するに論理である。
(だから、したがって、こういう理由で、これ目的で、
その結果、これを前提に、からの、知らなかったので、知っていたので、
などなど)

だから、おかしい(間違ってる)とか矛盾がある、
と指摘されたりするわけだ。
よくある論理的ミスを列挙してみる。

矛盾、漏れ、未定義、
暗黙値の読み違い、二重定義。
あと、最適化してない場合。


矛盾:

どこかでの記述Aと、
別のところでの記述Bが、
AかつBであるとすると矛盾する場合。

矛盾があるとすると、
どちらかが間違っているか嘘をついている。
(あるいは両方が間違っているか嘘をついている)
これを利用して真実を詰めていくこともある。

しかし、単純な設定ミスで、
矛盾が起こることも多い。
それは、作りながら設定していっているからだ。
大抵は前に設定したのを忘れてるわけだね。

防止方法はふたつ。
1.最後まで書いてから、俯瞰して考える。
(しかし大抵気づかない)
2. 落ちまで作った上で一から書いて行き、
「あれ?今書いてるAは、あとで使うBと矛盾するぞ?」
と気づくことだ。

1は気づかない。だから放置されて、誰かに指摘される。
2はセルフチェックとして有効だが、
リライトしまくったとき、最後まで出来ずに書きはじめてしまったときには、
1と同じになってしまう。
こうして、大概の場合において、矛盾は放置される。

これを防ぐには、
リライトのときに、白紙に何も見ず、一からラストまで通しで書く、
という方法論が、泥臭いが最もエレガントな方法だと、
僕は考えている。

ちなみに、
AよりBのほうがあとだとして、
Aがなにがしかの変化によりBになってしまったのなら、
矛盾だろうか。
Aは完全に成立しない、ということを明示すればそうなるが、
それは説明過多になるから省略することが多い。
うまく、もうAじゃないというのを暗示しておかないと、
矛盾の誤解を生む素地になる。


簡単なのは、
ゴジラを倒して平和になったが、
第二第三のゴジラが来るかも知れない、
というセリフ。
A怪物ゴジラの危険が、
Bゴジラを倒して平和になったが、
Aが完全になくなったわけではない。
ゴジラは複数いるかもしれないし、新たに生まれるかもしれないからだ。
実はこの不気味さこそ、ゴジラのテーマである。
ゴジラを生まないためには、
環境破壊や核実験を戒めるべき、
という強い反戦主張のために、
矛盾で終わらせて、モヤモヤを残すという手法なわけだ。

人類が愚かであるかぎりこれは続くから、
人類よ賢くなれというメッセージだった。
(残念ながら、人類はあまり賢くならなかったようだ。
ゴジラはその象徴であるという根本は、
以後シリーズ化することで何もなくなっていったからだ。
「本当のゴジラ」は、人類は愚かさゆえに滅ぶ可能性がある、
ということを描き、愚かなる罪を断罪せねばならない。
シンゴジラを僕が糞だと思うのは、
人類の愚かさ=政治の都合で科学を曲げたこと、
という原子力村にまつわる人類の愚かさを断罪していないからである)

話がそれた。
ということで、
矛盾のないスッキリしたものにするか、
その矛盾を利用するかは、あなた次第である。
しかし、気づかない矛盾(ミス)や、
意味のない矛盾は、存在するべきではない。



漏れ、未定義:

場合の数の数え上げで、
漏れる場合が、まれによくある。
段数が複雑になればなるほど、
数え漏れがある。
否定形や対偶を使っていればなおさらだ。
「この中に、少なくとも嘘つきが二人いるということか」
なんてなったら、場合の数はややこしいことになるよね。

脇役に設定漏れがあるのもよくあることだ。
「この時このキャラは何をして何を考えていたのですか?」
と説明を要求され、しまったと思うこと多数。
有名な例では、風魔五話、偽項羽の暗殺未遂の場面で、
琳彪を出し忘れた。
漏れである。



暗黙値の読み違い:

「これはこういうものだろう」
と出したら、全然本物は違ってた、
というのはよくあることだ。
風俗習慣、ことば、ローカルルールなんてのは、
ちゃんと調べてないと、よくあるよね。

京都で「考えときますわ」と言ったらノーのことだ。
「行けたら行く」もノーのことだ。
デートのドタキャン「今日お母さんが来るの」も、
「二度と誘わないで」のことだ。

言葉や態度は、常に真であるとは限らない。
人は文脈によって使い分ける。

あるいは、銃の扱いなどの専門知識で、
よく間違いがあるよね。
ピアノなどの楽器、タクシーの拾い方、
車の使い方なんかも、よく間違いがある。

なんにせよ、取材に勝るものはない。



二重定義:

あきらかな矛盾ではなく、
微妙に重なってる場合。
「デスノートは名前を書くと死ぬ」
「本当の名前じゃないとだめ」
なんてのはこの場合。

話がややこしくなって、
結果面白くなったけど、
それを知るための死神の目とか、寿命とか、
それを一回忘れるとか、
どんどんややこしくなって、
複雑になってしまったのが残念だ。
(ニアメロ編は、Lが死んだから詰まらなくなったのではなく、
設定が重なりすぎて、動かせないようになってしまったことから、
硬直化してしまったのだね)

嘘に嘘を重ねていくと、どんどんそうなっていく。
うまくスッキリするように作るべき。



最適化してない場合:

Aをしなければ行けないとき、
すぐに思いつく最短ルートに行かないやつは気持ち悪い。
東京大阪になるべく早く行くとき、
新幹線もしくは飛行機を使わないと、変だと思うだろう?
夜行バスでも行けるけど、体力キツイしね。
若くて金をセーブしたい、などの条件が加われば、
それは納得の行く最短ルートに変わる。

何故夜行バス使うのか、理由を示さないストーリーは、
変に見える。
勿論これはたとえばなしで、
あなたのストーリーにおける夜行バスがあるか、
という話である。

シンプルな理由ならシンプルな直感的最短ルート、
理由が別に付帯するなら、直感的ではない、別の不思議なルート。
理由のあとづけが複雑になればなるほど、
ストーリーは奇妙になっていく。



話の論理的構造は、
書いている途中にはなかなか気づかない。
あとで矛盾に気づき、急遽あとづけすることもある。
これが、スッキリした構造を作れない原因である。
そもそもスッキリした話に、前提からしていくべきだ。
スッキリ出来ないなら、それはそもそも詰まらない話なのかも知れないよ。
posted by おおおかとしひこ at 12:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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