この言葉には、現在二種類の意味がある。
「これは詰まらない」
「お金を生まない」
である。
それは、同義ではない。価値基準が複数になってしまったのだ。
デジタル時代になって、
才能と売れることに、強い正比例関係がなくなってきた、
ということをこれから言おうとしている。
昔から考えられてきた、素直な「才能-商売モデル」では、
「才能があるやつが売れる/才能がないやつは売れない」
と、単純な競争と思われていた。
足が速いやつが一等を取る、という単純な考え方であった。
しかし21世紀になって、
ステマや、事務所のごり押しや、
あからさまな○○押しなどによって、
「特によくなくても、ごり押ししていれば、
素晴らしいものに見えて、売れているような錯覚を生み出す」
ことがなんとなくみんなわかってきた。
それでもちょっと前までは、
「今は売れていないが才能はあるので、
ちょっと露出すればみんな飛びつく」
という売り出し方をしていた。
「才能をパワープレイする」という考え方だ。
これはこれで機能したし、これがプロデュースだと思われていた節もある。
そのおかげで知らない才能を私たちは知れて、
なにがしかのブレイクをたくさん見た。
分かりやすいのは、お笑い芸人ばかり集めたネタ番組とかね。
しかし、
才能が微妙なのしかないと、
「これほんとにいいのか?」
という疑問のほうが先に出る。
「ネット発信だから、そういうステマじゃなくて、
自然発生的に面白いと言われている」
なんてのはもはや神話にすぎず、
ラッスンゴレライやピコ太郎なんて、
面白くもないのにブレイクした。
なにやら組織的なパワープレイの匂いがする。
問題は、
面白いか面白くないかを見極める目を、
人はなかなか持てないことである。
正確に言うと、最高のものを見ていて、数を見てれば、
自然とわかる。
それがどのランクに属する面白さかは自然とわかる。
1000や2000ではなく、
10000とか50000とか見てればね。
本を読んだり、経験を積むことで、
いいものと悪いものの見分けはつくようになってくる。
(僕の私見だが、沢山失敗しないと身につかない)
今そういったキュレーターが、なかなか出てこない。
人気ブロガーは、
キュレーターとして合ってるかどうか判断する人もいないので、
キュレーターの目がない読者にとっては、
楽しい文章さえ書いておけば、
つまりは容易にステマの温床になるわけである。
僕は、大衆がかしこくなるべきだと思うのだが、
かしこくなるより先に世代が変わってしまうということを、
ちょっと生きてきて段々分って来た。
で。
「売れる」ということはどういうことだろうか。
パワープレイ組織に所属しているものが売れる。
パワープレイ組織が売りやすいものだけが、
その才能を売れる、というのが現実だ。
たとえば今硬直化している少年ジャンプは、
「少年ジャンプ編集部が売れると思っている漫画」しか売ることができない、
という、自己言及のループに入っている気がする。
売りたい人(や組織)が売りたい才能だけが、
面白いわけではない。
ジャンプの例で言えば、ジャンプ的じゃない漫画は、
他の出版社からなら売ることが出来るし、
事実そういう漫画もたくさんある。
しかし、
「どの出版社も売りたいやつではないが、面白いもの」もある。
しかし、出版社と売る人は有限なので、
面白いもののほうがあぶれる可能性が高い。
つまり、単純に、
「面白いから売れる/売れてないのは面白くない」
というのではない。
1. 売る人が売れると思い、かつ面白いもの
2. 売る人が売れると思い、実は詰まらないもの
3. 売る人は手を出さないが、面白いもの
4. 売る人は手を出さないし、詰まらないもの
という4つの集合があるというわけだ。
ここに厄介なファクターが加わる。
「コレクション的な価値があるものは、売れる」
というやつだ。
DVDが特典映像をつけたりするのはそのためである。
(日本の商習慣では、この特典映像の予算はごく限られ、
大抵は製作プロダクションの持ち出し、
つまり赤字でやっている。
風魔の特典が充実しているのは特典のための予算があったからで、
風魔の続編が作られないのは、特典予算がないにも関わらず、
同じ質の特典を求められたためだ。
それではプロダクションは倒産する。
ちなみにプロダクションは、
何枚DVDが売れても売れなくても関係なく、
一回作る予算で利益を確保するビジネスモデルなので、
最初に予算を限られればそれまでなのである)
あれ?
