2017年04月29日

シンプルとは、把握するルールが少ないということ

練る、ということは、構造をシンプルにしていくことだ。
破綻が少ない(嘘を塗り重ねなくていい)。
あっても発見しやすく、直しやすい。

最もいいのは、
把握するルールが減っていくことだ。


ストーリーとは一種の論理である。
だから結論に至るための、
前提というのがいる。

たとえば世界観であるとか、
主人公の設定とか、
人物関係とか、
事件の概要などである。

構造がシンプルであるというのは、
つまりはこれらが少なくてすむ、ということだ。

把握するルールが少なくてすむと、
つまりは、頭のなかで負担が少ない。
ということは、
「想像がふくらむ」のである。

物語の最大の楽しみは、
見る側が想像を膨らませ、
この先(時間的)を想像したり、
この向こう(空間的)を想像したり、
そこに隠された秘密(過去)を想像したり、
つまりは与えられた以上の世界を、
妄想することにある。

オープンワールドなんて所詮有限だ。
物語は、書いてないところを想像させることで、
無限の広がりを持つのである。

だから、想像は創造にまさる。


この想像させるためには、
ルールが多くてはいけない。
想像がしにくくなるからである。
難しいSFが敬遠されやすいのはそのためだ。
(逆に、読解して攻略するという楽しみもあるのだが、
全員の素養は同じではない。
だから、全員の素養がほぼ同じである、
ミステリーは人気である)


ここまではあくまで一般論。
ここから、創作論。

ルールをシンプルに出来ないのは、
怖いからである。

私たちは嘘をついて世界をつくる(フィクション)。
その破綻を繕うために、嘘に嘘を重ねていく。
だからルールが多くなる。

ルールを減らすと、想像されて、嘘がばれやすくなる。
想像して遊ぶには物足りない世界だと、
ペラペラだとばれてしまう。
だから、ルールを減らせないのである。

ほんとうに豊かな想像の膨らむ世界は、
ルールがシンプルだ。
しかしそんなオリジナリティに達せられないから、
嘘を塗り重ねることで、ばれないようにするのである。


方法はふたつ。

王道は、ルールの少なくて済む豊かな世界をつくることだ。
たとえば「ズートピア」では、
草食動物も肉食動物も暮らす世界があることと、
肉食の本能が「今は」抑えられている、という、
二つのシンプルなルールしかない。
そして二番目のルールがドラマを引き起こす。

奇道は、
複雑にして一見理解できない迷路を作ってしまうことだ。
これは一種の詭弁になる。
デスノートは、特に後半そうなってしまったよね。

「マトリックス」はどっちだ?
僕は王道だと思う。
一見複雑な設定のハードSFだけど、
よく考えてみれば、機械の支配から脱出する、
という王道のストーリーにディテールが貼り付いているだけだからだ。
そこにVRを持ってきたことが、革命的に新しかっただけだ。
ルールは二つ。
この世界はAIに支配されている、
人間はバーチャルの夢を見させ続けられていて、それがこの架空世界。
あとはディテールに過ぎない。


あなたの物語は、どっちを目指すのか。

王道には才能と努力と、ものすごい練りがいる。
奇道も同様だ。
しかし王道は、みんなに想像の膨らむ世界を与える。
奇道は、ついていくので精一杯で、
時に失敗する。
(下手くそはこちらでごまかすので、一般に奇道は失敗作だらけである)

どっちを目指してもいい。
僕は、シンプルなほうが最終的に勝つと思う。

あとは、それが想像の膨らむ世界になるまで、
どれくらい練られるかということだと思う。


把握するルールが少ないこと。
そこに至ることが、実は一番難しい。

達人の技ほど、動きが最小でシンプルなものだ。
武術や料理や運動の達人なら、
同じ動きに集約していけばいいけど、
僕らは毎回違うものを作らなきゃいけない。
それが創作である。
posted by おおおかとしひこ at 12:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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