何のために構成を練るのだろう。
退屈を防ぎ、飽きさせないためだろうか。
それもある。
ストレートに行かないように逆に振ったり、
あるものを強調するために真逆のものを出したり、
順序だてたり、省略することでスピードをあげたり、
なんてのは構成の基本だ。
しかしそれは構成のおまけの機能のようなものだ。
構成とは、テーマを語るためにある。
主人公の代表する価値、
たとえば「人間はぐうたらであるべきだ」が、
最終的に勝利する構成であれば、
そのストーリーの意味は、
「ぐうたらは素晴らしい」ということになる。
逆に敗北するバッドエンドならば、
「人間は勤勉であるべきだ」
という意味になる。
(「蟻とキリギリス」はそういう話だよね)
どちらが世の中の真実や正解であるかは、
誰にも分からない。
勤勉すぎてブラック企業のはびこりになったりするし、
ぐうたらすぎたらギリシャみたいになる。
しかしストーリーを書くならば、
ある立場から通関して見た、ひとつの思想に基づいて描かれるべきである。
そうでなければ一貫性がないからだ。
それを作者の人間観とか哲学というけれど、
別に、作者がどう考えていたとしても、
「人間は時々ぐうたらであるべきである」
という意味のストーリーを書くことも出来るし、
「人間は勤勉であるべきだ」という意味のストーリーを書くことも出来る。
むしろあなたは、そのどちらも書けなければ、
構成ということを何も分かっていないということだ。
嘘だろうが真実だろうが、どちらでもいい。
あなたは、思うほう、思いもしないほう、双方を書ける必要がある。
たとえばCMを作るには、
その商品が素晴らしかろうが素晴らしくなかろうが、
「この商品は素晴らしい」
という意味になるストーリーを書けなければならない。
ライバル会社のCMだって同時期に作ることも可能だ。
(広告の習慣上それはないけれど、技術的な話だ)
嘘をついてようが、真実にそう思ってようが、
それに関係なく、
「この商品は素晴らしい」
「向こうの商品はよくない」
という意味のストーリーは、
構成で作ることが可能である。
つまり、
ストーリーの意味は、意図して作ることが出来る。
あなたが有能な弁護士ならば、
被告人を有罪にも無罪にも情状酌量にも出来る。
それは、被告人をそうだと意味するようなストーリーを作ればよいからだ。
事実の全てを等価に並べる必要はない。
その結論に誘導できるものを強調し、
その結論に誘導できないものを隠すか無視するか過小評価すればいい。
材料は結論のために取捨選択されている。
そして、その結論に向った矛盾なきストーリーをつくればよいのである。
どんなケースでも、
「意図した意味に誘導できる」
という能力において、
つまり弁護士と脚本家は同じ職業である。
じゃあ弁護士と脚本家の違いはなにかというと、
扱う世界がリアルかフィクションかという違いでしかないのだ。
逆に言えば、
それが無罪か有罪かというヒリヒリしたリアルぐらい、
ヒリヒリしたフィクションでなければ、
同等に見てくれないということでもある。
弁護士は結論のために事実を取捨選択し、
結論にむすびつくようなストーリーを組み立てる。
脚本家も同様だ。
述べることを取捨選択し、
それが一連になることで、
推論が生じる。
それが最後まで矛盾なく来て結論になるわけである。
物凄く基本的で簡単な構成で、
「ストーリーの意味」を見てみよう。
1 「主人公はBという価値観であったが、
ストーリーを通じて、Aという価値観に変化した」
→「世の中はBではなく、Aが大事なのだ」
最もポピュラーな型である。
AとBは真逆であることもある。
そのほうがコントラストが強いからだ。
2「主人公はAという価値観であったが、
Bという価値観に敗北した」→1と同じ意味
意味は同じだが、なんだか暗くなるよね。
主人公に感情移入していれば、敗北感も味わうだろう。
昔の日本の物語は、そういう無常感も得意としたものだ。
あるいは、ハリウッド映画では、
「悪役から見たらこういう話になっている」ことが多い。
主人公の価値を目立たせるための、悪役は道具である。
3「主人公はAという価値観で、
Bという価値観を敗北させ、Aの正当性を示した」
→ただの主張であり、物語ではない。
プロパガンダ、宗教映画、テーマを間違っている素人、
学習漫画や宣伝などは、
このような形式をとりやすい。
なぜこれが物語にならないのか。
自分の主張Aの為にBを利用しているのが、
ばればれだからである。
観客は馬鹿ではない。
くだらないコマーシャルや、興味のないプロパガンダに飽き飽きしている。
だからその外れの匂いを感じる能力がある。
それは、私たちが楽しめるストーリーではなく、
金の匂いをぷんぷんさせた、何かの主張だ。
第一、起伏がないから、面白くない。
全勝の試合は称える以外に楽しみ方がない。
称えることに興味がない人には、それは邪魔でしかない。
人生を、みな邪魔されたくない。
どんなに価値があるAだとしてもだ。
その反発を理解していない素人だけが、
この型を使って悦に入るのである。
ということで、このふたつしか、
ストーリーの意味の語り方はないということになる。
あなたのストーリーは1か2か。
前者をハッピーエンドといい、後者をバッドエンドと呼ぶ。
あとはこの結論に向けて、
材料を取捨選択していけばいい。
前提、展開、結論という構造は論文と同じかもしれないが、
違うのは、楽しませることが第一だということ。
しかし楽しませるだけでもだめで、
楽しんでいたはずなのに、
最後まで見たら意味があったというようなものが理想である。
構成は、結論を明示せずとも明らかなように、
各要素を組んでいくものである。
これは、おそらくいきなりの初心者には難しいだろう。
何度もやって、身につけていくしかないと考える。
2017年04月27日
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