脚本論の前記事を書いたのは、
実はカタナ式の次のバージョンが、
ものすごくシンプルに収斂できたからなのだ。
同時押しが、実装しているDvorakJでは制限がある。
1. 同時押しとアルペジオを区別するのは、時間調整でしかない。
2. 真の同時押しは、スクリプトがめっちゃ遅くなる。
3. シフトを用いた同時押しは、3キー以上定義できない。
などである。
これらの制限をかいくぐりながら、
v6六本指を、より使いやすいようにいじっていた。
全部で8バージョンぐらい作ってはためしうち。
長音と撥音をどこに置くかが、最近のテーマだった。
母音のあとにしか来ないわけだから、
母音から連関しやすい場所に置けないか、と、
連打や同時押しなどにバインドしながら探っていた。
配列自体の変更(Yや母音の移動、ホームポジションの変更、
orz配列の逆で一列減らすと両手がM字に構えやすい)も試してみた。
でも結局寝て起きたら、
それを一切合切捨てたら楽になれるぞ、
という発想だった。
ということで、
カタナ式v7は、とてもシンプルになります。
「遅延と待機」設定も0ミリ秒でOKなので、
もはや「順に打鍵する配列」になってしまった。
つまり高速化に成功したわけだ。
余計なものがないのは、
どうやってもこれだけでいく、という覚悟と、
行けるだろうという確信だ。
そこまで練り上げられたことは、結構誇りに思う。
開発日記みたいになってるけど、
僕は母国語をストレスなく扱いたいだけの一心で、
ここまでやってきた。
それだけ僕はパソコンが嫌いなんだなあ。
日本語の曖昧さというものに、
ノイマン型(やベースとなっている英語的な格文法言語)
は向いてないと僕は考えている。
量子型並列計算や、
ディープラーニングの連想学習(アルゴリズムは並列計算だ。
実装は逐次計算でシミュレートしてるだろうが)
は、西洋型左脳的な考え方の限界を、
ブレークスルーさせようとした、
右脳的女型的パラダイムのひとつだ。
近代の曲がり角や行き詰まりは、
こういったパラダイム転換で突破されるのかも知れない。
大きなことではこう思うのだけど、
目の前のQWERTYキーボードをなんとかしなきゃいけない。
日本語は右脳を使って使用されているというデータがあり、
左脳的な論理で考える西洋人とは、
だいぶ違う脳の使い方をしているらしい。
そんな母国語を、
西洋人の論理のQWERTYで使うほうが間違っている。
こういうことを納得したうえで、
翻訳者としてのカタナ式パッチを当てよう、
ということかな。
真剣に、小学校で導入できるレベルまでシンプルになったと思う。
それは親指シフトで言われることの「キーボードが消える」
ということに近いと考える。
使うメインキーは左子音6右母音7。
同時押しはなし、アルペジオ子音で出る子音2、
濁音シフトにスペースキー、
カーソル、エンター、BSの制御キー6。
言葉でも言えるこのシンプルな構成で50音をうつ。
発表をまて。
2017年04月29日
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