なんか思い出すね?
パワープレイ、ごり押し、才能あるの?、コレクション。
一番の例、AKB商法そのものではないか。
これにも陰りが見え始めた。
単純に「才能(と呼べるか?ーー女の子の若いかわいさには賞味期限がある)」
に飽きたから、というのが主な理由だろう。
乃木坂や欅坂は、かつての乙女組やおにゃん子B組だよね。
余命を延長しているわけだ。
議論を進めよう。
コレクションのファクターを入れると、
売れる/売れないという議論は8つの集合になる。
1. コレクション価値あり、パワープレイ、面白い(かつてのヒット)
2. コレクション価値あり、パワープレイ、面白くない(AKB)
3. コレクション価値なし、パワープレイ、面白い
4. コレクション価値なし、パワープレイ、面白くない
5. コレクション価値あり、マイナー、面白い
6. コレクション価値あり、マイナー、面白くない
7. コレクション価値なし、マイナー、面白い
8. コレクション価値なし、マイナー、面白くない
ちなみにドラマ風魔は、
7だったものをDVDで5のジャンルにしたものである。
おそらくこの順番が制作側に「売れる」と思われている順番だ。
ぼくは、以下の順番を理想と考えている。(数字は上と同じ)
1. コレクション価値あり、パワープレイ、面白い(かつてのヒット)
7. コレクション価値なし、マイナー、面白い
5. コレクション価値あり、マイナー、面白い
(こちらのほうが順位が下なのは、売り方にせこさを感じるからだ)
3. コレクション価値なし、パワープレイ、面白い
6. コレクション価値あり、マイナー、面白くない
8. コレクション価値なし、マイナー、面白くない
4. コレクション価値なし、パワープレイ、面白くない
2. コレクション価値あり、パワープレイ、面白くない(AKB)
おそらく今、1がない。
2だけが存在し、753は世に出にくくなっている。
なぜかは誰も分っていない。
メジャーかマイナーかは、
かつては、
大衆が面白いのがメジャーで、
大衆が面白くないのがマイナーだった。
ところが、
今のメジャーかマイナーかは、
人々に届くチャンネルが多いか少ないか、
という物理的回線の太い細いのことをさしている。
ネットがメジャーマイナーの線引きを崩すと言われた。
しかしステマやリンクに金を払う商売が生まれ、
ネットは「フラットな真実の場」というものではない。
新しい「金で買うパワーメディア」になりつつある。
これはマイナーだから売れないと、
売れると面白いが直結した時代ならば言われた。
しかし、
これはコレクション価値があるから売れる
(別に面白くないけど)
ということが当たり前になってきた。
メジャーな面白さがかつては正義だった。
マイナーがそれへカウンターカルチャーを打った。
マイナーでも支持者が多ければメジャーへ転向した。
それは、面白さについて、健康な関係だったといえる。
現代はそういう意味で不健康だ。
「だれかが見つけ、口コミで広まる」
というのは、
僕は幻想だと思っている。
それで広まるスピードよりも、
儲からないから打ち切られるスピードのほうが速いからである。
もうちょっと評価されていれば、
打ち切られていなかったのに、という例もたくさん見て来た。
今回の議論に落ちはない。
ただそうだ、と言ってみただけだ。
あなたの書いた物語が、
売る側の組織に「売れない」と言われても、
詰まらないと評価されたわけではない、
と思ったほうがいい。
それは売る側の売れ筋にない、ということでしかなく、
それは無能な売り手なのかもしれないわけだ。
だから、
面白いものには面白いと言い、
詰まらないものには詰まらないと言おうと、
ぼくは思っている。
それだけが、面白さを健康に保つ唯一の方法ではないかなあ。
今、空前の「ものが売れない」時代になっている。
僕らは面白いものをつくればいい。
売れない商品を売る人たちの、
「売れない」という意見なんて聞かなくてもいい。
面白いものだけを書くべきだ。
逆に言えば、たまたま売れるだけで、
それは運が決めることだ。
何に正直になればいいかというと、
「面白さ」でいいと思う。
しかしそれは自分一人の感覚ではなく、人類の無意識にとって、
ということだと僕は考えている。
2017年04月28日
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