自分がたいして好きじゃないのに、
誰かが猛烈に好きなものがあるとしよう。
その話を聞いてるだけで面白かったりする。
なんなら、ちょっと自分でもやってみようかとすら思う。
知らなかったことへの好奇心もあるし、
そのことが本当に好きな人の言うことは、何故だか面白い。
とくに、
好きな人の好きなものは、自分も好きになっちゃうよね。
(好きな女の好きな男は、残念ながら好きにならない。
このへんが人間の難しいところだ)
女の人は特にこの感情が強いと思う。
昔からサーファーと付き合う女は、
何故だか浜辺でずっとその姿を座って眺めるものだと、
相場が決まっている。
自分でもやればいいだろというと、
そうじゃない、好きな人が好きなことに夢中になってるのを見たいのだという。
これが海ならどっかへ行かないからいいけど、
バイクが好きな男に恋すると、
バイクを買ってツーリングまでしてしまう。
女の人は特に共感の生き物であるから、
好きな人と同じ気持ちを共有していることが最大の喜びだ。
(男はそうとは限らない。
同じ気持ちになっていたら敵に気づかないから、
なるべく違う気持ちになることが先決なのである。
これは理性でコントロール出来るものではなく、
無意識にそうしてしまうのだ)
ぶっちゃけてしまうと、
好きな人の好きなものはなんでもいいことになる。
なんでもいいそのXを愛でているその男と、
気持ちを共有していることが大事なのだから。
(あまりにもドン引きするXとかはだめで、
あるいは、好きじゃなかったらXなんてどうでもいい)
これも、理性でコントロール出来るものではなく、無意識にそうしてしまう。
だから、
好きな人の好きなものは、好きなのである。
もし登場人物に惚れてしまったら、
その人の好きなものは何でも好きになる。
二次創作の最大の原動力はそこである。
好きな人が好きなものを愛でているさまを、
共有したいという本能がなせる業なのである。
さて。
恋は盲目だ。
好きじゃない人をどう巻き込むかまで考えない。
自分は好きで、他の人は関係ないからである。
ここまで好かれる登場人物を作れたら、
作者冥利に尽きるというものだ。
恐らくそれは、
作者の好きな気持ちの伝染によるのだろう。
(僕は天文学や物理や数学が好きなのだが、
どうも女子は好きじゃないらしい。
冒険は、女子は好きじゃないかもしれない。
冒険は勇気と力を発揮することと、
危険との隣り合わせで出来ている。
天文学もそうなんだぜ、なんて言うとちょっと興味がわくかもね)
好きという感情を、嘗めてはいけない。
しかし、好きという感情の暴走も、自覚しなきゃいけない。
冷めたら何も残らなくなるからね。
色恋営業ってきっと大変なんだろうね。
私たちは、色恋営業を考えてもしょうがない。
誰でも感情移入出来るようなストーリーを、
自分の猛烈に好きな人物に、演じさせればいいのである。
2017年04月26日
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